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■[特集]いいぞ、応援! ■最新号目次 ■編集部の手帖
 
危機は再生への希望

 あっという間に年の瀬です。先ほど編集部には冬号の見本誌が届きました。出来立てホヤホヤのこの号が来週の月曜日に書店の店頭に並んだら、あとは固唾をのんで売行きを見守り、そして28日の仕事納めを迎えます。
 
 冬号の特集は「ことばの危機、ことばの未来」です。ことばは私たちのもっとも基本的なコミュニケーションの道具です。使い勝手の良し悪しや、扱い方の上手下手といった問題はつきものですが、普段はそれほど「ことば」を意識することはありません。ことばは、いわば空気みたいな存在として、私たちの毎日を支えています。
 
 ところが、ことばは揺れ動いています。人の心や時代の流れとともに絶えず変化を繰り返し、定まった形があるようでないのが、ことばです。ことばはまさに生きものです。何かの拍子にことばが妙に気になり始めたり、誰かの何げないひと言が鋭く胸にささったり、逆にたとえようもなく大きな慰めが得られるのは、ことばも人も生きて動いているからです。
 
 では、いまの時代の、いまのことばの健康状態をチェックするとどうなるでしょう? いい感じで“動的平衡”が保たれているのか、そうでないのか?
 
 直観的には、少しバランスが損なわれている箇所が目立つ時期ではないかと感じています。これまで寄り添っていたはずのことばと現実との間にズレが生じたり、世の中のもやもやとしたわだかまりを、ことばがうまく掬い取れていないのではないか、と感じる場面が増えてきました。ことばがどこか「紋切り型」に聞えたり、予定調和的にきれいにまとめられた説明が“隔靴掻痒”に思えたり、何となく嘘っぽく感じられたりすることが日常レベルで多くなりました。一方で、罵詈雑言、誹謗中傷、侮蔑的な暴言が飛び交っているのも、そうしたことと無関係とは思えません。
 
 そこで、いまことばが置かれている状況をまずはいろいろな形で拾い上げ、「考える」ための素材を集めよう、と思ったのが、夏から秋にかけての時期でした。
 
 その頃、海の向こうでは、米大統領選に向けてトランプ候補の快進撃が注目されていました。過激で差別的な発言を繰り返し、口からデマカセもへっちゃら、プロレスの悪役レスラーのような人気者でした。この現象がいつまで続くのだろうか? 人々は懐疑的に眺めていました。ところが、政治のプロや大方のジャーナリズムの予想を裏切って、彼は共和党の大統領候補に選出され、さらに激しい選挙戦でも、そのまま勝利を収めました。トランプ・ショックが世界に走ったことは周知の通りです。
 
 その衝撃を象徴したのが、世界最大の英語辞典であるオックスフォード英語辞典が、2016年の「今年の言葉(ワード・オブ・ザ・イヤー)」に、「post-truth(真実後)」を選んだことでした。この言葉は「世論の形成において、客観的な事実や真実よりも、感情や個人的信念への訴えかけのほうが大きな影響力を持つ状況」を示しています。
 
 詳しい経緯は冬号巻末の「編集部の手帖」に書きました。このフレーズがにわかにクローズアップされたのは、英国におけるEU離脱をめぐる論争においてです。要約すれば、虚偽が真実のように流布され、真実が虚偽のように拡散される「事実軽視・うそつき政治」の時代が到来したのです。ことばは一体どうなったのか、どこへ行くのか? 鋭い問いが突きつけられました。
 
 そして米国です。トランプ氏の発言については、本誌特集でジャーナリストの会田弘継氏が述べているように、その7割以上が虚言であり(政治サイト「PolitiFact」調べ)、「実現の危うい空約束」だといわれています。米国民はそれにまんまと騙されたわけではなく、半ば以上は嘘かもしれないと知りながら、それでもトランプ氏に票を投じたというのです。「よりマシ」なほうを選択したというわけです。
 
 ヒラリー・クリントン氏の言葉は、現実的で、良識的かもしれないが、将来への不安におののく人々には、冷たく、きれいごとに聞えました。これまで自分たちに見向きもしなかった、頭のいいエリートやエスタブリッシュメント(既得権層)が自分たちの利益を守るためにまことしやかな物語を騙(かた)っているのではないか、それこそ“虚偽”をたれ流しているのではないか、と疑惑の目を向けたのです。既成のマスメディアもそちら側に分類され、不信の対象とされたのです。
 
 英米の教訓は日本にとって他人ごととは思えません。私たちも政治のことば、経済のことば、日常のことば……あらゆることばのメンテナンスをしなければならない時期に来ている気がします。漠とした不安、いわく言い難い違和感、もやもやした不満を解消し、社会をふたたび結び付けてくれることば――生きている身体的な感覚にフィットした新たな表現を手にしたいという欲求が、社会のあちこちで生まれているように思えます。
 
 匿名で書かれたブログ記事の「保育園落ちた日本死ね」が、年末恒例の「ユーキャン新語・流行語大賞」に選ばれたことで議論が巻き起こりました。審査員の一人だった俵万智さんに対し、「歌人がこんな言葉を選んだのですね」といったネット上での書き込み、批判が相次ぎ、それに対して俵さんがツイッターでコメントすると、それも炎上する騒ぎになりました。
 
「保育園落ちた日本死ね!!!」については、池澤夏樹さんが特集の中で知見を述べています。あれはSNSという強力なツールを最大限に利用して、筆者が「反発を買うのを承知で挑発した」――その結果、「非常に効き目があった」というわけです。こうしたメディア環境の変化も見据えながら、ことばの未来を考えなければなりません。
 
「パンドラの匣(はこ)」を開けてしまったような、「post-truth」の社会状況の中で、「ことばはどこへ行くのか」が問われています。とはいえ、ことばが力を失ったか、といえば、決してそうではないでしょう。空転することばによって引き起こされた混乱は、やがてことば自身がそれを修復し、平衡への軌道を用意するはずです。ことばの揺らぎは、見方を変えれば、再生への希望です。すぐにその道すじが見つかるはずはありませんが、せめてそのための心構え、身構えを今回の特集では考えたいと思いました。
 
 さて、ここからはお知らせです。この「考える人」メールマガジンを書き始めて、先日300回を超えたことはご報告した通りです。そこから37回分をセレクトした単行本『言葉はこうして生き残った』が1月28日(予定)にミシマ社から刊行されることになりました。
 
 最初にそのタイトルを提案された時は、一瞬、身が固まりそうでした。そんな大それたテーマで書いてきたつもりはなかったからです。けれども、同時に見せてもらった目次案を眺めるうちに、何となくイメージが浮かんできました。
 
 メルマガは、毎回、時間との戦いです。日常の仕事が終わった深夜のデスクでパソコンに向かい、毎回“綱渡り”を繰り返してきました。「次」を書くことに精いっぱいで、過去の文章を読み返す余裕などありませんでした。こうした機会が与えられ、思いがけない形で1冊の本がまとまって、不思議な感慨を味わっています。
 
 意識してスタートしたわけではないのですが、「ことば」の特集を冬号で組んだその時に、「言葉」をタイトルに掲げた自分の本が世に出ます。本と雑誌が合わせ鏡のようになって、2017年の「ことばの危機」を考えるきっかけになってくれればと思います。書店で一緒に並ぶ風景も面白いだろうなと想像します。
 
 メルマガも年内はきょうが最後の配信です。
 
 皆さん、どうぞ良いお年をお迎え下さい。
 
「考える人」編集長 河野通和(こうのみちかず)
 



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