「おかいこさま」

 小学校の社会科の時間に、地図記号を暗記した記憶がある。その時、筆者が子供ながらに疑問に思ったのが、「桑畑」という記号の存在であった。筆者の住んでいたあたりには、田畑や山林はあっても桑畑など見たこともなかったし、地図にも桑畑の記号はほとんど見当たらない。なのに、なぜわざわざ専用の記号が作られたのだろう?

桑畑(そらみみ / Wikipedia Commons)


 実は昭和初期まで遡れば、桑畑の記号があるのは不思議でも何でもないとわかる。この頃には、全畑地面積の4分の1を桑畑が占めていたのだ。戦前は、日本の農家の約4割が家で蚕を飼っていた。その餌として必要不可欠な桑が、大量に栽培されるのは当然のことであった。蚕の餌となる桑の畑は、神聖な空間と見なされた。雷が落ちた時、災厄がやってきそうな時に「桑原桑原」と唱えるのはこれに由来する。

 農家の屋内には、人間が寝るスペースさえ削って蚕棚が作られ、蚕が桑の葉をむさぼり食う音が響き渡っていた。このため、養蚕は日本の民家の造りにも大きな影響を与えている。たとえば世界遺産ともなっている飛騨の合掌造りの独特の形状は、積雪に耐えつつ、蚕棚をなるべく多く設置できる三階・四階建てとして工夫されたものだ。

合掌造り(白川郷)(663highland / Wikipedia Commons)


 蚕は卵から孵ってから繭を作るまで30日ほどかかるが、その間温度や湿度を管理しながら大事に育てられた。何しろ繭は高値で買い取られ、農家にとって貴重な収入源となる。「おかいこさま」と呼ぶほどに、彼らが蚕を慈しんで育てたのも当然のことであった。

 蚕の幼虫の成長は、5齢に分けられる。卵から孵ったばかりの幼虫は黒く、まばらな毛に覆われているが、やがて白い芋虫状に変わる。5齢期に入ると、約1週間大量の桑の葉を食べ、体重にして孵化当初の1万倍も成長する。やがて体が金色に透き通ると、適当な隙間を求めて歩き回り始める。よい場所を見つけると、幼虫は頭を8の字に振りながら、糸を吐いて繭を作る。一匹の蚕が吐き出す糸の長さは、最高1500メートルにも及ぶ。

  • 孵化7日目の幼虫(Gerd A.T. Müller / Wikipedia Commons)
  • 糸を吐く5齢幼虫(Tom or Jerry / Wikipedia Commons)
  • 繭(Gerd A.T. Müller / Wikipedia Commons)


 得られた繭は、工場で選別され、良質なものだけを湯で煮る。中の蛹がせっかくの繭を破って出てくるのを防ぐためと、糸同士を貼り付けている膠質を煮溶かしてほぐれやすくするためだ。繭の表面をほうきのような器具で軽くこすると、糸の端(いとぐち)が引き出されてくる。これを巻き取っていくことで、生糸が生まれる。

 生糸は、灰汁(あく)などのアルカリ分と共に煮ることで、真っ白く手触りのよい、我々の知る絹糸へと化ける。実に手間のかかる工程ではあるが、得られる絹糸の持つ艶と風合いは、他のどんな繊維も及ぶところではない。

絹の起源

 絹と日本人の関わりは、何も明治になって急に始まったことではない。「古事記」には、次のような蚕の起源神話が記されている。スサノオノミコトが、食物の神であるオオゲツヒメノカミに食物を求めたところ、オオゲツヒメは鼻と口、そして尻から、各種の美味な食物を取り出し、差し出した。しかしスサノオノミコトはこれを見て、汚い食物を出されたと怒ってオオゲツヒメを殺してしまった。オオゲツヒメの死体の頭からは、蚕が生じた。その他、目からは稲が、鼻からは小豆が、耳からは粟が、陰部からは麦が、尻からは大豆が生じた、という。

『須佐之男命(スサノオノミコト)』(歌川国芳作)


 日本書紀などにも、登場人物は異なるが類似の神話が記載されている。面白いのは、いずれも重要な作物と並んで蚕が生まれていること、そして蚕は頭部から生まれている点だ。神話の時代から、すでに蚕は五穀と肩を並べるか、あるいはそれらを上回るほど重要視され、神聖視されていたことを窺わせる。

