特集を準備している間に世の中の雰囲気が変化していく、という経験は何度もしてきました。大事件の起きた時などはまさにそうです。二〇〇一年九月十一日の米同時多発テロ、二〇一一年三月十一日の東日本大震災などは、その最たるものです。前者では、当時担当していた雑誌の特集をすべて組み替えました。
 今回の場合は、ジワッジワッと変化が感じられてきて、最後にドンと、決定的なひと押しがあったという感じでしょうか。米大統領選におけるドナルド・トランプ氏の勝利のことです。特集を作り始めた入口と出口では、まわりの風景や空気がかなり違ってきました。
 昨年、「うれし泣き」の顔を表した絵文字を「今年の言葉(ワード・オブ・ザ・イヤー)」に選んで話題を呼んだ、世界最大の英語辞典であるオックスフォード英語辞典は、二〇一六年を象徴する言葉に「post-truth(真実後)」を選びました。「世論形成において、客観的事実が、感情や個人的な信念への訴えかけよりも影響力を欠いている」ことを理由に挙げています。この形容詞は、英国のEU離脱や米大統領選の論評の中で多用され、前年比で使用頻度が二十倍に増えたといいます。
 「post-truth politics」が深刻な問題としてにわかにクローズアップされたのは、英国におけるEU離脱をめぐる論争でした。慶應義塾大学教授の細谷雄一氏(国際政治・外交史)は、この問題で残留派と離脱派がとった戦略は「実に対照的だった」と述べています。すなわち、当時のキャメロン首相は、「可能な限り信頼できる客観的なデータに基づいて、EU加盟の意義を国民に理解してもらおうと試み」、計三千頁にも及ぶ膨大な報告書を公表しました。しかし、「それはあまりに複雑で難解であり、多くの国民には理解が困難」でした。
 一方、離脱派はそのような煩瑣な手続きは踏まずに、「感情に訴えて国民をEU離脱に誘導」しました。成功したのは、「意図的に誤ったデータを繰り返し語り、虚偽の情報を事実であるかのように世論へ浸透させること」の方でした。結果、国民投票で勝利するや否や、離脱派が公約はうそだと明かす一幕が生まれました。
 トランプ氏については会田弘継氏が本誌特集に書いているように、七割以上が虚言であり(「ポリティファクト」調べ)、「実現の危うい空約束」だということを、米国民は「半ば以上知りながら」、それでもトランプ氏に票を投じました。クリントン氏の言葉は現実的で、良識的な信念を語っているかもしれないが、将来への不安におののく人たちには、冷たく感じられたり、頭のいいエリートやエスタブリッシュメント(既得権層)が自分たちの利益を守るためにまことしやかに繕っている、それこそ〝虚偽〟ではないかと疑惑の目を向けたのでした。既成のメディアもそちらに分類され、不信の対象とされたのです。
 まさに「真実後」の困難な社会分断状況に、言葉が晒されているといえます。では、言葉が力を失ったのか、無力であるのか、といえば、そうではないでしょう。空転する言葉によって引き起こされた混乱は、やがて言葉自身がそれを修復し、平衡への軌道を生み出すはずです。それを妨げる動きに対して、私たちが対応を間違えさえしなければ。
 英米の教訓は日本にとって他人ごととは思えません。私たちも政治の言葉、経済の言葉、日常の言葉、等々との新たな関係を考える時期に来ているような気がします。もやもやした不安、いわく言い難い違和感を解消し、社会をふたたびつなげてくれる言葉。生きている身体的な感覚にフィットした新たな表現を手にしたいという欲求が世の中のあちこちに生まれているように思えます。揺らぎは、再編成への希望でもあるはずです。解決法は用意できませんが、せめてその心構え、身構えを今回の特集で考えようとしました。
 杉本圭司氏の連載「小林秀雄の時」が今号で最終回となります。代わって田中ゆかり氏の新連載「読み解き 方言キャラ」がスタートしました。(和)