親鸞と道元の挑戦

 これまでの論考で私は、ゴータマ・ブッダの最もユニークで根本的な教えを、無常・無我・無記・縁起などの教えに見て、これを我々の実存を語るキータームとして捉えてきた。
 そして、彼の後、明確には上座部の教学以後、無常や無我とは相反する実体論的思考や超越的理念がどうブッダの教えに導入されていったかを略述した。
 この観点からインド・中国の仏教諸思想を検討して、本論考は日本列島における共同体「日本」の仏教に至った。
 「日本」産思想の特色は、『古事記』以来、実体論や超越的理念を核心とする形而上学的思考を必要としない態度が通底していることである。その思想的な基軸は、地縁血縁を基盤として構成された共同体の現状維持を目的とする「ありのまま」肯定主義ともいうべきアイデアである。
 前回までは、この「日本」的思想風土において、仏教がどう機能してきたかを見てきた。つまり、「日本」においては、「ありのまま」主義に資する限りにおいて、あるいは「ありのまま」主義が許容する限りにおいて、仏教に引き込まれてきた超越的理念が利用されたと言えよう(典型が天台本覚思想)。
 その最初の突破は、いきなり一神教的パラダイムの浄土教を持ち込んだ法然の革命であったが、これはまさに「日本」と直接衝突する考え方である。「法難」は当然であろう。
 では、「ありのまま」主義を突破する、他の思想はありえなかったか?
 そもそも、上述したゴータマ・ブッダの根本思想は、形而上学的な思想と相容れないばかりか、「ありのまま」も肯定しない(「ありのまま」自体が無常では「ありのままでよい」にはならない)。
 ところが、それと同時に、「ありのまま」主義の思想風土は本来形而上学を必要としなかった。ならば、超越的理念や実体論的思想と正面から対決した上でそれを解体し、無常・無我・無記・縁起の思想を確保する言説が、「日本」に現れる可能性も必然性もあるはずである。
 その言説こそ、親鸞(一一七三~一二六三)と道元(一二〇〇~一二五三)の思想と実践であり、いわば「日本」における形而「上」学ならぬ形而「外」学であり、ゴータマ・ブッダの根本思想をそれぞれの方法で捉え直したのだと、私は考えている。
 私の無謀な企てで始まった仏教思想の物語は、この二人の言説の検討で、ひとまず落着する。

親鸞聖人(1173-1263)、83歳の姿(「安城御影」)

 

法然と親鸞、その連続と非連続

 本論考で私は、法然に帰依する以前の親鸞に触れず、彼に対する法然の影響に関説しない。注目するのは法然との連続ではなくて非連続である。私は、この非連続はあくまで非連続なのであって、巷間言われているように親鸞は法然の思想を「発展」させたわけでも「深化」させたわけでもない、と考える。二人は問題設定とパースペクティブが異なるのだ。
 親鸞は法然の紛れもない高弟であり、師の浄土思想の敬虔な継承者であるという自覚があったに違いない。
 しかし、彼らにおいては、中国伝来の浄土教に対する態度の取り方が決定的に違う。
 法然の場合、浄土教帰依の大前提は、大乗仏教が一切衆生を成仏させる(=救済する)教えだ、ということである。『選択本願念仏集』に結実した彼の思想は、この大前提の承認、あるいは確信からの論理的帰結である。
 有名な親鸞の「悪人正機説」も法然由来とされるが、法然の「悪人」は人間一般の実存の言い換えであり、である以上、論理的には、人間たる法然本人も自身を「悪人」に位置づけていたに違いない。
 が、しかし、比叡山で「智慧第一」と呼ばれ、生涯戒律を厳格に護持したとされる彼は、「悪人」として生きていたわけではない。つまり、法然の「悪人」は思想の問題であって、実存の問題ではない。
 親鸞は事情が違う。彼の「悪人」は、まず第一に親鸞自身の実存の問題であった。

照らし出される「悪人」

 たとえば、このような述懐はひとつの典型である。

「悲しきかな愚禿鸞、愛欲の広海に沈没(ちんもち)し、名利の太山に迷惑して定聚(じょうじゅ)の数に入ることを喜ばず、真証の証に近づくことを快(たの)しまざることを、恥づべし傷(いた)むべし」(『教行信証』「信」巻)

