私は何を隠そう、アニメが好きである。今や世の中には様々なジャンルのアニメがあり、インターネット上を見れば全国のアニメヲタク共が「あのナントカのキャラはいい」だの「あのアニメの内容はクソだ」だのと、互いに互いの推し作品を評論し合ったり、あるいは貶し合ったりしている。こういったネット上のやり取りを見ている限り、最近の一般的な傾向として中高生向けの小説(ライトノベル、ラノベともいう)が原作のアニメは、比較的評価の低いアニメとして貶される事が多いようだ。その最たる理由の一つが、この手のアニメは内容がどれも似たり寄ったりという点である。

 日本では春夏秋冬の季節の変わり目に合わせ、だいたい年に4回ペースで放映アニメが新しく入れ変わる(1期間内のことを1クールと呼ぶため、年4クールあるわけである)。ここ5年位の傾向では、1クール内に多い時で5-6本はラノベ原作のアニメが放送されている。しかし、それらは内容がどれもワンパターンで、①美少女が大量に出てくる、②その美少女の群れに、男主人公が理由もなくモテまくる、③主人公が大した努力もなしに特殊能力を身に付け、敵を圧倒する、といった要素が必ず一つ二つ、あるいは全部入る。毎回毎回、雨後の筍のように出ては消えするこういう内容のアニメに、多くのアニメヲタクは食傷気味になっているのだ。その結果、ラノベ原作アニメにおいて高評価を受け続編が作られる作品は、こと最近では極めて少なく、アニメ放映後に販売されるDVDの売り上げも芳しくないものが大半を占める。

 とはいえ、私はこの手の量産型ラノベアニメは結構好きな方である。こんな世知辛い世の中、今日び汗臭い野郎しか出てこないスポ根アニメを見せられるよりは、愛くるしい美少女がキャッキャウフフするアニメを見る方が断然いいに決まっているではないか。ああいうアニメはキャラクターの動くさまを見て愛でるためのものであって、内容云々を議論してはならない次元のものなのだ。また、特殊能力を持ったキャラクターが並み居る敵を倒しまくる系統のアニメも、私の心の琴線に触れる。片手から火やら電撃やらを放って敵を焼き尽くしたり、見た目は華奢な子供が身の丈2mも3mもあるような剣や鎌を振り回して巨大な敵を一刀両断するような内容は、三十路過ぎた今なお心躍るものがある。秘められた能力を使って、開かずの扉の前に記された意味不明な碑文や暗号を解読するキャラクターもカッコイイ。他の者にはわからないものをすらすらと理解し、詠唱するなんて、実際にできたら妙な優越感に浸れそうだ。こんな特殊能力を実際にこの現実世界で身に付けられるなどと言ったら、誰もが鼻で笑うかもしれない。でも、さすがに手から電撃やらは無理にしても、実は暗号解読系の特殊能力は、家の周りの身近な裏山で鍛錬し習得することが可能なのだ。ということで、やっとここから虫の話が始まる。

 自然界において一方的に食われる立場にある昆虫たちは、種によって様々な方法を駆使して天敵の攻撃を避ける。中には毒や針、キバといった武力で敵を打ち負かす防衛反応を特化させたものもいるが、大半の虫は敵が自分を攻撃対象から自発的に外すよう促す手段を使う。例えば、本当は無毒なのに有毒な種に見せかけ、派手な警戒色で敵の攻撃心を削ぐようなもの。ハチそっくりなトラカミキリやスカシバ、テントウムシそっくりなウンカあたりが挙げられるだろう。もう一つは、逆に徹底して地味な姿となり、背景に紛れて隠ぺいするもの。今回の話の主役である。

ツマキトラカミキリ。山間の貯木場で、木材の上をせかせか走り回るのが見られる。
スカシバの一種。ペルーにて。日本のコスカシバに近縁と思われる。
キボシマルウンカ。テントウムシと同サイズかつ似た外形。悪臭を放つテントウムシを装っているのは容易に察しが付くが、ちょっとでも脅かすと高速ジャンプで瞬時に吹っ飛び消えるので、正直擬態する必要などないように思う。


