最近やれ、観光客が多すぎる、とか、ゴミだらけ、とか、冠水で町が沈む、など愚痴とため息ばかりのヴェネツィアの友人たちが、
 「新名所ができたので、ぜひ見に来て!」
 と、誇らしげに連絡をくれた。大型商業施設だという。
 中世からの豪華絢爛な遺跡に囲まれて暮らしていると、鉄筋コンクリートとガラスでできた、無機質で未来都市のような空間は憧憬なのだろう。最近イタリアでも、郊外の畑の真ん中に忽然と大型ショッピングセンターが建築されている。映画館やゲームセンター、レストランや美容院に遊技場も備えて、手軽な週末の外出先として子供連れや若いカップルに人気だ。
 自慢の新商業施設もきっとそういう類なのかと思っていると、場所はリアルト橋の袂(たもと)だという。
 ヴェネツィア本島を二分するように大運河が流れ、ちょうど真ん中の地点にリアルト橋は架かっている。ヴェネツィアを訪れる人たちはまずリアルト橋を目指し、そこからそぞろ歩いてサン・マルコ広場へと向かう。観光客が群れる通りには、立錐の余地なく商店が軒を並べている。ガラス細工や仮面、切りピッツァや絵葉書、Tシャツに皮革製品。数知れない路地があるヴェネツィアで、リアルト橋からサン・マルコ広場へのこの道が最も人通りが多く、商売の激戦地区である。
 いったん商権を手にしたら決して放さない店舗が並ぶこの地区の、いったいどこに大型商業施設を造るほどの余地があったのか。

©UNO Associates Inc.


 半信半疑で訪ねてみると、リアルト橋を渡ったすぐそばの細い通りに面して改築が終わったばかりの建物があった。四階建てか。抜け道のような細い道と目抜通りの交差する角を占めるものの、表から見るにそれほど荘厳な印象はない。
 そういえばこの数年、外壁には工事用の足場が組まれ、埃除けのシートで覆われていたのを思い出す。
 小道に面した二辺には、小さめのショーウインドウが二つ、三つ。目立たない入り口は、ありふれた百貨店のようなガラス扉である。入っていく人はほとんどいない。ガラス扉越しに店内を覗き込み、高級なガラス製品や宝飾品が並ぶありきたりな様子に少々拍子抜けした。
 中に入らず引き返そう、と思っていると、おもむろに目の前のガラス扉が開いた。黒い制服の男性店員が恭しく黙礼し、待っている。回転扉のように、絶妙の間合いで一人ずつ迎え入れては一人送り出す。
 <五つ星のホテルのような>
 と入ってみて、驚いた。

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 表から見えていた建物の二辺は、ごく一部にしかすぎなかった。四辺には廊下が回(めぐ)り、食品から高級衣服、時計や貴金属まで、さまざまな商品ケースが並んでいる。店員たちは、モノトーンの制服で恭しく窓際に控えている。四辺に囲まれた中央は、吹き抜けの広い空間になっている。ロビーのようだ。ヴェネツィアン・レッド色のエスカレーターが上階へ延び、その脇を金色の壁が沿う。低い照明は間仕切りを抜けて、床にアラベスク模様を投げかけている。各階からはパティオに向かって、各売り場の案内を織り込んだタペストリーが掛かっている。かつてオスマントルコの来賓を歓迎するとき、窓からタペストリーを掛けたように。

 建物の名前は、『フォンダコ・デイ・テデスキ』という。建立はさかのぼること、十三世紀。トルコからの商材を扱った、ドイツ商人たち専用の倉庫だった。一階から地下に商材を置き、商人たちは上階に宿泊した。ヴェネツィア共和国の主要な収入源は、商材の売買による利益よりも、入港して取引される商材への関税だった。中でもドイツ商人たちは辣腕で、飛び抜けて貴重で高額な荷を大量に売りさばいていた。トルコから買い付けてきた胡椒をはじめとする香料に金、銀、貴石である。交易業者たちの密輸密売を阻止するために、ヴェネツィアは各国ごとに商人たちを一箇所に囲い込んで滞在させ、宿泊料と商材への関税を徴収した。
 <フォンダコ>は、アラブ語が語源で<宿屋>という意味である。この建物は、<ドイツ人の旅籠(はたご)>。最も高額な納税者であるドイツ商人たちをヴェネツィアの一等地へと招待し歓待するように見せかけて、実はその一挙一動を監視したのだった。
 改築して十月に披露されたばかりの、売り場床面積六八〇〇平米にも及ぶこの商業施設には、現代のヴェネツィアを象徴する上質の商品が厳選されて並ぶ。それは、中世この建物の中で、ドイツ商人たちが当代最高のものを取引した歴史になぞらえてのことなのである。

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 十八世紀にヴェネツィア共和国が倒れたあと、長らく<ドイツ人の旅籠>は閉鎖されたままだった。再利用したのは、ムッソリーニである。彼は、建物ごと郵便局に改築した。
 彼にとって、おのれの時代を象徴する最高のものは、情報拠点だったのだろうか。

 屋上に出ると、そこには三六〇度のヴェネツィアが広がっていた。
 時代を超えて変わらぬ最高のもの。それは、ここに立つ、ということだったのではないか。

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