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 応援は面白い
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『挨拶はたいへんだ』『あいさつは一仕事』(ともに朝日文庫)という丸谷才一さんの本があります。冠婚葬祭さまざまな場面で丸谷さんが披露した名スピーチの実例集。簡潔にして印象ぶかく、ユーモアに富み洒落っ気のある、丸谷流スピーチの傑作ぞろいです。

 古い順に並べられた最初の例が、「野坂昭如・野村暘子結婚披露宴」での媒酌人としての挨拶で、1962年12月11日ホテルオークラ。新郎の旧制新潟高校の先輩として、初の媒酌人を務めました。「披露宴で仲人が変な話をしてはいけないといふ気持があつて」、この時から原稿を用意するようになりました。

 マイクの前に立ち、内ポケットからおもむろに2つ折りにした200字詰め原稿用紙を取り出すと、背筋を伸ばし、故郷・山形のお国なまりをかすかに残す朴訥な調子で読み上げました。大きな、よく通る声でした。丸谷さんのスピーチが聞けなくなって、パーティに出かける楽しみが減った、と嘆く人も少なくありません。

<ぼくは文章といふのは結局のところ、単に自分の思ひのたけをいくら表現しても話にならないもので、常に相手を考へて何か言ふ、さういふものだと思ふんです。読者があつてはじめて文章はある。だから挨拶だつて、聞き手があつてはじめて挨拶がある>(『挨拶はたいへんだ』)

 当たり前のことが書かれているだけですが、これが「行うは難(かた)し」と思えるのは、そうでないケースを日頃見過ぎているからです。聞き手のことなどお構いなしに、やたらと長かったり、陳腐な教訓を得々と弁じたり、場違いで、無神経で、上滑りしているような無残な例をあまりに多く目撃するせいです。そうした場合、しゃべっている当の本人だけが悦に入り、周囲の当惑、会場の失笑にまったく気づいていないことがしばしばです。

<とにかくみんなを楽しませる話題を考へる。それがパーティといふものの本質と一致してゐると思ふんです。パーティといふのは一夕(いっせき)の歓(かん)を盡(つく)すことで、ぼくは文学といふものも、つまりは一夕の歓を盡すことだと思ふんだなあ>(同)

 スピーチの要諦は、いかに人を喜ばせ、場をなごませるかということでしょう。ほぼ同じことを感じるのが、人をいかに応援するか、という時にです。身近な人や、「これはすごい」と思う人を励ましたい時。自分の「真価」に気づいていない、あるいは確信できていない人の背中をそっと押したい時。黙って肩に手をおくか、いや、ここはガツンと気合を入れるべきか……。

 伝え方やタイミング、言葉づかいはさまざまですが、相手を勇気づけ、その人がより生き生きとする方向へぐっと押し出すことが肝心です。スポーツの応援でいえば、贔屓の選手、チームを声を限りに盛り立てて、勝利への後押しをすることです。

 とはいうものの、決して簡単ではありません。相手のことを考えて、心に響く応援をするためには、相応の芸(技術)が必要です。頃合いをはからい、どういう声をかけたらいいか。悩んだ人は多いことと思います。

 そんな形の定まらない問題に、思いもかけない方向から、気づきを与えてくれる出来事がありました。このメルマガでもお伝えした春のTOBICHI(2)でのイベントです(No.471参照 http://kangaeruhito.jp/articles/-/1657 )。「考える人」のリニューアルを記念した3日間の「おわりとはじまり展」を、東京糸井重里事務所「ほぼ日刊イトイ新聞」の人たちがプロデュースしてくれたのです。

 編集者とは、そもそも書き手を応援する仕事。その難しさも喜びも、日頃からじゅうぶん知り尽くしていたつもりです。ところが、この時ばかりは応援されました。自分たちが人から応援される側にまわり、その喜びと面白さを知りました。

 編集部の1人が言いました。「『ほぼ日』の人って、表向きは涼しそうな表情で、軽やかに、さりげなく話している。その実、仕事ぶりは夜を徹して走る馬車馬のよう。結果として出てくる仕事は、繊細で心の行き届いたものばかり」――。TOBICHI(2)のスタッフはプロでした。しかも応援のプロは、楽しそうでした。