 隠ぺい擬態で身を守る昆虫は多岐に及び、その隠ぺい対象も枯葉、花、枝、樹皮など様々だ。日本では特に、越冬中の昆虫において隠ぺいの技の洗練されたものが多いように思う。何せ、越冬中の昆虫は仮死状態となるため、しばしば危険が迫ってもその場から一歩も動けない。敵に存在を認知されたら、もはやなす術がないので、敵に認知されてはならないという淘汰を幾世代にも渡りかいくぐり続けてきた結果であろう。虫が少ない冬の間、私は裏山でこうした越冬中の昆虫を探し、隠ぺいの術を見破る「能力」を養成するのだ。

クワエダシャクの幼虫。斜め懸垂のような体勢で越冬。2対の腹脚の他、口から吐いた細い糸で体を支える。厳冬期には懸垂をやめて枝に張り付くか、場所を移動することもある。

 私の足しげく通った長野の裏山の畑には、桑の木が幾つか生えていた。冬になると、これら木の枝のどこかに尺取虫が付くのだが、そいつの枝への似せっぷりはとにかく神がかっていた。クワエダシャクというガの幼虫たるこの尺取虫は、その名の通り桑の木だけにしか付かない。秋が深まってくると、彼らは一番尻の方に付いている2対の脚(腹脚)だけで枝をしっかり掴み、斜め懸垂をするような体制で不動となる。この体制のまま、風雨に直に晒されつつひと冬を耐え忍ぶのである。その体の色や肌の質感は、桑の枝特有のそれをものの見事に再現している。
 さらに、この尺取虫の頭の形がまた、桑の枝の冬芽に瓜二つなのだ。どこからどう見ても、冬芽を付けた小さな横枝にしか見えない。だから、これを桑の木たった一本から一匹でも見つけ出すのは、初見では相当至難である。
 しかし、何回も探し続けていると、一見無造作に枝に止まっているかに思える尺取虫も、大雑把にこの辺にいる確率が高いという傾向が分かってくるのだ。少なくとも私が出入りした裏山において尺取虫は、木の枝の末端部にはほぼ付かない。幹の低い辺りから張り出す太い横枝の、比較的付け根近くに付いていることが多い。だから、今では何の下見もなくいきなり冬にその桑の木の所へ行っても、反射的にその部位だけを見る癖がついたため、だいたい15秒もあれば私は尺取虫の1匹や2匹はすぐ発見できるようになった。しばしば自然観察会などで、虫に関する知識に明るくない人と裏山を歩く際、たまたま通りすがった桑の木の前で瞬時にこの尺取虫を数匹見つけて見せると、10人が10人白目をむいて驚く。何でこんなものすぐ見つけられるんだ?? と。実に気分がいい。こういう時に覚える愉悦は、幼稚園や小学校で昆虫博士じみた奴がクラスメートから昆虫に関するQを投げかけられ、即座に答える時に覚えるそれと根幹は同じだと思う。

コミミズクの幼虫。セミやウンカの親戚筋で、同じ名前のフクロウ科の鳥とは無関係。平たい体でクヌギ等の細枝に取りつき越冬する。枝に完全にペタッと張り付き、影を消すため、生き物がいるという気配を全く出さない。


 尺取虫に限らず木の枝に擬態するタイプの越冬昆虫は、低い場所から張り出す太い横枝に身を固めるものが多いように思う。いくら雨ざらしで耐え忍ぶとはいえ、雨風の影響をまともに受け、場合によっては枝ごと折れて落下する危険もはらむ枝の末端部にはなるべく居たくないわけだ。扁平な体で枝にべたっと張り付き姿を消すコミミズクの幼虫も、そうした場所に着目して探すと難なく見つかる。