 この一節の前半は、妻帯に踏み切り、「僧にあらず俗にあらず」と言い、「愚禿」と自称した彼の胸中をよく表している。
 しかし、私は彼のいわゆる「女犯」「妻帯」が、彼の「悪人」の自覚の核心にあるとは思えない。
 当時すでにそのような「無戒」「破戒」の僧侶は蔓延していた。彼はそのような僧侶の同類という意味で「悪人」を自覚していたのだろうか。私は違うと考える。
 有名な六角堂の夢告(救世〔ぐぜ〕観音が身代わりとなって親鸞に「女犯」させようとした夢)を受けたという話は、彼がこの問題に極めて意志的に取り組んでいたことを物語るものであり、時の「無戒」「破戒」僧の偽善への挑戦である。つまり、彼の「僧にあらず俗にあらず」は、「無戒」「破戒」とは一線を画す態度であろう。
 さらにその後、法然門下に入ってから妻帯したとなれば、その行為は確信犯的であり、彼は妻帯が法然の教えに致命的に背反し、阿弥陀如来の本願による救済から漏れる行為だとは、考えていなかったと言うべきである。
 だとすると、彼の妻帯は「悪人」の一部ではあるが、全体でも核心でもない。
 問題は引用文の後半である。すなわち、極楽往生して最後に成仏すると定まった者になったことを喜ばず、真理である浄土の教えの悟りに近づくことも快く思わない、という感慨である。同じような言葉は、彼の和歌(和讃)にもある。

「浄土真宗に帰すれども 真実の心はありがたし 虚仮不実のわが身にて 清浄の心もさらになし」(『正像末和讃』)

 このような言説は、親鸞自身と浄土の教えとの間にある、深淵ともいうべき裂け目を表現している。『歎異抄』を引きながら、さらに具体的に見ておこう。

『歎異抄』の言葉

 まず挙げたいのは、この驚くべき一文である。

「念仏はまことに浄土にむまるゝたねにてやはんべるらん、また地獄におつべき業にてやはんべるらん。惣じてもて存知せざるなり。たとひ法然聖人にすかされまひらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからずさふらふ」

 要するにこれは、自分は念仏往生に確信は持てないが、師である法然の教えに賭けている、他に術がないのだ、ということである。しかもこの言葉は、実に親鸞の晩年、八十三、四歳頃のものと推察されているのだ。この言い方は、どう見ても、絶対的救済者と無力な信仰者という一神教的パラダイムを素直に前提としてきた者の態度ではない。
 さらに、弟子の唯円が、念仏していても大して喜びはないし、往生したい気持ちにもならないと言うと、

「親鸞もこの不審ありつるに、唯円房おなじこゝろにてあるなり。(中略)よろこぶべきこゝろをおさへて、よろこばせざるは煩悩の所為なり。しかるに、仏かねてしろしめして煩悩具足の凡夫とおほせられたることなれば、他力の悲願は、かくのごとし。われらがためなりけりとしられて、いよいよたのもしくおぼゆるなり」

 親鸞も唯円とまったく同じ気持ちなのだと述べ、そのような凡夫だからこそ、阿弥陀如来の本願の力で救われるのだと諭す。つまり、ここでも教えと自分の間に食い違いがあることを認め、その解決は本願の力への信頼に託す。だから、

「弥陀の五劫思惟(ごこうしゆい)の願よくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人がためなり」

ということになる。
 すると、問題の核心は阿弥陀如来の「本願」の力を信じることができるかどうか、ということにかかるだろう。では、自身と浄土の教えの間の深淵を認めながら、なお「信じる」とはどういう行為なのかが問われざるを得ない。
 そもそも「深淵」を持つ人間は、まともに「信じる」ことなどできない。それでも「信じる」ことが可能なら、それは自分の力ではなく、他者の力によって「信じさせられる」ことによってである。

「それ以(おもん)みれば、信楽(しんぎょう)を獲得(ぎゃくとく)することは如来選択の願心より発起す。真心を開闡(かいせん)することは、大聖(釈尊)矜哀の善巧より顕彰せり」(『教行信証』「信」巻)

