むかしから、登山といえば“娘さんよくきーけよ、山男にゃ……”でおなじみ「山男の歌」(神保信雄・作詞)にも歌われたとおり、命がけの危険な行為、そして「娘さん」にゃ分かりっこない醍醐味として認められてきました。
「なぜ山に登るのか」という問いへの答えは、エヴェレストを目指したマロリー卿の「なぜなら、そこに山があるから」が極め付きです。いかにも英国人らしくストイックで格好いい。けれど、対談で湯川豊さんの「あれは意訳すれば『登りたいから登るんだ』ということ」の言葉をうかがったとき、はじめて腑に落ちる思いがしました。死ぬかもしれない危険をおかしてまで、「なぜ登りたいか」は、その本人にも説明のつかない希求ではないでしょうか。
二人の登山家に、この問いを投げかけてみました。

服部文祥さんは1969年生まれ。大学時代にワンダーフォーゲル部に所属し、カラコルム・K2登頂や、剱岳東面の冬季初登攀などの記録をもつ登山家です。しかし彼のスタンスは、最初の単著『サバイバル登山家』(みすず書房)にくっきりと示されたように、できるかぎり単独、極力装備を持たず、食料も自然の動植物を狩猟採取するという「サバイバル」な山への挑戦であるところ。「山に対してフェアでありたい」という独自の考え方に基づき、あえて百年前の装備での登山も試みました(『百年前の山を旅する』東京新聞)。
そんな服部さんが、2010年夏、南アルプスの聖沢で事故にあいました。テレビ番組「情熱大陸」の取材中の出来事で、そのシーンも放送されたけれど書くのは初めて、とのこと。30メートルを一気に滑落し、頭に裂傷、肋骨を複雑骨折し肺に穴が開くという重傷と、そこでの精神状態にもリアルに衝撃を感じますが、何より強い感動を呼び起こすのは彼が一年後に事故現場に赴いて自ら現場検証をするところです。
体験によってだけつかみ取れる感覚と思想。それらが躍動するエッセイは、ぜひ本誌でお読みいただきたいと思います。

『サバイバル登山家』に大きな影響を受けたという角幡唯介さんは、1976年生まれ。IT文化の中で成長した「つながり世代」に当たりますが、自分だけのオリジナルな人生を生きたいという気持ちは昔から強かったそうです。大学では探検部に。仲間とチベットのヤル・ツアンポーに向かい、その後2002~03年と09年に2度、単独で探検しています。
その壮絶な体験と、世界最大の峡谷ツアンポーをめぐる探検史をあわせて執筆した『空白の五マイル』(集英社)は、起伏に富んだ物語性と緻密な描写でぐいぐいと引き込む、読み応えのある作品です(開高健ノンフィクション賞、大宅壮一ノンフィクション賞、梅棹忠夫・山と探検文学賞をトリプル受賞)。
特集では『空白の五マイル』をめぐって、人を探検に駆りたてるものは何か、それを書くとはどういうことかを伺いました。理知的な分析が面白く、もういちど本書を読み返したい欲求にかられます。

『空白の五マイル』に対して、石川直樹さんは「過剰で極端でたがの外れた角幡唯介という人物が命をすり減らして手に入れた一瞬の生、その凝縮された輝かしい時間を、冷静かつ的確な筆致で分かち合ってくれた」(朝日新聞2011年2月20日掲載)と書評を寄せています。探検にも登山にも豊富な経験をもち、『For Everest ちょっと世界のてっぺんまで』などの著書もあります。「なぜ山に登りたいか」の問いに、ユニークな答えを出すにちがいない石川さんですが、今回は、巻頭グラフに1枚の写真をお借りすることにしました。巨大な斜面は、富士山の大砂走り。私たちのかつて知らなかった富士山の姿です。この全容が収められた、『Mt.Fuji』(リトルモア)も、ぜひお勧めしたい本です。