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 2017年のことば
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 私たちはきょうが2017年の仕事始めです。

 本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 と言いながら、実はこのメールマガジン、年末の大掃除をしながら、仕事納めの日に書いております。新年初日は朝からバタバタしているので、配信のセッティングを年内に済ませておこうというわけです。なので、正真正銘の新年のメルマガは次回からになります。ご諒承下さい。

 さて、12月26日に「ことばの危機、ことばの未来」の特集号が発売になりました。すぐに知り合いからメールをもらいました。何ごとかと思ったら、グラビアに出ていた長嶋茂雄監督の胴上げ写真についてのコメントでした。「考える人」でいきなりあの写真に出くわして驚いた、と。長めに書いてあったキャプションを読んで「なるほど、なるほど」と頷きながら、1994年10月8日の巨人vs.中日戦がいかに凄い戦いだったか――思い出すにつれて、胸が熱くなったというのです。

「勝つ! 勝つ! オレたちが絶対に勝つ!」――後々「勝つ3連発のミーティング」として言い伝えられる長嶋監督の烈しい檄が、試合前の選手たちを奮い立たせます。以前、このメルマガでも紹介した通りです(「考える本棚」339号「勝つ! 勝つ! 勝つ!」)。

「武者震いとはこれか、と思いました。全身に鳥肌が立ち、ゾクゾクッとした瞬間、監督のかけ声につられて『おおー!』と腹の底から雄叫びを上げていました」

 こう話してくれたのは、長嶋さんからバトンを受けて、2002年のシーズンから巨人軍監督に就任した原辰徳さんでした。彼は次のようにも証言しています。

「凄いミーティングでした。あのミーティングで一気に我々の闘争心に火がついた感じでした。監督の言葉一つで、あれだけ選手たちに勇気と自信を与えることができる。自分が巨人やWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)の監督をやったときに、様々な場面で選手を相手にミーティングをしましたが、あのときの長嶋さんのミーティングというのは、一つのお手本となるものだったと思います」(鷲田康『10・8――巨人vs.中日 史上最高の決戦』文藝春秋)

 長嶋監督が「地の底から湧き上がるような声」で「勝つ! 勝つ!」と選手たちに闘魂を吹き込んだひと言に、これ以上ないほどの迫力を与えた舞台装置も完璧でした。

・ペナントレース129試合を終えた時点で巨人と中日が69勝60敗で首位に並び、130試合目に、この同率首位チーム同士が直接対決して雌雄を決することになりました。

・シーズン中、一時は2位に10.5ゲーム差をつけて首位を独走していた巨人が、急に失速して土壇場に追い詰められました。球団創立60周年、読売新聞創刊120周年というメモリアル・イヤー。前年、監督復帰を果たしたばかりの長嶋監督であるとはいえ、負ければ引責辞任、という緊迫感漂う中での決戦でした。

・シーズン中4位にまで転落した中日は、早々と高木守道監督の解任が通告されていました。そのボロボロの状態から、怒涛の巻き返しが始まって、一気に優勝に手が届くところまで駆け上がってきました。明らかに巨人を上回る勢いがありました。

・常にプロ野球を代表するスーパースターであり続けた長嶋監督に対し、長嶋に憧れてプロの道に進みながら、選手としては「名人芸」のいぶし銀タイプに徹した高木監督。個性も采配も対照的でした。

「ウチの選手もこんな環境でやるのは初めてでしょう。これはもう、選手冥利に尽きるというものだな」と、日本中から注視されて戦う喜びに浸っていた長嶋監督。

「さあ、みんな! いよいよ今シーズン最後の試合だ。ここまでみんな、諦めずによく頑張ってやってきてくれた。最後も今まで通りに全力を尽くして普段通りの野球をやろう!」と“いつも通り”を心がけた高木監督。

