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安西水丸『ちいさな城下町』(文春文庫)

水丸さんの城下町
 
 代官山の「1/2 GALLERY」で「安西水丸さん、デザインを教えてください!」展が、今週の月曜日から開催されています。8月19日から11月6日まで金沢市の書店兼ギャラリー「Books under Hotchkiss」で開かれた同展を再編成したもので、私も早く見に行きたいと思っています。
 
 本書は、2014年3月19日に、71歳で突然亡くなった安西水丸さんが最後に準備していた1冊です。実は、この本を手にするまで、水丸さんがこれほどの歴史好き、城下町好きだったとは、ついに知らないままでした。冒頭にこうあります。
 
<旅の楽しみの一つとして、何処(どこ)か地図で城址(じょうし)を見つけ、そこを訪ねることがある。たいていの城下町には城址があるわけだが、ぼくの城下町の好みは十万石以下あたりにある。そのくらいの城下町が、一番それらしい雰囲気を今も残している>
 
 なるほど、水丸さんらしい好みだな、と思います。続いて、
 
<城址の楽しみにはいろいろあるが、その一番は縄張り(設計)だ。多くの人は城址となると天守閣などに注目するが、あんなものは大工仕事といっていい>
 
 いきなり「あんなものは……」と、強い言葉が飛び出します。このテーマに対する水丸さんの本気度が分かります。
 
<城址に立つと「兵(つわもの)どもが夢のあと」とでもいうのか、ふしぎなロマンに包まれる。なまじっか復元された天守閣などない方がいい。わずかな石垣から漂(ただよ)う、敗者の美学のようなものがたまらない。人間の持つ、権力への憧れや恐怖心も城址から感じ取ることがある>
 
「オール讀物」に連載された17回分に、「書き下ろし」3本を加えた20章から構成されています。村上市(新潟県)、行田市(埼玉県)、朝倉市(福岡県)、飯田市(長野県)、土浦市(茨城県)、壬生町(栃木県)、米子市(鳥取県)、安中市(群馬県)、岸和田市(大阪府)、中津市(大分県)、掛川市(静岡県)、天童市(山形県)、新宮市(和歌山県)、西尾市(愛知県)、大洲市(愛媛県)、亀山市(三重県)、木更津市(千葉県)、高梁市(岡山県)、沼田市(群馬県)、三春町・二本松市(福島県)といった名前が並んでいます。
 
 しぶい選択です。読み始める前は、気ままな老年ひとり旅の、もっと「ゆるい」内容を想像していました。センチメンタルジャーニーを兼ねた、ほのぼのエッセイなのだろう、と。
 
 ところが、城下町の歴史的背景が、かなり詳しく書かれています。しかも付け焼刃ではありません。小さい頃から親しんだ絵本、少年雑誌の絵物語、漫画、小説、映画、あるいは歴史好きだった祖母から聞いた豆知識などに加えて、長年の蓄積が厚い層を成しています。
 
<城下町について、その町の歴史のあれこれに強く興味を持つ人と、そんなことはどうでもよくて、何かそこに美味(おい)しいものがあったり、それこそ武家屋敷などを何となく見てまわれればいいといった人との二つに分れるとおもう。ぼくは歴史派の方なので、ちょっと村上市の歴史に触れてみたいとおもう>
 
 そこまでは、「親しい友人」である村上春樹さんと初めて村上市を訪れた際に、「村上新聞」という新聞社を見つけたのでその会社の前で「村上づくし」の記念写真を撮ったとか、水丸さんが世界で一番愛飲してやまない「〆張鶴(しめはりつる)」の蔵元がこの町にあるのを知ったとか、いわゆる随筆ふうの運びです。ところが、「本題に入ることにする」ときっぱり告げると、一転、歴史派の顔が登場するのです。
 
 読者によっては、なじみのない土地で、知らない名前が次々と出てくる回などは、目が文字面をさっと滑ってしまうのも止むを得ないと思います。ただ、そういう歴史派の本丸部分を取り囲むように、その町と安西さんとの個人史的な結びつきが巧みに織り込まれています。高校生時代、ボクシングジムに通っていた時の先輩と、後に福岡で再会してみると、何と、相手もグラフィックデザイナーになっていて、「何だ、ワタナベかよ」(渡辺は安西さんの本名)となって、その後度々仕事を一緒にするようになります。
 