 しかし、さすがの私でもまだ即時発見が難しい越冬昆虫がいる。ホソミオツネントンボだ。普通、日本の九州以北においてトンボは卵か幼虫の姿で越冬し、その越冬場所も土の中か水中の底。しかし、例外的にイトトンボの仲間のうち3種のみ、成虫の姿で越冬する。その一つホソミオツネントンボは、夏に水田や池で成虫が羽化する。枯れ草のような茶褐色をした成虫は、まだ暖かい日の続くうちに、死に物狂いで他の小昆虫を捕食して栄養を蓄える。そして、秋が過ぎて本格的な冬の前に水場近くの林内へ入り込み、低木の枝などにしがみついてそのまま一冬動かない。雨に打たれても、雪が積もっても、細く軟弱な体でそのまま耐え続けるのだ。そうして翌春まで耐え忍んだ個体だけが、繁殖に参加する権利を得る。5月の繁殖期、彼らは冬の間枯れ枝のように地味だった体色を目の覚めるような青に変え、残り短い生を謳歌する。

 このトンボ自体は、活動期に生息地へ出向けば普通に見られる。しかしその越冬態たるや、発見は筆舌に尽くしがたく至難だ。何せ、特定樹種にしか付かない尺取虫などと違い、どんな種類の枝にでも取りつく。取りつく高さも部位も全くランダムで、探す狙いを一切つけられない。何より、止まった虫の体が枝そっくりな上、何かその場所にいるという目印を付けるでもなく、本当に無造作にそこにいるだけなのだ。最初に私がこのトンボの越冬態を裏山で探そうと思い立ったのは2008年辺りだったが、初年度の冬は1匹も発見できずに終わった。せめて大雑把でいいから、どういう地形や立地を越冬場所として好む傾向があるかくらいは絞れないかと、当時だいぶ考えた。こういう、地中などに引きこもらず雨ざらしで越冬するタイプの虫なら、いくらランダムに越冬場所を選ぶとはいえ、無防備な越冬を失敗させないための策を講じていることは疑うべくもないのだ。

 むき身で越冬する虫にとっての脅威は、一に敵襲、二に雨風、そして三番目に急な気温変化であろう。知らない人は意外に思うかもしれないが、越冬昆虫にとって真冬に突発的に訪れる暖かな日は、生死にかかわる試練の刻。こういう日、虫はしばしば春が来たと勘違いして起き出し、活動を再開してしまう。しかし、その翌日再び真冬の天候に見舞われれば体が周りの変化に付いて行かず、死にやすい。また、虫に限らず変温動物は、ひと冬の間眠って過ごすのに最小限必要な脂肪分のみ、体内に蓄えて越冬する。体の代謝機能を限界まで落とし、生きるか死ぬかの境目の状態で、少しずつ使ってやりくりしないといけないエネルギー源だ。真冬におかしなタイミングで目覚めてしまえば、それだけでエネルギーを無駄に消費してしまうため、再び寒くなって越冬態に戻ったとて春まで持たずに死ぬ可能性が高い。つまり、虫が越冬を成功させるには、一日を通じて気温の変化がほぼない、そして常に低く保たれている場所を越冬場所に選ぶ方がいい訳だ。私の行きつけの裏山で、一日中ずっと日も差さずひたすらクソ寒い場所はどこかと考えたら、たった一か所だけ思い浮かぶ場所があった。北向きの斜面に作られたスギの植林地帯だ。

 思い立ったが吉日と、12月のある日に私はそこへ行った。真冬のここはとにかく寒い。朝行っても昼行っても常に薄暗く、そこにいるだけで陰鬱な気分になってくる。その陰鬱の森に分け入り、倒れた丸太や枯れた下草に足を取られそうになりつつも、私は膝下くらいまでの高さの貧弱な雑木の幼木を、丹念に見て回ることにした。ここに生えている雑木は、みな発育が悪く枝が細い。そう、それらの小枝は、まるで越冬中のホソミオツネントンボと、色も太さも長さも同じなのだ。視界一面、足元にそれが広がって生えているのだから、探す前から気分がくじけるというもの。一本一本、丹念に見ていくしかない。しかし、あくまでもこの場所にいるかもしれないと言うのは私の推測に過ぎず、本当にここにいるのかどうかはわからない。もしここにいないのであれば、今から私は壮大に無駄なことのために無意味な時間を過ごすわけだ。慣れない環境で未知の虫を探す時は、いつもこうした思いと戦いながらやらねばならないのである。