 この大一番を、長嶋監督は「国民的行事」と呼びましたが、まさに全国民が固唾を飲んで見守る究極の試合だったかもしれません。テレビ中継の平均視聴率は48.8%、瞬間最高では67.0%というプロ野球中継史上最高の、驚異的な数字が出ています。

 試合展開も尋常ではありませんでした。主力選手が2人、負傷退場しています。1人は、この年、FAの資格を得て、中日から巨人に“優勝請負人”として移籍していた4番打者、落合博満選手です。優勝できなければ引退するしかない、という悲壮感すら漂わせて決戦に臨みます。先制本塁打と勝ち越しタイムリーを放ちますが、直後の3回裏の守備で負傷し、途中退場となります。

 もう1人は、中日の3番打者、立浪和義選手。落合選手が負傷するきっかけとなる一塁横への強いゴロを放ったのが立浪選手でした。3点差を追う8回裏、先頭打者としてバッターボックスに立ち、桑田真澄投手の4球目を叩いた当たりは三塁方向へ大きくバウンドする打球となりました。「とにかく塁に出なアカンと思っていたし、無我夢中で走ったら目の前にベースがあって、飛び込んでしまった」(鷲田・前掲書)。

 生まれて初めての一塁ベースへのヘッドスライディング。内野安打をもぎ取ることはできましたが、その際左肩を脱臼して、負傷退場。

 落合、立浪という主軸が次々に手負いの兵士となり、戦列を離れること自体、いかにこの試合が特別で、異様な雰囲気に支配されていたかが分かります。原選手も松井秀喜選手も「もう二度と味わいたくないような緊張感」だったというように、グラビアを飾った長嶋監督の満面笑顔の胴上げシーンに至るまでは、まさにプロ野球史上類を見ない、壮絶な戦いが繰り広げられたのでした。

<「言葉は短い方がいいんです」
 長嶋は言う。
 「ミーティングの内容はすべてアドリブですよ。いかに自分たちが勝つ、今中(中日のエース投手・引用者註)を打つという気持ちを強く持たせるかですから。そのためにはああだ、こうだと言うんじゃなくて、言葉は短い方がいい。それだけですよ」>(同)

 長嶋監督が本当に「勝つ」を3回連呼したのかどうかも、説は分かれているそうです。ただ確実なのは、監督の言葉によって選手たちは「一種のトランス状態」に陥り、その高揚した状態のまま、決戦場であるナゴヤ球場に向かったという事実です。

 やはりこのメルマガで、以前、次のように書いたことがあります。

<その人物の口からいかなる言葉が発せられるか――。聴衆が固唾を呑んで、そのひと言を待ち構えるという状況が、時として生じます。ある“共鳴板”を胸に秘めた集団が、語り手の声にじっと耳を傾ける状態は、私たちの人生においてもしばしば起こります。古くはラジオから流れる終戦の詔勅を、日本国民全体が聞いていた時でしょう。最近では東日本大震災の直後、首相が語るひと言には、おそらくその重みがあったはずです。あるいは、会社が危機に瀕した時に、経営者が社員を前に、何をどういう調子で訴えるか――。
 私たちの誰もが、全身を耳にして、それをひと言も聞き漏らすまいとする状況は、必ず何らかの瞬間に訪れるものです。もちろん、その時に自分自身が発語する側にまわることも十分あり得ます>(「考える本棚」367号「スピーチの光と影」

 こんな緊迫した場面に立たされた時、自分だったらどのようにそのひと言を聞くのだろう? あるいはどう人に語りかけるのだろう? いずれにせよ、得も言われぬ重圧と緊張につつまれた状況です。発せられる言葉ひとつによって、道は大きく分かれて行くことになるのでしょう。

 2016年、世界中でいろいろな言葉が飛び交いました。それによって、世界はいまだに泡だっているように感じます。余波は当然、2017年も続くでしょう。今年の言葉は、いったいどこへ私たちを導くのか。行方が気になる年初です。

「考える人」編集長 河野通和(こうのみちかず)