 中国でも、中華民族の始祖とされる神・伏羲が、蚕の繭から絹糸を紡ぎ、織物を作るすべを人々に教えたという神話が残る。実際にも、浙江省の遺跡から約4700年前の絹織物が出土しており、すでに高度な製糸及び織布の技術が存在していたことを物語る。一説には、人類が絹を利用し始めたのは、1万年近く前ともいわれる。

『伏羲座像』(馬麟画)


 絹と人間の縁の深さは、我々が日常使っている漢字にも表れている。たとえば「緒」は繭から最初に糸を引き出す際の糸の端、「いとぐち」を意味する。「一緒」は、ひとつの糸筋につながっているという意味だ。「紀」の字も、いとぐちを見つけ出すという意味から始まり、これが筋道を立てる、順序立てて書くといった意味に広がっていった。「純」はもともと「まじりけのない絹の生糸」を意味する字であったし、「素」は染めていない白い絹糸を指す字であった。「練」の字は、もともと生糸を練る、すなわち生糸をよく煮て白く柔らかくすることを意味し、これが「鍛える」という意味に転用された(ただし、こうした字源には別説もある)。いずれの字も、絹糸に関することから意味が広がっていったものだ。いかに絹糸が、古代の人々に近いところにあったかわかる。

絹の秘密

 数々の優秀な繊維が安価に手に入る現代にあっても、絹は変わらず人々の憧れであり続けている。滑らかな手触り、艶やかな光沢はもちろんのこと、長年の使用に耐えるほど丈夫であること、染料で様々な色合いに染まり、美しい織物を作り出せることも見逃せない。

フィブロインの構造。グリシン、アラニン、セリンなどの比較的小さなアミノ酸が多く含まれる


 絹の主成分は、フィブロインという名のタンパク質だ。タンパク質とは、生体の中で極めて重要な役割を果たす化合物群で、アミノ酸が一列に長くつながってできている。このことがわかったのも、絹の研究においてであった。20世紀初頭、化学者フィッシャーはフィブロインの分解物の中に各種のアミノ酸を発見したのだ。絹はタンパク質の研究史においても、極めて重大な役割を演じたことになる。

エミール・フィッシャー(1852-1919年)


 先述のように、絹糸は極めて丈夫で長持ちする。これは、実は非常に不思議なことだ。通常、タンパク質とは腐敗しやすい物質だ。同じくタンパク質を主成分とする食肉を、暑い日に外に放り出しておけば、ものの数時間で細菌が繁殖し、やがては溶けていく。細菌が放出する消化酵素によってタンパク質がアミノ酸単位へ分解され、最終的には二酸化炭素や水へと還ってしまうためだ。

 しかし絹は食肉と違って分解せず、数千年の時の流れにも耐える。これは、フィブロインタンパク質を構成するアミノ酸が、βシートやβターンと呼ばれる折りたたみ方を多く含んでいるためだ。この構造はほどけにくく、消化酵素の攻撃に強いことが知られている。

βターンの構造図(Muskid / Wikipedia Commons)


 また近年、絹糸はトリプシンインヒビターと呼ばれるタンパク質を含んでいることがわかった。これは、消化酵素の一種であるトリプシンに結合し、そのはたらきをブロックする。おそらく、外敵の消化酵素から絹糸を守る役目を負っているのだろう。いわば、絹は天然の防腐剤を持っているわけだ。

 フィブロインは、蚕の体内ではどろどろの液状だが、口から吐き出される時に細く引き伸ばされ、βシートなどに富んだ構造になると考えられている。液体が、一瞬にして丈夫な繊維へ化けるのだから不思議だ。こうした現象は、他のあらゆるタンパク質にも例を見ない。こうした丈夫なフィブロイン繊維が、さらに束となってできた絹糸は、同じ太さの鋼鉄よりも切れにくいという驚くべき強度を示す。

 蚕が吐き出したばかりの糸は、フィブロインのまわりをセリシンというタンパク質が覆っている。これは、糸同士を貼り合わせ、繭の形を保つはたらきがある。繭から糸を巻き取る前によく煮るのは、このセリシンを煮溶かして繭をほぐれやすくする作業だ。

 セリシンが除かれると、繊維の内部には無数の空隙が生じる。ここに湿気が入り込むために、絹は吸湿性に優れる。また、含まれた空気が熱を遮断するために保温性もよい。絹がしっかりと美しく染め上がるのは、内部の空間に染料が入り込むためだ。また、絹の繊維はフィブロインが三角形状の束になっており、これが光を屈折・反射させるために、美しい光沢を示す。単純なアミノ酸の組み合わせながら、絹糸は恐ろしくよくできた構造物なのだ。

後編へつづく