Kangaeruhito HTML Mail Magazine 705
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竹内正浩『地図と愉しむ東京歴史散歩――地下の秘密篇』(中公新書)

圧巻の地下鉄路線断面図
 
 昨年の11月8日早朝、JR博多駅前の地下鉄延伸工事現場で起きた道路陥没事故は、2011年の東日本大震災以来、個人的にはもっともショックを受けた事件でした。規模の大きさもさることながら、ポッカリ空いた空洞をまざまざ見せつけられたことによる心理的な衝撃が強烈でした。
 
 砂上の楼閣ならぬ、巨大都市の危うさ、脆さがいきなり可視化された恐怖です。昭和45年4月に大阪市営地下鉄の工事現場でガス漏れによる大爆発が起こりました。「人類の進歩と調和」をテーマにした大阪万博が3月に開幕した約1ヵ月後の出来事です。79人が死亡するという痛ましい事故でした。
 
 今回は幸い犠牲者ゼロですみましたが、日頃地下鉄をさんざん利用する一方で、東京の地下空間は大丈夫なのかと、気になっていたところです。高層ビルの建築ラッシュやゲリラ豪雨、ますます過密化する地下鉄路線網を見るにつけ、地震が来たらどうなるのか、心配にならない人はほぼ皆無でしょう。
 
 本書はそんなホラーを煽る話ではまったくありません。むしろ真逆の方向で、「みえないもの」への興味に惹かれ、東京の歴史散歩を「地下」に広げようという試みです。日頃意識しなかった地下鉄の秘密が解き明かされ、「へぇー、そうだったのか」という発見の連続です。この100年近く、私たちが懸命にアリの巣のごとくトンネルを張り巡らせてきた営みが愛おしく、けなげに感じられる探訪です。
 
 ともかく本書の冒頭26ページを占める「地下鉄路線図」を見るだけでも、1冊購入する価値があります。少なくとも私にとってはそうでした。標高プラス40メートルからマイナス40メートルを縦軸にとり、各地下鉄路線を地形とともに断面で見せた13種類の図。圧巻という他ありません。これを見ているだけで、時間があっという間に過ぎ去ります。
 


 この本を携えて、約2ヵ月、地下鉄を乗るたびに路線のアップダウン、左へ右への急カーブを体感しました。新鮮な地下鉄の旅でした。たとえば、歴史のもっとも古い銀座線。赤坂見附を過ぎてから、ひたすら坂を上がり続けて青山一丁目に達し、やがて終点の渋谷駅で、地上高12.1メートルの高架橋を渡ってビルの3階に吸い込まれます。このスペクタクルは、何度見ても感動的です。段面図を見ると、それがさらに倍化されます。
 
 また、霞ケ関―国会議事堂前―赤坂見附―四ツ谷と激しい「のぼりおり」が続く丸ノ内線。とりわけ赤坂見附を出て、弁慶濠の下をかすめ、長い急勾配を上がりきった先で、ぽっかり車両が地上に現われます。JR中央線を跨ぐように、四ツ谷駅がそこにあります。
 


<紀伊国坂地下の五〇〇メートル近い急勾配を登りきって四ツ谷駅にたどり着く地形を、筆者はひそかに「地下鉄の碓氷峠(うすいとうげ)」と呼ぶ。峠越えした四ツ谷駅はさしずめ「地下鉄の軽井沢」である。そう思うと、都心の四ツ谷駅が高原駅に見えてくるから不思議だ>
 
 あるいは、私がいまもっとも頻繁に利用する東西線。飯田橋を出て外濠をくぐり、神楽坂に向かって坂を登ります。地上の早稲田通りが狭隘(きょうあい)だったため、神楽坂駅は「上下二段に構築」されています。その先は、細かなアップダウンを繰り返しながら高田馬場を過ぎ、神田川の下を潜ってから中野に向けて高低差ほぼ40mの勾配を上がって行きます。
 