 暗く冷たく、生物の気配が一切ないスギ林を、身をかがめつつ右往左往し始めて1時間くらい経っただろうか。と、ある雑木の幼木の脇を通り過ぎようとした時。何となく、その枝のうち一本が不自然に動いたように見えた。一瞬、何かの見間違えかとも思ったが、よくよく見たら、その動いたように見えた枝にはなんと翅が生えていた。私の読みは見事に当たった。まさに越冬中のホソミオツネントンボが、そこに止まっていたのである。これを見つけたときは、心底嬉しかった。それ見たことか! こういう、フィールドにおいて自分の予想がまんまと当たった時の喜びと、まんまと外れた時の驚きというのは、他の何物にも代えがたいものである。私はトンボをじっくり観察してみた。奴は枝をしっかりと脚で掴んだまま、その場から一歩も歩かなかった。一見、生命の覇気が全く感じられず、死んでいるようにも見えた。しかし、こちらが顔を近づけると、トンボはその場から逃げない代わりに体を僅かに斜めに傾けて見せた。敵が寄ってきた時、彼らはこのように相手側から見た時に少しでも自分がトンボの姿に見えないような角度に体を倒すのだ。さっき、発見時に動いたように見えたのはこのせいだった。そして何より、透き通ったその瞳の美しさが、まだこの生き物が生命の火を灯しつづけていることを雄弁に物語っていた。

ホソミオツネントンボ。薄暗いスギ林で見つけた、越冬中の個体。間近で見ればこそ見まごう事なきトンボの姿だが、広大な枯れ野でこれを見つけ出すことがどれ程難しいかは、実際に試してみればよくわかる。


 その数日後、記録的な大雪が長野に降った。私は自身の交通さえ難儀するこの日、あえて裏山へ行った。あのトンボがどうしているかを見たくて、そしてその様を写真に撮りたくて。いつもなら家から自転車で15分もかからないその近距離の森へ行くのに、この日は一時間半も費やした。膝上まで積もった雪に埋もれながら森へ分け入った私は、そこで氷を全身にまといつつも、先日と同じく凛として枝にしがみつき続けるトンボの姿を目に焼き付けたのだった。正直この小汚い小トンボが、そんなに大変な思いをしてまで見たり写真を撮りに行くほどの価値のあるものかどうかはわからない。しかし、虫の冬越しの辛さ厳しさを理解し、それを一丁前に人に語る以上、観察者の側だって同じく辛い目に遭わなければ平等ではない。英語が母国語の者が、英語を母国語としない者が会話で四苦八苦する様を見てバカにしている限り、真の国際化社会など訪れないのと同じだ。極寒の薄暗い森の中、私はトンボとただただ静かで冷たく辛いだけの時間を共にした。

氷をまといつつ、それでも澄んだ瞳で冬を耐え忍ぶホソミオツネントンボ。


 こうして越冬昆虫達を相手に鍛錬し、向上させた「隠ぺい解除能力」は、フィールドから「左右対称のもの」「明らかにその場の景色になじまないもの」を見抜くのに抜群の威力を発揮する。それゆえ、私は擬態昆虫の総本山たる熱帯のジャングルなどへ行っても、枝そっくりなナナフシや樹皮そっくりなウンカなど並み居る刺客どもの擬態技を、次々に破ることが出来るのだ。
 私に破れぬ擬態はない。(つづく)

ヒロズアシブトウンカの幼虫。マレー半島にて。地衣類に覆われて白っぽい樹幹に、平たい体で張り付く。全身が白いロウ状物質で覆われ、よく見ないと背景と見分けがつかない。