変幻自在の千両役者

 前回、鉄こそが材料の王者であると述べた。これに対し、材料の世界の千両役者と呼びたい存在が、今回の主役である炭酸カルシウムだ。

 役者たるもの、二枚目から悪役までいろいろな役が演じられなければ務まらない。炭酸カルシウムはこの点文句なしで、驚くほどに多彩な顔を見せる。

 自然界からは、いわゆる石灰岩の形で大量に産出する。資源の乏しい我が国も、石灰岩だけは豊富だ。観光地として有名な秋吉台や四国カルストは、石灰岩が点々と地表に露出した場所だ。鍾乳洞は、地下深くの石灰岩が地下水で溶けてできたもので、これも日本各地に点在している。

秋吉台の山焼き (Tu-ka-pon / Wikipedia Commons)


 炭酸カルシウムの用途も様々だ。最も身近な炭酸カルシウムの塊はチョークで、今も昔も教室に欠かせない。粉にすると研磨力があるので歯磨き粉や消しゴムにも入っているし、陶器の材料ともなる。紙に炭酸カルシウムを漉き込むと白く透けにくくなるので、製紙業にも大変重要だ。

 さらに炭酸カルシウムは、食品添加物にもなる。ラーメン作りに使われる「かんすい」、パンの発酵を早めるイーストフード、その他ハム・ソーセージ・菓子類などの栄養強化剤、医薬品の錠剤の基剤などなど、その活躍の場は多岐にわたる。このような次第で、我々が炭酸カルシウムのお世話にならない日は、ただの一日もないといってもいいだろう。

 見た目は全く異なるが、大理石も主成分は炭酸カルシウムだ。石灰岩がマグマの熱で熔けて再結晶したもので、彫刻や建材に欠かせない。また、石灰の粉を水と顔料で着色し、乾ききっていない漆喰の上に絵を描く技法はフレスコ画と呼ばれる。システィーナ礼拝堂にある、ミケランジェロの「最後の審判」が最も有名なフレスコ画の例だろう。

ラスコー洞窟の壁画 (Prof saxx / Wikipedia Commons)


 また、人類最古の芸術作品として知られるラスコー洞窟の壁画も、石灰岩の上に描かれた一種のフレスコ画だ。長年にわたって変質・摩耗しない石灰岩だからこそ、壁画は1万5千年の歳月を生き延びて我々の目に触れることができた。芸術の世界においても、炭酸カルシウムが我々にもたらした恩恵は極めて大きいのだ。

運命を分けた双子の惑星

 かくも炭酸カルシウムが大量に存在しているのはなぜだろうか。実は炭酸カルシウムの原料は、空気中の二酸化炭素だ。これは水に溶けやすいので、海水に吸収されて炭酸となり、さらに海水中に豊富なカルシウムイオンと出合うと、不溶性の炭酸カルシウムとなって沈殿するのだ。

 こうして大量の二酸化炭素が石灰岩として「固定」されたことは、地球の命運にとって決定的に重要なことであった。ご存知の通り、二酸化炭素は温室効果ガスのひとつであり、太陽熱を大気内に閉じ込めて地球の温度を上げる。誕生直後の地球では、60気圧にも達する濃い二酸化炭素が地表を覆っており、海が蒸発するほどの温度に達していた。しかし、海底火山などから噴出したカルシウムと、海に溶けた二酸化炭素が結びつき、海底にたまっていく反応が起きた。これによって大気中の二酸化炭素は減少し、気温も低下していったのだ。

 金星は地球の双子惑星ともいわれ、直径や質量は両者ともほぼ同じだ。また、かつては金星にも海があったことがわかっている。しかし、金星は地球よりやや太陽に近かったばかりにより多くの熱を受け、二酸化炭素を吸収する前に海が蒸発してしまった。結果として金星の大気には90気圧もの二酸化炭素が残り、その強烈な温室効果によって気温は400℃以上にも達している。

パイオニア・ヴィーナス1号による金星の雲 (1979年2月26日、紫外線画像)