 そんな彼らからもらったヒントを手がかりに、送り出したのが「いいぞ、応援!」の特集です。実は、この特集タイトルは、社内の営業会議では不評でした。何をアピールしたいのかが、よく分からない。「応援力を鍛える」とか、「応援の達人になろう」とか、読者のお役立ち感に訴える、もっと直截的なタイトルのほうがいいだろう……。たしかに一理あるでしょう。

 ただ、これはハウツー特集ではありません。応援のアンチョコを狙ったものでもありません。応援する、されるという関係性、そのコミュニケーションのあり方こそを、応援したいという狙いです。応援を応援する、応援という信頼関係にエールを送る――それを考えたいと思いました。

 世の中にはハウツー本が溢れています。お役立ち名言集もいろいろあります。実はそれらの本が、私は苦手です。答えなんか、そんなに都合よく、お手軽に見つからないと思っています。ラクして近道を考えるのも、あまり趣味ではありません。

 ……などなど人に話していたら、1冊の本を教えられました。大山くまお『「がんばれ!」でがんばれない人のための“意外”な名言集』(ワニブックス)です。

<今、“生きづらさ”を抱えている人がたくさんいます。……
 書店の一角に並んでいる名言本や自己啓発本には、生きることに疲れている人たちに向けられた励ましの言葉がたくさん記されています。

「やればできる」
「いつだって前向きに」
「失敗を恐れるな」
「自分らしく生きよう」……

 どれも、とてもポジティブで力強い言葉です。
 しかし、ちょっと疑問もあります。
「やればできる」と言われても、やってみてできなかった人はどうすればいいのでしょう。
「いつだって前向きに」と言われても、前向きに生きていたら壁にぶつかってしまった人はどうすればいいのでしょう。……
 ポジティブさが大切だということはよくわかります。僕も以前、自分で書いた名言本にはポジティブな言葉をたくさん並べました。
 でも、ポジティブな言葉が本当に、生きづらい人たちに届いているのか、疑問がわいてきてしまったのです>(同書「はじめに」)

 トップに掲げられているのが、元陸上競技選手の為末大さんの言葉です。

「成功者の言葉しか世の中には残らないから『やればできる』が格言になる」

「“意外な”名言」は、他にもたくさんありました。目を引いたひとつに、米大リーグ・レンジャーズのダルビッシュ有投手のツイッター発言があります。

「練習は嘘をつかないって言葉があるけど、頭を使って練習しないと普通に嘘つくよ」

 ますますダルビッシュ投手を応援したくなりますね。あるいは将棋の谷川浩司さんの言葉――。

「『負けました』とはっきり言える人はプロでも強くなる。これをいい加減にしている人は上には行けません」

 思い出したのは、イチロー選手がマイアミ・マーリンズに移籍を決めた時の入団記者会見です。2015年1月29日の発言です。

「新しい場所に行って、新しいユニホームを着てプレーすることに決まりましたが、『これからも応援よろしくお願いします』とは、僕は絶対に言いません。応援していただけるような選手であるために、自分がやらなくてはいけないことを続けていく、ということをお約束して、それをメッセージとさせていただいてもよろしいでしょうか」

 これぞ、まさに正論です。まずプレーありき。それがプロのあり方です。応援はお願いするものではありません。相手が応援したくなるような存在にならなくてはダメなので、その人がいないことには話が始まらないとか、いないと困るくらいの「価値」にならなければと思います。

 人が体現している「真価」を見きわめ、それを磨いて、もっと輝かせていくための時間。お金を払ってでもやりたいと思う応援の面白さだと思います。

「自分が元気になる一番の方法は、他の誰かを元気にすることだ」(マーク・トウェイン)

「人の欠点を指摘しても得るところはない。私は常に人の長所を認めて利益を得た」(ゲーテ)

 ともすると誹謗中傷、足の引っ張り合いが横行し、いじめ、バッシングが目につく昨今だからこそ、応援を社会の潤滑油にできればと思います。応援の味方であるほうが、ずっと気分がいいことは間違いありません。

「考える人」編集長 河野通和(こうのみちかず)