ダムの面白さがわからない件

 最近、土木建造物を観光するのがブームになっているようだ。データをとってるわけではないので確証はないが、実感として、世間には思った以上に土木マニアが存在しているように感じる。
 実は何を隠そう私は工学部土木工学科の出身であり、それがなぜ今、こんなおさんぽライターになっているのか人生わからないものであるが、私の知る限り、学生当時、余暇に土木建造物を見にいく、などという物好きな人間は、土木工学科にもいなかった。
 土木は余暇のものではなく、業務であり、見るものではなく、使うものであり、かりに見たところでおおむね灰色で美しくないものであった。
 橋梁工学の教授が、いろいろな橋の写真を学生に見せながら、
「見てください、この美しい橋。惚れ惚れしますねえ」
 なんていうのを、だいぶ頭がおかしいと思いながら受講していた。専門家になると美的感覚が浮世離れしていくひとつの例として、自分はああなってはいけない戒めのようなものとして、その教授を眺めていたのである。
 それが今では、世の中に土木マニアがうようよいるという。土木工学科出身でもないのにだ。
 時代は変わり、みんな頭がおかしくなったのである。
 しかもジャンル毎にマニアがいるらしく、橋なんかはまだいいほうで、高速道路のジャンクションマニアとか、水門マニアとか、消波ブロックマニアとか、生まれてこのかた一度もまじまじと見たことないわ! というようなものにまでマニアが存在しているのだった。
 なかでも、おそらく一番多いのがダムマニアだ。ダムの人気が予想以上である。
 ダムねえ……。
 面白いだろうか。
 ダムなんて全国そこらじゅうにあって珍しくないし、見た目もだいたい似たようなもんじゃないか。たとえばドライブ中、地図にダムと書いてあったら寄りたくなるかといえば、まったくならない。
 むしろダム本体よりも、その貯水量のほうが面白いと思う。
 何のことかというと、ダムの貯水量が増えたり減ったりする、そのグラフが上下するさまが、スペクタクルだと思うのである。
 私は、ダムが水不足にならないよう、ネット上に公開されているいろんなダムの貯水率を日々見守っている。
 たとえばこの夏は利根川水系のダムが熱かった。
 なかでも群馬県みなかみ町にある矢木沢ダムは、梅雨入りの6月時点で、ダムの貯水率がほぼ1割にまで落ち込んでおり、例年を大幅に下回っていた。通常であればこの時期は三国山脈の雪解け水が流れ込み、ほぼ満水に近い状態なのであって、ここ20年で最も渇水だった年でも、5割ぐらいの水は貯まっていた。それが今年はほぼ1割。史上まれにみる大渇水であったのだ。
 利根川水系では取水制限が発令され、ホームページでは深刻な水不足の可能性が示唆されていた。
 私はひまがあると、矢木沢ダムのホームページをチェックするようになった。
 貯水量と貯水率は、10分毎にアップされる。それを眺めては、同時に周辺の天気予報を調べ、雨が降れば雨量を調べ、はては豪雨レーダーでリアルタイムの雨の具合を監視した。あまりに頻繁にチェックするので、仕事がちっとも進まなかったほどだった。
 といっても私の住むところは利根川水系ではないので、私はべつに水不足を心配していたわけではない。
 そうではなくて、この危機的状況から貯水量が回復していくグラフ上のスペクタクルを期待していたのだ。見ているのはただの数字の羅列に過ぎないが、そこにはドラマの予感があったのである。
 しかし矢木沢ダムはなかなか本気を出さなかった。
 ときどきは雨が降って貯水量が少し回復するのだが、梅雨だというのに大雨に見舞われることもなく、それどころか7月に入っても台風はなかなか来ないし、来たと思っても雨雲はダム上空を避けて通り、ようやく例年の半分の水位にまで回復したのは8月半ばのことだ。
 利根川水系には、上水道用のダムが8つあり、矢木沢ダムはその中で最大のダムだが、ほかにも奈良俣ダムと下久保ダムという大きなダムがあって、私はそれらの貯水量もチェックした。
 奈良俣ダムの状況は、矢木沢ダムと似たようなものだったが、下久保ダムは、ずっと南の群馬県と埼玉県の県境に位置し、雨の状況がまた違っていた。
 当初は矢木沢ダム同様かなりの渇水で、なかなか雨の降る気配がなかったものの、8月後半に日本に上陸した台風10号によって、ついに大雨となり、が然水位があがりはじめたかと思うと、瞬く間に貯水量を回復して、念願のスペクタクルが実現した。見ているのは数字の羅列だけれども、みるみるうちに回復するリアルタイムな貯水率に、大いに盛り上がったのである。
 いわゆる「キターーーーーーーー」というやつであった。
 おかげで利根川水系の取水制限は8月末に解除されたが、その間、矢木沢ダムはどうだったかというと、じわじわと地味に回復した程度で、9月になっても満杯に迫ることはなかった。
 しっかりしろよ矢木沢ダム。
 それにくらべて下久保ダムのエクスタシーといったら。
 ありがとう下久保ダム。というわけで、今年のチャンピオンは下久保ダム!
 ……って、私は何の話をしているのだろうか。
 ダムマニアがわからないという話だったかと思うが、それよりはるかにわからない話をしている気がする。
 今回はこういう話ではないのだった。スペクタクルを求めてさんぽに行くのである。