 地下鉄の奮闘ぶりが何ともいじましく、図面を見ていると感嘆のため息が思わず洩れます。著者の簡潔でユーモラスな文章も快適です。
 
<地下鉄というと、地下をどこでも自由に掘削して地上の鉄道線よりも最適なルートを選択できるようにも見える。だが、けっしてそんなことはない。むしろ地上の鉄道線よりも不自由である。地下鉄は、地形と道路をきれいになぞっている存在だといってもいいほどなのだ。(中略)
 東京の地下鉄は、とくに都心部でごちゃごちゃしていて非常にわかりづらいといわれる。しかしほとんどの軌道が道路の下を通っていると知れば、理由なく線路を敷設したわけではないことが理解できるであろう>
 
 東京在住でない方には縁遠い話と受け止められるのもやむを得ませんが、それでもこのスペクタクルの感激を一緒に楽しもうとしている著者のサービス精神は感じていただけると思います。
 
<乗ってみればわかるが、丸ノ内線はなかなか面白い路線である。誰もが驚く点は、しばしば地上に姿を現すことではないだろうか。小石川台地のへりに敷設された茗荷谷(みょうがだに)~後楽園間は、二五・八パーミル(パーミルは一〇〇〇分比)の急勾配で切り通しを下っていく。周囲は茗荷谷の谷間で、切り通しや住宅地であまり眺望は利かないが、突然差し込む陽光に、地下鉄であることをつかの間忘れてしまう。安藤坂隧道(あんどうざかずいどう)の三三パーミルの勾配を上がると後楽園駅である>
 
 上京した人が、必ずや息を呑む感動的な風景が御茶ノ水駅です。
 


<御茶ノ水~淡路町間の神田川を渡る区間は、東京を代表する鉄道名所のひとつといっていいだろう。背景に聳え立つJR御茶ノ水駅に停車するオレンジ色の中央線電車と黄色の総武線電車、神田川を跨いで架かる聖橋(ひじりばし)と両岸の緑に、丸ノ内線電車の赤はアクセントを加えている。傍(はた)から見れば絶妙の風景だが、ここは神田川の水面から約四・五メートルの高さしかない。荒天時に最初に停止する地下鉄路線は、東西線と丸ノ内線である。東西線が最初に停止する理由ははっきりしている。強風にともなう荒川橋梁と高架区間への影響である。一方、丸ノ内線が運行停止する理由は、神田川が増水したさいの軌道閉鎖なのである。この付近の神田川の計画水位(現在でいう氾濫危険水位)はAP(註略)三・五メートルで、レール面はそこから一メートル高い位置に敷設されている。しかしそれとて万全ではない。最近では平成二十三年(二〇一一)九月のゲリラ豪雨のさいの神田川の水位上昇で閉鎖されている>
 


 各路線の特徴がこうして紹介されます。開通の経緯や、地盤の問題、川や濠の存在、工法の変化等々、約1世紀の地下鉄の歴史がたどられます。
 
 1970年代後半に春日三球・照代という夫婦漫才コンビが人気を博し、彼らの地下鉄漫才が一世を風靡しました。「地下鉄の電車はどこから入れたの? それを考えてると一晩中寝られないの」というネタが有名ですが、地下鉄のフシギをうまく笑いに仕立てていました。
 
 地上を走る鉄道路線との乗り入れがない場合、地下鉄の電車はどこから入れたのか、というのが先のネタ。別ネタでは、最新の地下鉄は「やたら穴を深く掘るようになった」ので、長いエスカレーターがどこまでも続く、と。
 
 千代田線新御茶ノ水駅は、神田川の川底よりもさらに深い場所に立地します。駿河台上に位置するJR御茶ノ水駅方面へ抜けるエスカレーターは、長さ40.8m。いまでも東京の地下鉄では最長です。「あんまり長いので、下でお茶を淹れて上に着いたら水になっている。だから御茶ノ水だ」、「エスカレーターの階段は何段かと数えてもムダだね。後から後から出てくる」とか、いま思い出すと、ずいぶん牧歌的な漫才でした。
 
 新規路線のトンネルがどんどん深くなるのは同じですが、最近では「地下鉄のトンネルのわずか数十センチ隣を別の地下鉄トンネルが貫通しているなど、地上の鉄道以上にスリリング」です。
 