 信じることが可能になり、また真実の心を開くことができるのも、すべて阿弥陀如来の力によってだと、親鸞はいう。これが彼の「他力」というアイデアなのだ。
 ということは、無邪気に「念仏すれば必ず往生できる」と信じる者は、その意識が「自力」の内にとどまり、「他力」に依らない。すなわち、「信じる者は救われる」という因果関係を前提にするなら、結局それは努力と成果の取り引きなのであり、阿弥陀如来の本願の力を疑うことになる。
 しかし、ここまで「信じる」行為を問うなら、次に出てくる問題は、自分の「信じる」行為が、正しく如来の力でなされているものだと、どうしてわかるのかということである。
 わかるはずがない。実際は、如来の力によって自分は信じているのだと、そう「信じる」に過ぎない。すると、「信じる」ことへの問いは無限遡及に陥る。
 親鸞において、「信じる」行為それ自体が主題化してくる必然性はここにある。そして、主題化してしまった以上は、もはやそれは単純に「信じる」行為を不可能にするだろう。「信じるとは何か」と問う人間が、同時に「信じる」ことは不可能である。
 親鸞と浄土教との間の深淵はこの「信じる」行為への問い、すなわち、その時点で「信じる」ことができなくなっている事態にある。けだし、彼の言う「悪人」とは、この「信じることができない」実存の根源的危機のことなのだ。

「信」への問いと『教行信証』

 親鸞は法然を信じていた(=賭けていた)。しかし、彼の教え自体を「信じる」ことはできない(問いを発してしまっている)。そのようなことが起こり得るのだろうか。
 起こり得ると、私は考える。相手の言い分に疑念を持ちながら、あえてその人物を「信じる」(=賭ける)ことは、世間でも別に珍しいことではない(リスクが極めて高いのに)。が、しかし、これが念仏往生の教えの場合だと、議論の水準が異なる。信じないまま念仏するということになると、それは偽りの念仏であり、阿弥陀如来に対する背反であり、ひいては教えを冒瀆する行為であろう。これは、仏教における根源的な悪業、罪である。親鸞の実存としての「悪人」の自覚は、ここにおいてなされる。
 私は、『教行信証』という書物のテーマは、最終的にこの「悪人」問題に収斂すると思う。如来の本願を信じられない「悪人」でも、果たして往生は可能なのか? 親鸞はそれを問うのだ。
 「信じる」行為そのものが先鋭に主題化されていることは、書名を見ても一目瞭然である。『教行信証』は、正式な題名を『顕浄土真実教行証文類(けんじょうどしんじつきょうぎょうしょうもんるい)』(浄土教という真実の教え・修行・悟りを明らかにする文章の集成)である。ここに「信」の文字はない。「信」があるのは、中身の章立てにおいてである。
 そもそも本来の仏教用語としては「教行証」だけで完結しているのだ。
 親鸞は題名ではそうしながら、「行」の巻の後に「信」を位置づけている。この場合の「行」は称名念仏のことであり、その「行」の根拠として「信」を問うているのだ。
 しかし、普通に考えれば、「信」じていることは、「教行証」の前提のはずである。親鸞は、その前提を外したのだ。彼にとっての「信」は、簡単に前提とできるような問題ではない。

「弥陀仏の本願念仏は 邪見驕慢の悪衆生 信楽受持すること甚だ以て難し 難の中の難 これに過ぎたるはなし」(「正信念仏偈」)

 この文章にある「信楽受持」することが困難な「邪見驕慢の悪衆生」こそ、親鸞の自覚する「悪人」なのであり、『教行信証』という書物の根本的な主題になっているのである。
 しかも、法然や道元など、同期の他の祖師の著作と比べてこの書物が極めて異例なのは、ほぼ全編が経典・論書からの引用文でできていて、ところどころに親鸞本人のコメントが挟まっているに過ぎないという、文章の構成である。
 これははたして親鸞の「著作」と言えるものか?
 「著作」である必要はなかったのだと、私は思う。親鸞にとってまず第一に重要だったのは、「信」の支えとなる「証拠文献」を集めることだったのであり、それをコメントで解釈しながら編集して、結果として彼なりの「信」思想として提示できればよかったのだ。では、「信」の主題化は、親鸞をどこに導いていったのか。