上のダムと下のダム

 私はあるとき、ネット上をぶらぶらしていて、見慣れないダム画像を発見した。
 正確にはダムではなく、それを利用した発電所だ。
 その名は、神流川(かんながわ)発電所。
 何が気になったかというと、発電機が置かれているのが山の地下奥深くにある巨大な空洞の中で、その空洞がすごい感じなのだった。
 ダムはもう見慣れてしまったけれども、地下の空洞は見慣れていない。ぜひ行ってみたい。
 というわけで私は、例によってシラカワ氏、スガノ氏とともに、高崎からレンカターで群馬県と埼玉県、そして長野県との県境にも近い上野村へ向かったのである。
 発電所のある上野村は、群馬県と埼玉県の県境を流れる神流川の上流で、そこは奇遇にも、下久保ダムのすぐそばだった。
 おお、下久保ダム。台風10号の感動が胸によみがえる。
 発電所は東京電力の敷地内にあり、勝手に行くことはできないので、見学するには、上野村と東京電力が共同で催行するツアーに参加することになる。
 ふれあい館という村の施設に車を停め、そこからは専用のバスに乗り換えだ。
 地下の発電所をわざわざ見に行こうというのだから、ツアー参加者はマニアばかりかと思っていたら、むしろ家族連れやリタイヤ組ふうの年配者がほとんどであった。土木ブームがご家庭にまで浸透しているということだろうか。まさか発電所の仕組みを勉強しに来たわけではあるまい。
 その辺はよくわからないままバスは川をさかのぼり、あるところからゲートをくぐって東電の敷地内に入った。ここからはヘルメットを装着する。
 橋を渡ると左側に開閉所があって、発電所でつくられた電気が最初に地表に出てくるところだそうだ。
 3本の柱があり、これが家庭にあるブレーカースイッチのような役目を果たしているという。ここから50万ボルトの送電線に接続され、首都圏に向けて電気を供給しているとのこと。
 50万ボルトと聞いても、それが凄い数字なのか、発電所ではふつうのことなのか、素人の私にはよくわからない。

開閉所。


 トンネルの入口があり、ここから一気に地下へ160m下る。
 われわれは160m下るだけだが、発電所は御巣鷹山の地表の下500mのところに位置すると言われている。
 このトンネル内の坂の傾斜が9%と教えられた。車のCMで有名になった鳥取県と島根県を結ぶ江島大橋が傾斜6%だから、あれ以上に急ということだ。資材を運ぶトレーラーが登れる最大の傾斜だという。
 とはいえバスに乗っている限りは急勾配の感じもなく、淡々と地下へおりていった。
 それにしてもなぜ、発電所をそんな地下深くに造らなければならないのだろうか。
 この神流川発電所は、揚水式発電といって、高さの違う2つのダムの間を管でつなぎ、上のダムで貯めた水を下のダムへ落下させて、その落下エネルギーでタービンを回し発電する。そのため発電所は2つのダムの間に造られ、高さは下のダムより低い位置になる。
 2つのダムの間は通常は山だから、どうしても発電所は地下になる。図でいうとこういうことである。

