シンプルな暮らし、自分の頭で考える力。
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村井さんちの生活

 すっかり冬らしくなった。夏、あれほど青くキラキラと輝いていた琵琶湖は、水を鉛色に変え、所々で白い波を立てている。対岸に見える山々の頂上には灰色の雲がどっかと居座っており、北部の厳しい寒さを物語る。このあたり特有の強い風が吹き始めたこともあって、外出するたびに寒さが身に染みる。庭木が美しく紅葉したと思った翌日には、ほとんどの葉が遠くまで吹き飛ばされている有り様だ。落ち葉の掃除をする必要がなくなったのはいいことだけれど、このあたりの自然の厳しさは、その美しさをのんびり堪能する時間なんて与えてはくれない。

 慌ただしい日常は相変わらずだ。冬休みまでのカウントダウンが始まった息子達の頭の中は、クリスマスプレゼントのことでいっぱいである。やれゲームだ、ドローンだと連日騒ぎ立てる。「そんなに高いもの、うちには必要ありません」と言えば、「いや、僕らはあくまでもサンタさんに頼んでいるんで」と返ってくる。減らず口は誰に似たのか。私でないことを祈るばかりだ。

 私自身は、この数ヶ月で2冊の本の翻訳を終え、今、3冊目にとりかかっている。ここ数年は、1年に1冊、多くても2冊のスピードで仕事をしてきた私にとって、異例の作業量ではある。しかし今の状況は、慌ただしいとはいえ、この上なくありがたいことだとも感じている。なにせ、1冊も担当することが出来なかった年も、過去には何度もあったからだ。たまには、「私、締め切りに追われてて……」なんて、売れっ子のフリをして言っても罰は当たらないだろう。

 それにしても最近、息子達の成長が著しいと感じることが増えてきた。身体的な成長もさることながら、精神的な成長が想像以上に早く、面食らう場面が増えた。考えてみれば、10年以上生きているのだから、成長するのは当たり前であり、むしろありがたいことなのだろうけれど、ついこの前まで保育園児だった息子達の大人びた言動や姿を目の当たりにすると、何とも複雑な気持ちになる。今まで手の届く場所にいた二人が、どんどん自分から離れて行くのが、はっきりとわかるからだ。それでいいのだけれど、一抹の寂しさは残る。

 先日起きたことは、いささかショックであった。息子達の友達と、私が話をしていた時のこと、次男が突然私の袖を引っ張り、横に連れて行って、こう言ったのだ。「ちょっと、空気読んでよ……」 

 どきっとした。「さっきからさあ、全然空気読んでないんですけど。オレ、恥ずかしいよ」 えっ、空気読んでない!? と混乱したのだけれど、確かにその時私は、近所に新しく出来たカフェの話を息子の友達に興奮気味に披露していたのだ。「あのカフェ、行った? あ、まだ行ってないの!? おばちゃんは早速行ってみたんだけど、紅茶がすごくおいしいよ、アハハ!」と、一人、大いに盛り上がっていたのだ。

 私にも実は覚えがある。小学生の頃、私の友達と話をして楽しそうに振る舞う母親がとても疎ましかった。「物わかりのいい親」、「娘世代とも違和感なく話すことができる親」を演じているように見えた母に、私は苛ついたのだ。母はどんな話題にも参加していたし、小学生相手にキャッキャと楽しそうにしていたが、そのくせアイドルには全然詳しくなかった。シブがき隊の顔が全員同じに見えるってどういうこと!? ヤックンとモックンとフックンは全然違いますから!と、私は母を心の中で密かに馬鹿にしたし、早くどこかへ行ってくれないかとイライラした。自室で友人達と「Like a virgin」を聞いていると、階下で「ヘ~イ!」と叫ぶ母に激怒したこともあった。

 思い返してみれば、私が自己を確立していった時期と、母への苛立ちを感じ始めた時期は重なっている。あの時の母を、私もやっていたのか。あの時の母も、何の気なしに振る舞っていたに違いないし、苛つく私に面食らったに違いない。今となっては、私自身がアイドルの名前と顔を一致させるのに苦労しているではないか。

 「ああそうですか、じゃあ、これからお友達と話はしないから。それに、なんで私が小学生の空気を読まなきゃいけないの!?」と、怒り心頭で言い放ち、次男を震え上がらせ、後に自己嫌悪に陥った。次男は悪いことを言ってしまったと思ったのだろう、何度も、気にしなくていいから、やっぱりいままで通りにしてくれていいからと言ってくれた。まったく気の毒なことをしたものだが、一度怒ってしまった手前、なかなか気持ちを立て直すことができず、不機嫌な対応を続けてしまった。最悪である。

 その日の夜、息子達が寝た後も仕事を続けてはいたのだけれど、頭の隅にあったのは、やはり昼間の出来事だった。

 Read between the lines.

 「行間を読め」とは、翻訳者としていつも心がけていることだ。私は、行間はある程度読めるようにはなったが、空気が読めない女になってしまったのだろうか。それにしたって、行間も空気も読まねばならないなんて忙しすぎるじゃないか。読まねばならない本は積み上がる一方だし、電子書籍も山ほどダウンロード済みだ。「読む」と、「書く」に占領された人生は楽しいけれど、母さん、時々混乱してしまうよ……と、愚痴もこぼしたくなるのだ。

 それでもやはり、息子達にはこう伝えたい。空気を読まないのが、小学生男児の仕事なんだよってね。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥


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