『教行信証』の核心

 親鸞は『教行信証』の「教」の巻で、こういう。

「それ真実の教を顕さば、則ち大無量寿経これなれり」

 と、浄土三部経のうち『無量寿経』を真実の経典だと冒頭の巻で言いながら、「信」の巻で大規模に引用されているのは『涅槃経』なのである。この不均衡をどう考えるか。                            
 『無量寿経』こそ、阿弥陀如来の「本願」のアイデアを示す、浄土思想の基盤となる経典であることは疑いない。ただ、この経典では、一切衆生を往生させるはずの如来の本願から外れる人間を挙げている。すなわち、五逆罪(父、母、阿羅漢を殺すこと、仏身を傷つけ出血させること、教団を破壊すること)と謗法(誤った教えを広めること)を犯した者である。
 五逆罪は父母の殺害、阿羅漢の殺害、如来への傷害、僧団の分裂工作、謗法とは文字通り如来の教法を誹謗中傷することである。これらを犯した者は、『無量寿経』は救済されないと言う。もし、「信じていない」者の念仏を「謗法」と考えるなら、「信」を問う親鸞も往生できない、ことになる。とすれば、一切衆生を往生させ成仏させることにならない。
 この矛盾は、『観無量寿経』になると、五逆については解消される。この経典では、五逆は救うが謗法は駄目だと言うのだ。
 では、残った謗法はどうなのか。中国浄土教の大成者である善導は、『観無量寿経』の注釈で、謗法への厳格な態度は、それを事前に抑止するためであり、もし実際に侵犯しても、結局は救済されると主張する。
 しかし、善導の説は善導の説であり、経典上に根拠のある話ではない。親鸞が『涅槃経』に注目したのは、この謗法の者の救済を巡ってなのである。
 『涅槃経』は、有名な「一切衆生悉有仏性(いっさいしゅじょうしつうぶっしょう)」の思想を説く経典である。つまり、すべての衆生に成仏の可能性はあるのだ、というアイデアである。「一切衆生」と言うなら、謗法の者も含まれるはずである。
 この点、親鸞に引用された『涅槃経』の部分には、「五逆、謗法、そもそも善根(善行を行う能力)」を断たれた者(一闡提〔せんだい〕)は、声聞・縁覚など「小乗」聖者や、大乗の菩薩では救えない、という趣旨が述べられる。ということは、言外に「大乗」の如来なら可能である、と聞こえる話である。
 その上で、続く親鸞の引用部分を見ると、それが阿闍世(あじゃせ)王の物語なのである。
 阿闍世王は父を殺害して王位についた、五逆の大罪人である。彼はその報いで深刻な病気に苦しみ、ついに主治医を通じて釈尊に帰依して、最後は救われる。ここでも、五逆罪は救済されるわけである。では、残る「謗法」の問題はどうなるのか。
 ここで重要なのは、物語が、阿闍世王は提婆達多(だいばだった)に唆されて父王を殺害した、と述べていることである。提婆達多は釈尊の従弟で、釈尊の教団を簒奪しようとし、釈尊殺害まで企て、のみならず、それを止めようとした女性の修行僧を殴殺したとされる人物である。彼自身が五逆罪を三つ犯しているのだ。
 だとすると、考えられるのは、教団簒奪と釈尊殺害を狙った人物と交際し、その教唆によって父を殺害した行為を、「謗法」と捉えることである。
 もしこの「謗法」も成仏を妨げないというなら、往生も妨げないだろう。阿闍世王の成仏が可能なら、「信じることができない」者の念仏という「謗法」的行為でも往生は可能だと言えないか――親鸞の『涅槃経』への思い入れは、このような解釈に由来すると、私は考える。