 


 なぜ落下した水を貯める下のダムが必要かというと、それこそが揚水式の特徴で、一度発電に使った下のダムの水を、電力の余っている時間帯にふたたび上のダムに汲みあげ、使用電力のピーク時にまたその水を使って発電するからである。
 つまり水は上と下の2つのダムの間を行ったりきたりするのだ。穴を掘ってまた埋めるみたいな、なんとも無駄な感じがするけれども、余った電力を無駄にしないためにはこういう施設が必要なのである。効率は約70%。つまりこの発電所を使って10の余剰電力を保存すると7の電力が使えるわけである。3割は失われてしまうが、それは原理的にしょうがない。
 気になったのは水のことで、水の身としては一度落下したらそのまま海まで流れたいんじゃないかと思うのだが、それをまた汲みあげられて落とされて、また汲みあげられて落とされて、たいがいにせーよ、と思わないだろうか。そもそも同じ水を何度も使って、腐らないのか。
 さらに驚くのは、下と上のダムで水系が違うということだ。
 上は信濃川水系、下は利根川水系なのである。
 となると揚水時に利根川の魚が、信濃川に移動することもありうる。生態系が変わってしまわないか、といえば、そこはもちろん対策が講じてあるそうだ。ダムの場所にもともとあった沢は、ダムを迂回させて水が混ざらないようになっているのだ。
 すごい。
 この世にそんなダムがあるとは。
 そんな手間をかけるなら、同じ水系にダムを造ればいいと思うのだが、どういうわけか分水嶺を跨いで造られ、長野県の山の上に、利根川水系の群馬県の川の水が貯められているのであった。
「この上のダムが南相木ダム、下のダムが上野ダムになります」
 案内の人は、下のダムが上野ダムというところを強調した。話がかたくなってきたところでのダジャレ投入は、できる社会人が身につけておくべき必須の作法のひとつである。

サムイボ的大空間

 さて説明が長くなったが、われわれはいよいよ地下500mの発電所にいる。
 ここには現在2基の発電機が設置されており、最終的には6基まで設置する計画だそうだ。
 部屋に入った瞬間、思わず、おおお、と声が出た。

 
 


 でかい。聞きしにまさるでかい穴だ。
 天井はアーチ状になっており、高さ52m。床の幅は33メートル、奥行き216mのやや高さのあるかまぼこ型の空間だ。
 半分はすでに発電機が置かれて発電所然とした光景だが、残る半分はまだコンクリートがむき出しのままだった。コンクリートの天井や壁一面には何やらポツポツとサムイボみたいなものがたくさん突き出ており、ナマコの腸内にでも入ったかのようだ。
 当然みなサムイボの正体が気になるらしく、案内の人も最初に説明してくれた。
 それはPSアンカーというのであった。
 天井や壁の崩壊を防ぐため、土中奥深くに向けて3700本もの杭(PSアンカー)が打ってあり、サムイボに見えるのはその頭だ。図にするとこういうことである。

 


 プロが考えたのだから、きっと素晴らしいアイデアに違いないが、素人には理屈がわからない。下手に杭なんか打ったらかえって壁が崩れてくるんじゃないか。へんに刺激しないで、そっとしておいたほうがいい気がする。
 だが、ここで私はウニを思い出し、考えをあらためた。
 ウニも中身はうにゃうにゃで支えがなく、死んで骨だけになったときは、ちょっと触れただけでもすぐに崩れてしまう。しかし、トゲトゲに生きているときは型崩れせず頑丈だ。つまりトゲトゲは生命力の源なのであり、本人の気合いを形にしたものともとれる。PSアンカーとは気合いの注入を意味しているのかもしれない。

サムイボ的空間こと「大空洞」の説明板。国語の教科書に載ってた詩のようなコピーが。


 発電機は1基で最大47万キロワット、2基あわせて94万キロワット発電することができる。これはだいたい大型火力1基分、約30万世帯分の電気になるらしい。
 われわれに見えるのは、円柱形のでっかいボタンみたいなものだけだが、本体は下にあって、そのタービンを逆回転させると、下の上野ダムから高低差にして653m上の南相木ダムまで水を汲みあげられるというから、そんじょそこらのボタンと思ったら大まちがいである。

