【考える本棚】
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 二宮敦人『最後の秘境 東京藝大――天才たちのカオスな日常』(新潮社)
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お前ら、最高じゃあああああああァ!
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 最近、日本の大学が話題になる時は、決まってネガティブなトーンです。「いまの学生は……」になるか、「最近の大学は……」になるか、不満か批判か、愚痴かボヤキか、いずれにせよ、ギスギスした話題に終始することがもっぱらです。

 ところが、本書は書き出しからして爽やかです。

<僕の妻は藝大生である>

 単刀直入で、迷いがありません。

<一方の僕は作家で、よくホラー小説やエンタメ小説を書いている。
 今、僕が原稿を書いている横で、妻はノミに木槌を振り下ろしている。ドッカンドッカン大きな音が家賃六万円のアパートに響きわたり、無数の木屑が飛び散る。書斎は木の破片だらけ。原稿の真上にも飛んでくる。工事現場みたいな室内になっているけれど、森に似たいい匂いがする。
 妻が作っているのは木彫りの陸亀。フローリングの床に大きな足をどっしりとおろし、首を軽く傾けてこちらを見ている>

 ほのぼのとした温かみが伝わってきます。美大生について、多少ともイメージを持つ人なら、「お、やってる、やってる」と微笑ましさを感じることでしょう。

 かと思えば、体に書道用の半紙を貼りつけて、自らの等身大全身像の型取りをしている妻の姿を目撃します。夜中にふと目を覚まし、傍らに妻がいないことに気がついて、明かりの漏れてくる隣の部屋を覗いてみると……想像するに、十分ショッキングな事件です。

 日常のさりげない会話にも、驚くようなひと言が飛び出します。ある日、台所でツナ缶を見つけたと思ったら、ガスマスクのフィルター部分でした。樹脂加工の授業の際に、有毒ガスが発生するからだというのです。「どこで買うの?」と尋ねると、「生協」とこともなげに答えます。藝大の生協ではガスマスクを売っている!

<何もかもが僕にとっては新鮮で、いちいち驚いてしまう。しかし妻はといえば、きょとんとしている。「それって、そんなに珍しいことなの?」と言わんばかり。この人の通う大学は、思った以上に謎と秘密に溢れているようだ。
 こうして僕は、秘境・藝大について調べ始めたのである>

 正式名称は東京藝術大学といいます。1949年に「東京音楽学校」と「東京美術学校」が統合され、新制大学として設立されました。日本で最も歴史のある芸術分野の最高学府です。上野駅から行くと、道路をはさんで右に音楽学部(音校)、左に美術学部(美校)と、それぞれの校門が向き合っています。左右の学部で、行きかう人が見た目からしてまったく違います。服装、雰囲気、表情が、見事に対照的なのが分かります。

 彫刻科に属する妻は「どうせ汚れるしねー」と外見にはお構いなしです。上下抹茶色のジャージ姿。「頬には白く固まった石膏までつけて」おり、もちろん化粧っ気はありません。一方、「本番ではドレスにハイヒールで演奏するわけです。だから、普段からそれに体を慣らしておいたほうがいいんですね」と、先生からも指導されている音楽家の卵たちは、「さらりとした黒髪をなびかせていたり、抜けるような白いワンピースにハイヒールだったりする」のです。

 時間厳守の音校と、ほぼ全員遅刻という美校。自給自足の精神に富み、たいていのものは自前で作ってしまう美校に対し、指は商売道具だから「洗い物」もしない、重いものも持たない、スポーツもしない、というのがピアノ科の女性。何もかも“お手製”で飲み会をする美校派と、鳩山会館で優雅に同窓会を開く音校派と、普通なら交わりそうもないグループが、なぜか同じ大学に通っている――それが藝大なのだと分かってきます。

 ともに入学するのは超難関です。絵画科の平成27年度の志願倍率は17.9倍といいますから、80人の枠を1400人余が奪い合うという凄まじさです。試験問題に「人を描きなさい(時間:二日間)」という出題があるかと思えば、「自己表現」という試験を、ホルンで4コマ漫画の台詞を吹いて(いかにもそれらしく)突破してくるツワモノがいます。狭き門を潜り抜ける面々は、並みの人たちではありません。

 そういう「奇才」たちが、次々に自然体で登場してきます。ある日本画専攻の男子学生は、十代の頃からグラフィティ(壁などへの落書き)にハマってしまい、夜中に線路とか、ビルの上とか、違法スペースに潜入しては絵を描きます。警察に何度も補導され、ついに少年院に送られます。そこを出てからは、鳶職を5年、キャバクラのボーイ、ホストクラブ経営などに手を出しますが、やはり「絵をやりたい」と思い始め、藝大を目指したのだと語ります。

「口笛をクラシック音楽に取り入れたい」という学生(音楽環境創造科)は、2014年の「国際口笛大会」成人男性部門のグランドチャンピオンで、口笛界の頂点に立ちました。日に3、4時間練習し、多くの奏法をマスターすると、「ぐっと世界が広がるんですよ」と楽しげに夢を語ります。

 器楽科ピアノ専攻の3年生は、毎日「だいたい九時間くらいは自主練します。休憩を挟んで、三時間を三セットという感じ」「一日ピアノに触らないと、三日戻ると言いますから」とハード・トレーニングの日課を明かします。「音楽の世界って厳しいです。みんなライバルですし、人間関係もどろどろした部分があって。……でも、ピアノは絶対私を裏切らないんです。自分が頑張った分だけ、必ず応えてくれるんです。そうして聴く人を幸せにできるし、私も幸せになれるんです」。