仏教の突破

 「謗法」問題をかくのごとく解決したとするなら、親鸞の「信」への最後の問いは、次のようになるだろう。
 「信じることができない」人間の念仏でも阿弥陀如来の本願による往生は可能だとしても、では、その念仏はどのように実行されるのか。阿弥陀の本願によって、「信じることができない」まま行う念仏とは、実際どういうものなのか。
 それは「信じる」行為そのものを脱落してしまうことによって行う念仏である。
 真に「他力」によるというなら、「信じる」「念仏する」行為に澱のように残らざるを得ない「自力」を、「信じる」行為もろともに捨て去らねばならない。このとき、「信じない」行為も同時に無効になる。
 「信じる」行為は、「誰か」が「何か」を「信じる」という構造でしか発現しない。すると、その脱落は「信じる」主体を放棄し、「信じられる」対象(阿弥陀如来と極楽)を消去するだろう。このとき、念仏はただの音声、意味を理解する必要のない発音の連続になるのだ。この事情を語る文章が『末燈鈔』に読み取ることができる。

「自然(じねん)といふは、自はおのづからといふ。行者のはからひにあらず。然といふはしからしむといふことばなり。しからしむといふは行者のはからひにあらず。如来のちかひあるがゆへに法爾(ほうに)といふ。(中略)(阿弥陀仏の)ちかひのやうは、无上仏(むじょうぶつ)にならしめんとちかひたまへるなり。无上仏とまふすは、かたちもなくまします。かたちのましまさぬゆへに自然とはまふすなり。かたちましますとしめすときには、无上涅槃とはまふさず。かたちもましまさぬやうをしらせんとて、はじめて弥陀仏とまふす、とぞききならひてさふらふ。弥陀仏は自然のやうをしらせんれうなり」(『末燈鈔』)

 これは有名な「自然法爾」を語る部分である。
 前半では、「自然」とは、意志的な、あるいは目的に向かう行為(「はからひ」)のない、自動的行為であると言う。その自動的行為の駆動力が「如来のちかひ」(=本願)なのである。「法爾」は、「自然」な行為の結果として実現する状況を指す。
 すると、これは「信じる」行為の断念を意味し、「信じる主体/信じられる対象」の実体的存在を前提とする超越論的パラダイムを破壊する。
 後半で、阿弥陀如来は念仏者を「无上仏」として成仏させようとしていて、その「无上仏」は「かたちもなく」存在すると言うのは、このパラダイム破壊のゆえである。「かたち」があるなら、そこに「かたち」の認識があるはずで、それは「自力」だろうから、「无上」とは言えない。「无上」であり得るのは、「自然」という存在の仕方ゆえなのだ――とすれば、超越的実体として存在する阿弥陀如来などは認めがたい話になるだろう。 
 だから、続けて親鸞は前代未聞の発言をする。これまで我々が信じてきた阿弥陀如来は、この「自然」という存在の仕方を教えるための手段(「れう」)にすぎない、と。
 かくして、「信じる」主体も「信じられる」対象も消失すれば、念仏も意味を喪失するのは当然の成り行きである。

「『宝号経』にのたまはく、弥陀の本願は行にあらず、善にあらず、たゞ仏号をたもつなり。名号はこれ善なり、行なり。行といふは、善をするについていふことばなり。本願はもとより仏のお約束とこゝろえぬるには、善にあらず、行にあらざるなり。かるがゆへに他力とはまふすなり」(『末燈鈔』)

 この文章は、阿弥陀如来の本願が意図する念仏は、人々の修行でも、善行でもなく、ただ仏の名前を唱え続けることであると言う。通常の善を行うという意味の念仏は必要ないのだ。ということは、残るのは「ナ・ム・ア・ミ・ダ・ブ・ツ」の発声行為のみである。
 事ここに至って言えることは、親鸞のアイデアは、かろうじて「仏教」の範疇に留まっていた法然の浄土教思想を突破し、それが内包する超越的理念(阿弥陀如来と極楽)を、悉く「念仏」という行為に落とし込み、消去してしまったのである。
 親鸞に結実した思想は、人間という「無常」の実存を、超越的理念によって根拠付ける形而上学ではなく、「無意味」な念仏、すなわちそれ自体「無常」な行為において自覚的に受容するという、形而「外」学である。そのような彼の登場は、もともと形而上学を持たなかった「日本」の思想風土においてこそ可能だった、と私は考える。
 では、仏教を突破する方法とは別に、たとえば無常・無我・無記・縁起など、釈尊の根本思想への回帰を直接意志して、形而「外」学を構築した者はいないのか。私は、それこそが道元だと思う。

引用文献:『親鸞全集』(春秋社)、『歎異抄』(岩波文庫)