そんじょそこらのボタンではなく、発電機です。


 などと説明を受けていたら、突如、館内放送が流れ、発電を開始するとのこと。
「みなさんは運がいいですね。発電機が動き始める瞬間を体験できることはなかなかありません。ジェット機が通過するぐらいの大きな音がしますから、気を付けてください」
 と言われて、待っていると、まずはキュウウウウウウという期待感盛り上げ音みたいなのがして、それがどんどん大きくなり、発電の準備が整うと、ドカーンという音とともに送電線に接続するスイッチが入って、発電が始まったようだった。
 「発電操作開始からわずか数分で最大出力まで上げられるのがここの特徴です」
 最大で毎秒85トンの水が落ちてくるというから、管の中はものすごいことになっているにちがいない。特殊な鋼材でできた管は水深1200mの水圧に耐えられる設計だそうである。
 ほかにも1万7000アンペアの電流が流れるパイプがあって、これは相当太くないと焼き切れてしまうとか、何かと話がでかいのであるが、見た目はまあ、素人から見ると、なんかのパイプだなあという程度で、円柱形のボタン同様スペクタクルとはほど遠かった。しかし一方で、そういうでかい話を聞きながらサムイボ大空洞を見ると、これについてはますます味わいが増すようだった。

ちょっとSF感もある。
上から見下ろすとさらにSF感が増す。

土木建造物と崇高

 案内の人の話によると、これらは沼田のコントロールセンターから指令を出して運転しているという。
 意外にもこの神流川発電所は、通常は無人なのだった。
 今はわれわれのために照明も点いているけれど、普段は全部まっ暗なのだ。そしてそんなまっ暗な大空洞で突如発電を始め、人知れずドカーンという大きな音を立てたりしているのである。
 私は無人の発電所を想像してみた。
 それは、とても秘密めいて、なんだか古代の神殿のようだった。
 もはや人間でないものがそれを動かしている感じがする。
 実際は沼田のコントロールセンターが動かしているのだが、そうと知っていても、どこか謎めいた感じだ。
 そしてその瞬間、私は、ああ、そうだった、とあることを思い出した。
 かつて私は日本全国に建つ巨大な観音像を見てまわったことがある。私には巨大仏に対する信仰心などまったくなかったのだが、周囲の環境とかみあわない尺度の巨大な人工物は、仏だからということとは関係ないところで、あの世を想起させた。言葉でうまく言えないが、この世以外のところから、何かがぬっと顔を出したような不気味さを感じたのである。
 ダムやこの大空洞も、そのスケールがあまりにも並はずれているために、どちらも人間の手によるものでありながら、人間でないものが造ったかのような感触を覚える。
 もしダムの建設技術を忘れた未来人が各地のダムを見たら、あるいは神や宇宙人の仕業と思うかもしれない。そのぐらいダムの巨大さは人間の親しみを超越している。似たようなものが他にあるとすればエジプトのピラミッドだろうか。
 そしてまさにその超越のなかに、土木建造物人気の秘密が隠されているのではないだろうか。
 17世紀から18世紀にかけて、イギリス人によるヨーロッパ大陸旅行が流行した際、それまで耕作にも適さず恐怖を催させるだけだったアルプス山脈に、旅行者たちが新しい美を見出した事例を思い起こさせる。
 彼らはその美を「崇高さ」と名付けた。
 人間の尺度からかけはなれた巨大さや、まったくぬくもりを感じさせない非情さに、ある種の神々しさを見出したのだ。
 ダムや土木建造物を見る人は、本人は意識していなくても、風景のもつそんな「崇高さ」に惹かれているのかもしれない。
 スペクタクルとは、ある種の宗教性でもあるのだ。
 思わぬ壮大な話になってきたが、そういえばダムの貯水量の増減も、人間の手には負えない天の采配によるものだった。あれもやはり「崇高さ」に通じていたのかもしれない。
 こうして神流川発電所の見学は、ほぼ1時間程度で終わった。
 終わってみれば、最初は面白みがさっぱりわからなかった土木建造物を、もっと見たいような気がしてきた。(撮影・菅野健児)

上野ダムには事前予約なしでも立ち寄ることができます(4~11月は9時30分~16時30分、12~3月は冬季閉鎖)。