歩けば問題にあたるのが、イタリア。
 毎朝目を覚ますと、さて今日は何が待ち受けているのだろうか、と心が騒ぐ。些細なことから深刻なものまで、実にさまざまな問題がやってくる。
 土曜日。昨日までの大雨が上がって、美しい秋晴れの朝である。
 これからの行楽日和にいつでも出かけられるように、久しぶりに洗車をしてガソリンを入れておこう。
 家のすぐ前にある、地下駐車場へと下りていった。
 各階に、三十の車庫が並ぶ。二十四時間体制で、監視カメラに盗難防止警報が作動する。新築。市役所を介して、国の文化財・文化活動省に建築申請願いを出し、待つこと二十二年。ようやく許可が下りて、地下四階の駐車場は完成した。歴史的旧市街地区にあるため、外観はもちろんのこと、地下であろうが裏で見えなかろうが、建物に由緒があろうがなかろうが、当局の許可なしには建築や改築は取りかかれない。歴史ある景観を変えてはならない。過ぎ去った時間は、現在と未来の共有財産なのだ。

 車庫の前で凍りついた。新品のシャッターに、無残にドリルで穴がこじ開けられている。誰だ? 泥棒だ。
 晴れた土曜日に、暗雲が立ち込めかかる。現場の状況を写真に撮って、月曜日に備える。写真の他に、身分証明書、車庫証明書、居住証明書を揃えて、最寄りの警察署へ被害届けを出しに行くためである。土曜日は、警察の窓口は閉まっている。盗難や事故は、たいてい週末に降りかかるものなのだ。これまでもそうだった。
 「今週は、地下二階か」
 ミニバスを地下二階の入り口で停めて、こちらに手を振る人がいる。近くに住むカメラマンだった。
 「先月は、地下四階が総ナメだったよ」
 気分転換に、ピエモンテ州とリグリア州、エミリア・ロマーニャ州、ロンバルディア州に囲まれた山村へ行くことにした。以前からそのカメラマンに、縁あって見つけた家畜小屋がある、と聞かされていた。こつこつと二年かけて、住めるように自分で建て替えた、という。
 「深い山奥で、文化財・文化活動省の立ち入り検査もなくてね。それに、そこの人口はたったの四人なんだよ」
 鍵がかからない車庫に車を残したままにしておくのは、次の盗賊に据え膳を食わせるようなものじゃないか、と誘われて、車に飛び乗った。

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 高速道路を走ったのはわずかで、県道に下りて山へ向かってひたすら走る。車窓の中は、秋。葡萄を始め野菜の収穫が終わった農地は、掘り起こされて黒々と湿っている。橙色や黄色の並木道の向こうに、青く濃淡に尾根が連なっている。山頂は、薄霧で隠れている。
 建て直したばかりの家は四人しかいない村の真ん中にあり、玄関前の泥拭いの下に鍵は置いてあった。どの窓も普通のガラス張りで、「朝日と夕日が入らなくなるので、鎧戸は付けなかった」。 
 四匹、五匹、犬がわらわらと出てきて喜んでいる。近隣の山々は、黒トリュフの産地として有名だ。自由に村を走るのは、トリュフ犬である。狩猟犬とトリュフ犬、盲導犬の訓練所が山麓にあるという。嗅覚が探し当ててくるものは、犬と飼い主だけのものだ。いくら手なずけても、よそ者に宝物の在り処は教えてくれない。
 ミラノ人の週末だけの家は、冷え切っている。ストーブに薪をくべ、勢いが上がったところで湯を沸かす。買い置きもなく、あるのはスパゲッティとニンニク、オイルだけ。隣の廃屋脇に、唐辛子が立ち枯れている。実をちぎり取り、フライパンに加える。麺が茹で上がるまでの待ち時間数分で、
 「住民四人のうちの一人と葡萄を絞ったのが、もうワインになっているか味見に行こう」
 カメラマンと納屋へ行く。まだざらついて酸いのに、「旨い旨い!」と、飲んでいる。

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 腹ごなしに、夕食の食材を買いに近くの村まで歩いていこう、と言われた。
 舗装されていない道は、延々と上り坂である。途中で、麓から見た尾根を歩いているのだ、と気がついた。家を出てから三時間。ようやく隣の村に着く。
 薄暗い中、一軒だけ低く明かりが灯っている。
 カウンターの空きはわずかで、端までチューインガムやビスケットが並べてある。横のガラスケースには、オイル漬けの野菜やツナ、壁際には野菜を入れたプラスチックケースが重ね置いてあり、昨日付けの新聞に水、ゲーム機、宝くじ、椅子とテーブル、埃まみれのクラフトビールが並ぶ棚がある。
 ガラスケースの中の食材はどれもくすんだ色合いで、出来の悪い蝋細工のようだ。不思議なものが目に付いた。黄色がかった丸型で、三重の同心円が段々と盛り上がっている。
 「<三種の乳>という名の特産チーズです」
 老いた店主が誇らしげに言った。十五世紀に修道院で作られ始め、羊、ヤギ、牛の乳を別々に熟成チーズに仕上げ、三重に巻く。中世の祝宴に出された、貴重な一品だったという。
 「まったく同じ形で同じ作り方のチーズが、インドの内陸部でも作られているそうですよ。ジェノヴァの商人が保存食として長い船旅に持って行き作り方を教えたらしいのです」
 その店まで歩いてきた山道は、かつて商人が塩を運んだ道なのだった。

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 塩の道の話とぐるぐる巻きのチーズを抱えて、ミラノに戻った。思いがけない土曜日となった。
 こじ開けられた車庫の穴で、引き換えに面白いネタを拾えたなあ、と得した気分だった。イタリア式厄落としだったのかもしれない。

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