<「明日、鯉(こい)食べに行かないか。洗いの旨(うま)いところがあるんだ」
 翌日、ぼくは仁鳥(その先輩・仮名、引用者註)の車で出かけた。仁鳥夫人も一緒だった。目的地が何処なのかまったくわからなかった。
 田舎道にひっそりある料理屋で鯉の洗いを食べた後、仁鳥はぼくが好きそうな町があるからと言い、車を走らせた。
 この日がぼくと城下町秋月(あきづき)との出合いになった>
 
「秋月の乱」を知っている人ならしびれるような導入です。かと思えば、小さいころ、病弱だった安西さんは転地療養として南房総の千倉で育ちます。その中学で仲の良かった「かっちゃん」に連れられて、東京に戻る2日前に見た「ろうばい」の花の思い出、高校時代の同級生で特に似顔絵がうまかったトリイのこと、電通に入社して配属された国際広告制作室の上司が、ノモンハン事件の生き残りである歴史マニアで、酒を飲むと出身地の掛川城や城主・山内一豊の話を語ってくれたことなど、掌編小説のような味わいです。
 
 4年勤めた電通を退社し、ニューヨークで働いていた時代、「休日のリバーサイド・パークの草の上」で、いつも将棋の相手をしてくれた若い中国人女性レイの思い出。安西さんの勤め先のデザインスタジオが入っているビルの1階のコーヒースタンドで、彼女は働いていました。水丸さんが27歳、レイは24歳。
 
<リバーサイド・パークで使っていた将棋盤は折りたたみ式の安ものだったが、それでも盤を打つ冷やかな音は今でも耳の奥に残っている。
 マンハッタンの夕日は、ハドソン河の対岸、ニュージャージイ州の森に沈んでいく。大きくて、サンキストオレンジのような色をした夕日だった。ああ、今日も一日が終る。夕日を眺めながらよくそんなことをおもったものだ。レイも同じだっただろう。
 ぼくのニューヨーク生活は二年と三ヶ月ほどで終った。帰国後、レイとは何度か手紙のやりとりがあったが、その後音信はぷっつりと途絶えた。今、部屋の本棚の隅に将棋の駒を入れた箱が置いてある。ほとんど開けることはないが、目に入る度にレイとの草の上での将棋や、二人で夕日を眺めた日のことが懐かしく思い出される>
 
 そんな連想から、将棋駒の作られている天童市を歩いてみようと思い立つ話です。水丸さんと違って、さほど城址には興味のない私ですが、「ちいさな城下町」は大好きです。本書に取り上げられた半分近くの場所はすでに訪ねています。ほぼ共通しているのは、かつて藩校が置かれていて、多くの人材を輩出したこと。城下町の誇りがいまなお町にそこはかとなく残っていて、史跡が大切にされ、素朴な特産品や名物、郷土料理が受け継がれていること。小さな地方都市ながら、その土地ならではの文化があり、歴史の滋味を感じます。あまり知られ過ぎていない点も、どこか奥ゆかしくていいのです。
 
 水丸さんがお気に入りの鳥取市などは典型例でしょう。民芸といえば、柳宗悦(やなぎむねよし)であり、彼が「無名の職人たちの手による日常雑器のなかに、かつて誰も見出さなかった美を捉えた」ことで、日本の民芸運動は始まります。そして、民芸運動グループの三羽ガラスといえば、濱田庄司、河井寛次郎、バーナード・リーチだとされますが、安西さんはそこに、鳥取市で耳鼻咽喉科の医師をしていた吉田璋也(しょうや)の名を掲げます。
 
<彼は山陰の陶芸家や染色家、木工家が、奇妙な芸術性に傾いていくことを戒(いまし)め、民芸としての作品作りを的確に指導している。陶器や木工品を作っても売れなければ作り手は困るわけで、鳥取駅近くに「たくみ工芸店」という民芸店を開店させ、流通を図っている。現在、「たくみ工芸店」の右隣りに山陰の民芸品を展示した「鳥取民藝美術館」があるが、これも吉田璋也の尽力によって開館している。(中略)
 吉田璋也の素晴しさは、さまざまな民芸の指導に留まらず、鳥取城跡や鳥取砂丘、湖山池、仁風閣(じんぷうかく・明治四十年に元鳥取藩主池田家別邸として建てられている)の保存などにも力を注いでいることだ。たった一人の吉田璋也という人物の情熱が、多くの鳥取の文化を支えつづけたといっていい。今、民芸の人気は注目されているというが、吉田璋也を知る人にぼくはほとんど出合わない>
 