 一歩間違えば、地球もまたこのような灼熱の惑星になっていたかもしれない。今我々が快適な温度で暮らしていられるのは――いや、生命を保っていられるのは、膨大な量の二酸化炭素を封じ込めてくれた、炭酸カルシウムのおかげなのだ。前回、地球には鉄が生み出す地磁気があったおかげで太陽風や銀河宇宙線などのプラズマ粒子をはじき飛ばして生命を守ってきたと書いたが、炭酸カルシウムの恩恵は鉄よりもはるかに大きいといえよう。

帝国を作った材料

 さまざまに用いられる炭酸カルシウムだが、最大の用途はセメントの原料だ。石灰岩7~8割に対し、粘土、珪石、石膏、酸化鉄などを2~3割程度の割合で混合し、ミルで粉砕する。これを1450℃程度の高温で焼くと、炭酸カルシウム(CaCO3)から二酸化炭素(CO2)が抜けて、酸化カルシウム(生石灰、CaO)となる。できた塊(クリンカ)を再び粉砕し、得られたのがいわゆるセメントだ。これを水で練って放置しておくと、カルシウムとケイ酸イオンなどが結びついてネットワークを作り、硬化する。ここにあらかじめ砂や砂利を混ぜておき、強度を増したものがコンクリートだ。

 セメントは自由に成形できる上、固まれば石のように硬くなるのだから、建材としてこれほど有り難いものはない。この画期的な材料が使われ始めたのは、約9000年も前の石器時代に遡るというから、昔から凄い発明家はいたのだなと思わされる。エジプトではピラミッドの建築に使われたし、中国でも約5000年前から使われている。しかしセメントを最も有効に利用してみせたのは、古代ローマの人々であった。

ローマのコロッセオ (Jean-Pol GRANDMONT / Wikipedia Commons)


 伝説によれば紀元前753年にイタリア半島中部に建国された古代ローマは、さまざまな変転を重ねつつ地中海世界を制覇し、驚くべき文化の花を咲かせた。体格にも地理的条件にも決して恵まれていなかった彼らが数々の戦いを勝ち抜き、一千年にわたってその国家を維持して見せたのは、まさしく世界史の奇跡という他はない。これを支えたのが、道路や水道、各種建造物といった、ローマのインフラ整備の力であった。

 「すべての道はローマに通ず」の諺通り、ローマの道路整備は徹底していた。ローマ街道の総延長は約15万キロメートルと、ほぼ地球4周分にも及んでいる。そのかなりの部分が2000年後の現在まで残っており、現役の自動車道路として使われているところさえあるというから、その堅牢さには驚く他ない。

ローマ街道の標準的な道路の断面(J. D. Redding / Wikimedia Commons)A:路床, B:下層路盤(手の平大の石), C:中層路盤(コンクリート片や砕石など), D:上層路盤(セメント), E:表層石, F:歩道, G:歩道止め石


 標準的なローマ街道は馬車がすれ違える幅4メートルが確保され、その両脇に幅3メートルの歩道があった。車道は最大深さ2メートルまで掘り下げられ、そこに3層構造の石作りの路盤が作り上げられた。表面は大きな分厚い石を敷き詰め、セメントでこれを固めた。山にはトンネル、川には橋が架けられ、いずれも大型投石機などの軍事機械が通過できる規格であった。

 この整備された道のおかげで、ローマ時代の旅人は徒歩でも1日25~30キロメートルを、馬車なら35~40キロメートルを旅することができた。領土全体に張り巡らされたこの街道網により、どこで戦乱が起きてもローマ軍は素早く駆けつけることが可能になった。あの巨大な領土をわずか30万の兵士で守ることができたのは、この素晴らしい道路のおかげであり、堅固なセメントの威力によるものであった。

 もちろん、コロッセオや大浴場をはじめとする建造物群、各地から首都へ清潔な水を運んだ水道など、ローマのインフラにはみなセメントが活用されていた。この材料なくして、ローマ帝国の栄華はなかったに違いない。もちろん現代の文明もまた、セメントによって支えられている。

後編へつづく