<その顕著な例が、新宿三丁目駅である。最初に丸ノ内線の駅があり、その後、都営新宿線の駅が丸ノ内線の下にV字型に建設された。平成二十年(二〇〇八)に開業した副都心線の新宿三丁目駅は、丸ノ内線の下を潜り、なおかつ新宿線の上を通っている。新宿線建設当時、副都心線の計画は存在しなかったから、トンネル用地をあらかじめ確保しておくことはなかった。そのため、副都心線と丸ノ内線のトンネルの間隔はわずか数十センチしかなく、副都心線と新宿線のトンネルの間隔にいたっては、わずか一一センチである>
 
 かと思えば、
 
<……地表からいちばん深い位置にある地下鉄駅は、大江戸線六本木駅の青山一丁目方面行きの軌道でマイナス四二・三メートル。ところが、標高での比較は、ゼロメートル地帯付近に立地する半蔵門線の住吉駅のほうが低くて、押上方面行きの軌道でマイナス三三メートル。大江戸線六本木駅は、地表の標高三一メートルの高台に立地するため、レール面の標高はマイナス一一メートルにしかならない。
 東京の地下鉄でもっとも高い位置にある駅は千代田線の終点代々木上原で、地上の高架駅のため、レール面の標高は三九・一メートルである。もっとも低い位置にある半蔵門線住吉駅と比べると高低差は七〇メートルに達している。これは、一五階から二〇階建てビルの高さに匹敵する>
 
 この調子でいくらでも、地下鉄カルトが披露されます。とにかく断面図を眺めながら読み、かつ乗れば、こうした知識が乾ききった大地に注がれる雨水のごとく、またたく間に吸収されていくのです。
 
 興味深いのは最近のトレンドとして、地下鉄の駅間断面を「すり鉢型」にしているという話です。つまり、「駅と駅の間の軌道をあえて深い位置に敷設することにより、駅を出発したさいは下り坂にして加速しやすく、次の駅に近づくときは上り坂で減速しやすい環境」をつくりだし、モーターの負担を軽減することで、省エネ効果を期待します。東京メトロだけで年間15億円の節電になる、というのは驚きです。
 


「みえないもの」への憧憬(しょうけい)に始まる本書の歴史漫遊は、地下鉄のようにまさに地上から「みえないもの」を対象にするだけでなく、崇徳院(すとくいん)、平将門、新田義興(よしおき)などの怨霊、祟(たた)りといった「人知を超えた存在」や、団地造成で見えなくなったその土地の由緒、来歴など、さまざまな「みえないもの」が別の章では取り上げられます。いずれも、散策のお供にふさわしいテーマです。
 


 そうそう、昭和42年9月19日早朝、千代田線の工事現場では「不測の事態が発生」しました。不忍池(しのばずのいけ)の水面下の工事中、締切堤防が突如決壊し、約2万トンといわれる池の水が工事中のトンネル内に流入したのです。
 
<……通報が上野警察署に入ったのが午前五時五〇分。署員が駆けつけると、ボート池の堤防が長さ・高さ・幅各約一〇メートルにわたって決壊し、おびただしい水が工事中のトンネルに流入している。池はわずか三〇分で完全に干上がってしまった。発生時間が早朝だったためだろう、工事関係者を含む人的被害はなかったが、駆けつけた公園職員は、池の底で跳ねるコイやライギョ、ウナギなど数百匹を隣のハス池に移す作業に追われた。
 千代田線の全工事現場に連絡し、土砂を満載したダンプカー二〇〇台が現場に急行。不忍通りはダンプカーで埋め尽くされた。昼過ぎまでに大量の土砂で池之端に仮堤防が築かれたが、トンネルに流入した水抜きと不忍池への水戻しの本格開始は、週末の二十三日朝までずれこんでいる>
 
 何だか、博多駅前の陥没事故の発生と復旧のプロセスを彷彿とさせるような話です。
 
「考える人」編集長 河野通和(こうのみちかず)
図版・写真提供/中央公論新社
 



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