 手放しの絶賛といってもいいでしょう。ただ、この章(「米子市」)で、なぜか水丸さんが書き洩らしていて残念に思った点がありました。「たくみ割烹店」のことです。吉田璋也が昭和37年に民芸の器を用いて郷土料理を提供するために開いた店です。司馬遼太郎『街道をゆく』の「因幡・伯耆(いなばほうき)のみち」の中にもさりげなく記されています(*)。
 
<私どもは、気分のいい店で夕食をとった。
 この店は、いわゆる民芸風ではなく、柳宗悦が主唱した精神が屋内の構造や装置にさりげなく生かされていて、大正時代の商家に招(よ)ばれて馳走をうけているといった感じだった。
 料理にも、無用の匠気(しょうき)がなく、平凡な味覚の者が心からうまいと思えるようなものばかりが出た>
 


 軍医として中国大陸に渡った吉田璋也は、中国の少数民族の民芸にも関心を持ち、回教徒の火鍋料理を知ります。そして終戦後、京都に住んでいた時期、「十二段家」という店で、回教徒が羊肉を熱湯で湯がいて食べる際に用いる鍋を見つけます。吉田は羊肉と同じようにして、牛肉を熱湯にくぐらせる料理を店に提案し、それが「牛肉の水炊き」として売り出されます。
 
 さらにこの伝授を受けた大阪のスエヒロが、それを「しゃぶしゃぶ」と命名したところで、今日の普及につながります。鳥取の「たくみ割烹店」では、「すすぎ鍋」として定着します。水丸さんは、なぜかこれを素通りしていましたが、130ページほど読み進めた「高梁市」の章に、また民芸の話題が登場してきます。吉田璋也がふたたび絶賛され、こう続きます。
 


<美を見つめる目を持ち、多くの民芸作家を育てた人物となると、柳宗悦も濱田庄司も河井寛次郎もバーナード・リーチも、吉田璋也には及ばない。(中略)また吉田璋也は軍医として従軍した中国から、現在のしゃぶしゃぶ料理の源流となる羊肉の「すすぎ鍋」(日本人向けに牛肉に改良)という料理を持ち帰っている>
 


 ちゃんとリカバーされていました。ちなみに、高梁市に関しては、おそらく枚数の関係で水丸さんが言及できなかった史実があります。「山中鹿之助 落命の地」の話です。戦国時代の歴史もの、たとえば「真田十勇士」を愛読していた水丸さんならば、「尼子十勇士」や立川文庫「山中鹿之助」を何らかのかたちで読んでいたはずです。戦前の国民的英雄だった山中鹿之助を知らなかったとは思えません。
 
 この夏、松本清張『山中鹿之助』が初めて文庫化されました(小学館文庫)。昭和28年に芥川賞を受賞したばかりの松本清張氏は、少年少女向けに武田信玄、徳川家康、黒田如水(官兵衛)らの歴史小説を書いています。同じ頃、中学3年生向け雑誌に連載されたのが、「山中鹿之助」でした。
 
<日本の歴史で、どの時代が一番面白かったかと聞かれたら、私はすぐに戦国時代だと答える。何故かというと、戦国時代は人間が裸で、勝手な事が出来た時代である。古い規則に縛られずに、自分の実力で思うままの行動ができた時代である。(中略)
 戦国時代でも、信長とか秀吉とかいう知れすぎた人物は、余り有名すぎて魅力はない。ここには、山陰の一地方にあって、いつも大敵に挑みながら、一生を思う存分に暴れた「山中鹿之助」のことを書いてみたい>(松本清張「連載を始めるに当たって」)
 
 たまたま小学5、6年生の時の私の担任が、大の歴史好きでした。少年時代の鹿之助が、先祖伝来の兜(かぶと)を譲り受けて感激し、山の端にかかる三日月を仰ぎ、「願わくば我(われ)に七難八苦を与え給え」と主家再興を祈ったという逸話を何度も聞きました。
 
 その鹿之助が宿敵吉川元春の奸計に落ち、悲運の最期を遂げるのが、高梁市の備中松山城(日本の三大山城のひとつ)から「西へ二里ばかり進んだ」ところの「合の渡し」という場所です。旧暦7月17日、残暑の厳しさは衰えず、岸辺の石に腰を下ろし渡し船を待っている時に、背後から護送兵に斬りつけられ、34歳の生涯を閉じるのです。
 
 水丸さん好みの人物という気もするけれど、どうだったのでしょう。そういえば、真田丸がNHKの大河ドラマになったのを、どう思っていることでしょう。
 
「考える人」編集長 河野通和(こうのみちかず)
 
*朝日文庫版『街道をゆく27「因幡・伯耆のみち、檮原(ゆすはら)街道」』所収。
 



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