出先からミラノへ戻り、気がつくと窓から外を見ている。眼下には、大きな広場。市を同心円で回る数本の環状道路と郊外へと伸びる放射道路が、この広場を通り抜けている。同じ路上を路面電車も東西南北に行き交う。
 通行人の流れが加わって、ミラノの鼓動そのものだ。

 窓の中に一点、じっと動かず広場を眺めているものがある。
 ナラの木だ。

©UNO Associates Inc.
 

 広場は、<五月二十四日広場>と呼ばれている。一九一五年五月二十四日、イタリアは第一次世界大戦に参戦した。ミラノのこの広場のある地区からも、たくさんの若者たちが出征した。戦後一九二四年、生還しなかった兵士を祀るために記念碑が設置され、その脇に苗木が植樹された。植えたのは、一兵士の父親だった。
 ミラノの冬は長く、日照時間は少ない。夏にはアフリカからの熱風が吹き込み、四十度を超える炎天の日もある。植物が生き延びるには、たやすくない気候である。けれども、苗木は枯れなかった。植樹した父親はそばに建立された記念碑を詣で、丹念に木の世話をした。声を掛け、水をやり、肥料を添え、枝を払って雑草を抜いた。
 <どうかよろしくお願いします>
 父親は木をミラノ市に託して、逝った。
 そして今、ナラの木はロンバルディア州で最古で最大の樹となって、枝を四方に広げている。落雷で幹が二つに裂けたこともあった。ヨーロッパじゅうの樹木に伝染したカビにやられた夏もあった。馬車から車時代となり、広場は排気ガスで充満した。ミラノが発展し、人口が増え、それにつれて地中には電線、ガス管、下水管が網目のように広がっている。それに根がつかえ、大気汚染と栄養不足で枝は曲がり、木は古傷を抱えて傾き始めた。それでも倒れなかった。
 やがてミラノ市は、
 <いかなる理由があっても、伐採してはならない>
という特別条例を制定した。五月二十四日広場の、このナラの木のために。

 十二月に入ると間もなく、落葉樹の大木は葉を落とす。己の枯葉の上に堂々と立ちつくし、天へ向かって黒い裸の枝を伸ばして冬を耐える。毎朝エスプレッソ・コーヒーが沸き上がるのを待ちながら、窓から広場を見る。黒い線画のような大樹を見ると、多少のことでへこたれている場合ではない、と奮い立つ。
 そして突然、一夜のうちに裸だった枝に新芽が一斉に生える朝がやって来る。路上はまだ霜に覆われて白く、吐く息も凍りつくような寒さでも、大樹は春が来たのを知っている。
 
 二〇一五年に開催された万博で、この広場も全面的に再建築された。長い時を経て歪(いびつ)に拡張して人や車の動線を乱し、<新しいミラノ>にそぐわなかったからだ。数百年前から変わらなかった敷石は撤去され、アスファルトと新建材が敷き詰められた。運河沿いの街路樹は、あっという間に根元から伐採されてしまった。市民が口を挟む間もなかった。再開発の名のもとに見慣れた緑を処分されてしまい、住民たちは自分たちの過去もいっしょに切り取られてしまったように感じた。
 「緩んだ石畳が鳴ったり、街路樹の根に押し上げられて路面が凹凸になるのもひっくるめて、ここに暮らすということでしょう?」
 広場に面した建物に何世代にも渡って住んできた人が、哀しそうに言う。

 件(くだん)のナラの大樹はただ一本、伐採を免れて今日も広場に立ち続けている。その枝にも幹の深い裂傷痕にも、大樹が見てきた人々の暮らしの歴史が刻まれている。  
 <いかなる理由があっても、伐採してはならない>
 周囲の街路樹を撤去した市は許しを乞うように、新しく通す道路の幅を狭めてその分、大樹の周囲の余地を広げた。
 戦いに散ったのは、兵士ばかりではない。大樹はいま、これまで共に人々に潤いと木陰を作ってきた緑の仲間たちも追悼している。