 まるで「走った距離は裏切らない」と言ったマラソンの野口みずき選手のセリフのようで、著者は感動を隠せません。猛練習はアスリート並み。ヴァイオリン奏者の体が次第に楽器仕様に変形され、骨格が歪んでこそ一人前とか、コントラバスをやっていると、楽器を支える左肩が筋肉モリモリになってしまうとか、足のくるぶしに正座ダコができる三味線専攻の学生など、芸術を支えるための肉体改造も著者の耳には驚きです。

「練習しすぎで、肩を壊しちゃって」――ピアノ科を断念した女性の話を聞いて、「まるで、プロ野球選手だ」と思わず感想を洩らします。

<ブラジャーを仮面のように顔につけ、唇と爪は赤く彩られ、上半身はトップレス。乳首の部分だけ赤いハートマークで隠し、下半身は黒いタイツで、その上にピンクのパンツをはいている>

 藝大構内を闊歩する正義のヒーロー「ブラジャー・ウーマン」は、絵画科油画専攻の3年生です。「悪の組織、ランジェリー軍団と日々戦って」いるという自作漫画の主人公が、時々2次元から3次元の世界へ遊びに来るという設定です。一方で、彼女の語る油絵作品への取り組みには、著者も思わず引き込まれます。「自分の人生と作品って、繋がっているんです。血管で繋がっているみたいに」「絵って、まるで鏡みたいだって思います」「自分と向き合わなくちゃならないんです。戦わなきゃならないんです」――真っ正直で真摯な声に、「なんて真面目なんだ。まるで昭和の文学青年だ」と、素朴に共感を表明します。

 等々、見るもの聞くものすべてが新鮮で面白い、という流れに身を委ね、全学科をくまなく探訪した点も本書のユニークな特徴です。典型的な人かジャンルに焦点を絞り、深く、徹底的に描き出すというよりも、約40人の学生をなるべく等身大で、フラットに見渡して、肉声をできるだけそのままに、彼らをして自らを語らしめようとしています。この適当な距離感と、軽やかな文体、温かみのあるまなざしが、藝大を奇人変人たちの異空間ではなく、「秘境」という名の稀少で、かけがえのない場として浮かび上がらせることに成功しています。

 天才たちが放し飼いにされている動物園というよりも、まさに「大人の幼稚園」――「子どもらしさ」を残した大人たちが好きなことに没頭できるシェルターとしての存在意義に新たな光を当てています。

 ひと口に藝大といっても音楽と美術ではまるで別世界のような趣です。さらに、それぞれが細分化されて、独特の領域や多様なメンタリティーが存在しています。けれども、アスリートがそれぞれ自らの限界にひたむきに挑戦しているように、ひとつの技芸を極めるために、日々無償の努力を積み重ね、試行錯誤する姿は皆に共通しています。昔ふうに言えば、「三度の飯より好きなこと」に打ち込む若者たちが集っています。

 もちろん、不安はつきまといます。将来の保証は何もなく、アーティストとしての夢と現実との相克がないわけではありません。卒業後、「半分くらいは行方不明」と言われるほど、就職する人は少数派です。「何年かに一人、天才が出ればいい。他の人はその天才の礎。ここはそういう大学なんです」と入学の際に学長から訓示を受けるような大学です。

 それでも本書に登場する学生たちに悲壮感はありません。自分の専攻について情熱をこめて語っています。自分の表現を通して人とつながりたい。世界に手を伸ばしたい。あるいは表現を仲立ちする役割を果たし、人と人、アートと社会をつなげたい――といった夢を初々しい言葉で語っています。それが何より新鮮な、彼らの発する魅力です。その意味で、本書はたぐいまれな芸術へのチチェローネ(案内)と言えるかもしれません。

 藝大恒例の学園祭――毎年9月初旬の「藝祭」のオープニング風景が紹介されます。音校・美校混成の8チームで練り歩く神輿パレードが終わり、神輿が上野公園の噴水前広場に集結します。その開幕式に登壇する学長が、マイクを手にして「絶叫!」します。

「お前ら、最高じゃあああああああァ!」「毎年見とるけど、今年はとぉーくによかった! 最高! 素晴らしい! ええか、これからの日本には、お前らの力が必要なんじゃああああァ! ニッポンの文化芸術を背負うのは、お前らじゃああああァ! 以上ッ!」

 これを読めば、来年、学園祭に行きたくなる人が増えるでしょう。最後に、本書のきっかけを作った「妻」の原点を示唆するエピソードです。

<「旅行に行った時、大変だったのよね!」
 妻のお母さんが、腕組みしながら苦笑した。
 「ルーヴル美術館でね。本当に、全然動かなくなっちゃって」
 妻の母、妻、妻の妹、妻の従姉妹。四人で海外旅行に行き、ルーヴル美術館に入った。その一角で、妻は全く動かなくなってしまったという。
 「踊り場にある、あの彫像。『サモトラケのニケ』。あれをずっと見てて。一時間くらい見てたかな、まだ見る?って聞いたら、見るって言うわけ。じゃあもう、好きなだけ見なさいって」
 なんと、妻はえんえん五時間以上も「サモトラケのニケ」だけを見つめ続けたという。
 同行者がすっかり飽きてベンチで昼寝し始めるなか、ただ一心不乱に。
 人が芸術に触れる時、時間の流れは少し普段と変わってしまうようだ。
 ルーヴルのダリュ階段踊り場、紀元前に作られた彫像の前で立ち尽くす妻を想像して、僕はそんなことを思った>

 妻がきっかけで始まった旅は、著者を思いもかけない遠くまで連れて行った気がします。「なくてもよいのに、なくてはならない」ものや人をこの旅の途上で確かめて、著者の心身はさらに「秘境」仕様に変化したかもしれません。

「考える人」編集長 河野通和(こうのみちかず)