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 行く年、来る年。
 卓上の携帯電話が震えるたびに、年末年始の挨拶メッセージや写真が届く。ナポリにサルデーニャ島。ボローニャやローマ。知人たちが各地の景色を伴って一堂に会し、携帯電話の画面はさながらイタリアの今をちりばめた万華鏡だ。
 画像ごとに、そこを訪れたときへと記憶が飛ぶ。もう忘れかけていることもあれば、飛んでいってもう一度見たいものもある。願わくば、時間を引き戻して白紙に返したい人間関係も三つ、四つ。
 メッセージや写真をひとつずつプリントアウトして、卓上に並べてみる。幼い子供が限られた語彙で話すように、短いメッセージや写真だけの挨拶は単刀直入だ。自分を取り巻く人間関係の、復習と予習の小見出しのようでもある。

 はち切れそうな赤い作業着姿の写真を送ってきたのは、ニコラである。
 冬の底に、必ず会う。一年は、ニコラで始まりニコラで終わる。自動車の整備工だ。 
 私がイタリアに来て最初に乗った車は、中古車だった。走るたびに故障し、修理工場に繰り返し通ううちに、そこに集まる男性たちの雑談を通して、車と近所の事情に詳しくなった。
 あの頃、ニコラはまだ小学生だったか。修理をしたのは、彼の父親だった。腕も面倒見もよく、職人たちの工房が集まるミラノの下町、運河地区の顔役だった。「息子が自動車修理の専門学校へ進む」と上機嫌だったのに、ニコラは跡を継がなかった。ある日突然、父親はふた回りも年下の客と修理し終えたばかりの車で駆け落ちしてしまい、修理工場が人手に渡ってしまったからだった。
 何年か経った年の瀬、
 <ヴォルヴォV70の調子はいかがですか>
 ニコラからメッセージが入った。あの中古車のことだった。
 界隈の人々の足を守る修理工場が、戻ってきた。故障してもしてなくても、皆、ニコラのところへ立ち寄る。工場が引き受けるのは、車の修理だけではない。
 父親と同様に、ニコラは客の話を丁寧に聞く。
 「『車は人なり』なんでね」

 <2足す3は5!>
 威勢よく音声メッセージを送ってきたのは、南部プーリアの港町に住むジャンヴィートだ。六歳。オリーブの木が伝染病に冒されたと知って、農業を営む知人を見舞いに行った。まだ春の浅い頃で、オリーブは寒さに身をすくめているように見えた。
 「今日も元気?」
 木の手入れをする父親に付いて、一本ずつに声を掛けて回っていたのがジャンヴィートだった。日本からオリーブの見舞いに来た、と私の訪問を喜んで、以来、父親の携帯電話から絵文字や歌を録音して送ってくる。会ったときは幼稚園児だったが、九月から小学一年生になった。
 算数が好きなのね、と返事を打ったら、
 <亀も好き!><見に来て!>
 メッセージが続く。

 松の木を前に、悄然と立ち尽くしているのはオズワルドだ。鉄道工夫だった。駅舎の一部を国鉄から借り受けて長らくそこに住んでいたのだが、廃駅が決まったと聞いた。松の向こうに、沈んだ色の海が広がっている。

 <美味いよ>
 ピチピチした初荷がずらりと並んでいる。カラブリアの三兄弟が仕入れてくる魚介類は、特級揃いだ。
 魚といえば、ヴェネツィアで漁をするディーノはどうしているだろう。近海ものの漁といっても、彼が網に掛けるのは浅瀬に棲むミミズや小魚ばかりだ。大陸側の村の漁師たちに、釣り餌として売りに行く。冬でも毎朝、脚の付け根まで泥に埋もれて網を引く。空と海の境が曖昧な、濃霧のヴェネツィアを思う。

 船が腹を見せている。
 <来月には進水だ。見に来ないか?>
 離島の船大工は、十五世紀からのゴンドラ乗りの系譜を継ぐ。伝統的な工法でゴンドラが作れるのは彼を入れて三人だけ、と聞いた。工房の壁には、木定規や鋸がびっしりとぶら下がっていた。
 春霞にゴンドラ、か。

 何の花だろう。華やかなピンクは、異国情緒にあふれている。
 食堂で給仕をしてくれた女性からのメッセージだ。リスボンから届いたその写真には、冬の公園が写っている。坂を上ったかと思うと、下り坂が待っている町だった。坂道の両側に間口の小さな石造りの古い家が密集して建ち並び、その合間を縫うように路面電車が走っていった。車窓からの景色は斜めに傾き、やがて家々の赤い屋根が地面と平行に並ぶようになると、その先に海へと続く河が見えた。
 震える車両。線路を擦る車輪。石畳と坂の町の音が耳元に蘇る。

 過ぎゆく時から、やってくるこれからを見る。
 取り残した話の続きを聞きに行かなければ。ひとつ大きくなる子がいて、一歳老いを重ねる船乗りがいる。卓上に並ぶ紙片は、さまざまな一年を載せて伝える。それぞれが豊かな詩句のようだ。人生の四季折々の。