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村井さんちの生活

 1年ほど前、同じ中学、高校に通った同級生から、数十年ぶりにソーシャルネットワーキングサービスを通じて、友達申請という形で連絡があった。最初は誰だかわからなかったが、掲載されていた写真を見て、しばらくして気がついた。名字が変わっているから確信はなかったけれど、確かに面影がある。同じクラスで共に学んだ同級生だ。すぐに承認をして、メッセージを交わし合った。ひょんなことから私のことを思いだし、名前で検索してみたという。名字が変わっていたから自信がなかったけれど、色々と調べて私だと確信したらしい。「関西に住んでいるんだね。びっくりしたよ」というメッセージに、「見つけてくれてありがとう」と返信した。それ以降、交流が続いている。

 彼女の友達申請を受けて以降、同級生からの友達申請が相次いだ。誰かと誰かが繋がると、そのまた友達に「もしかしてあなたのお友達では?」と尋ねて回るという、ある意味おせっかいな機能のおかげである。次々と送られてくる友達申請に多少戸惑いながらも、懐かしい顔を見る度に嬉しくて、次々と申請を受けていった。

 実は、過去に一度も同窓会には出席していないし、卒業後、一度として同級生に会ったことも、母校を訪れたこともなかった。意図的に避けていたわけでもないのだけれど、私自身に過去を懐かしむ余裕というものがなかったのだと思う。それに加え、私はあまり真面目な生徒ではなく、常に教師に叱られていたこともあって、そんなやんちゃな時代の自分が恥ずかしくて、できればひっそりと隠れて暮らしていたいという思いがほんの少しあったからだ。

 今となっては、同級生達の子供の晴れ姿や、部活での活躍ぶりを見るのが毎朝の楽しみになっている。中には、子供がすでに成人して子育てを卒業し、晴れやかな笑顔で趣味に仕事に全力投球している人もいる。みんなそれぞれ、今まで一生懸命に生きてきて、それぞれ幸せな暮らしを見つけたようだ。そんな姿を見るにつけ、思わず涙が出てしまう。最近は涙腺が脆くなってしまい、本当に情けない。でも、彼女達の元気な姿が自分の力になるような気がするのだ。

 一方、心配なのは、私が海外で学んでいた時代の同級生や、仕事を通じて知り合った友人達のことだ。その多くがアメリカ在住だが、この1ヶ月、彼らの投稿はほぼすべて大統領選一色だった。その内容は、この度の選挙で共和党の指名する大統領候補に1票を投じることはないだろうと思わせるものだった。長らくアメリカ大統領選挙戦をウォッチしてきた私自身も、女性を軽視する発言や、人種差別的発言を繰り返す共和党候補が、よもや大統領になる未来が来るとは夢にも思っていなかった人間の一人だ。いや、そうなることを望んでいなかったし、そうならないでくれと祈るような気持ちだった。

 大方の予想が、十中八九、民主党候補の勝利と、アメリカ史上初の女性大統領誕生を示唆していた投票日当日、開票が進み、アメリカ全土の地図が共和党カラーの赤に染まっていくにつれ、友人達の動揺が激しくなっていった。私自身も、まさかの結果が出るのではと手に汗を握って選挙速報を見ていた。最終的に共和党候補の当選が確実になったときには、呆然としてしまった。

 あれだけ活発だったソーシャルネットワーキングサービスへの投稿も、選挙結果が出た後はぴたりと止んだ。彼らの選挙疲れと落胆は、私が想像していた以上に深刻だ。「何も信じられなくなった」とメールをくれた友人に、かける言葉もない。誰もが消耗し、ストレスに耐えた夜だったのだと思う。これからどうすればと嘆く人に、きっと大丈夫だよなんて言葉はあまりに軽率だ。今は、I’m with you(あなたと共にいます)というオーラを発しつつ、ただ見守るしかない。悲嘆に暮れていたセレブリティ達は、こぞってポジティブなメッセージを発信しはじめたが、私の同級生や友人達が再び立ち上がるには、もう少し時間が必要なのかもしれない。

 長年大統領を追いかけ続けてきた私としては、次期大統領がどのように職務を全うしていくか、これからも注視していきたいという気持ちはある。気持ちはあるのだけれど、意欲が湧いてこない。どこか興味深い点を探そうと躍起になるのだが、髪型以外見つからない。一方、次期ファーストレディは、もしかしたら大化けするのではという期待もある。美しい人だし、社交には長けている印象がある。今後開かれる晩餐会で着用するドレスも楽しみではある。それでも、やはり悩んでしまう。大統領ウォッチャーを引退するのか、しないのか。大変下らないことで申し訳ないが、私も岐路に立たされている。

 選挙当日の夜、現職のオバマ大統領は、こんな言葉で国民に呼びかけた。

 "No matter what happens, the sun will rise in the morning"
(何が起きようとも、朝になれば陽はまた昇る) 

 所詮、当事者でないから簡単に言えるのかもしれない。それでも、朝になれば陽はまた昇ると信じて進み続けるしかないのが、今、この時なのだろう。いいことばかりではないだろうし、激動の4年になる可能性もある。だからといって、今日できることを諦める理由はひとつもないと思えるのだ。

中津川にて。

 

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥


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