鮮やかな赤を求めて

 弁柄は前回述べた通り、広く用いられたが、あくまで赤茶けた色合いでしかなかった。英語ならクリムゾンやスカーレット、漢語なら真紅や緋色と表現されるような、目の覚めるような鮮やかな赤とは程遠いものであった。このため、鮮やかな赤を求める努力は絶え間なく続けられてきた。

 中国では、辰砂(しんしゃ)と呼ばれる鉱物が真紅の顔料として珍重された。司馬遷の「史記」にも、その鉱脈を発見した者が、数代にもわたる金持ちになったと記録されている。これは、辰砂が色材としてだけではなく、漢方薬としても人気が高かったためでもある。血の色を持ち、長年姿を変えることのない辰砂を体内に取り込むことで、不老長寿に近づけると考えられたのだ。

辰砂(H.Zell / Wikipedia Commons)


 しかし辰砂の主成分は硫化水銀(HgS)であり、不老長寿どころか毒物に属する物質であった。唐の歴代皇帝には、これらから調合した仙薬の服(の)みすぎにより、命を縮めた者が多かったともいわれる。確かに唐王朝の後期には短命な皇帝が多く、彼らがもう少し長生きできていれば、歴史の流れも変わっていたのかもしれない。

 植物から生まれる赤もある。紅花はその代表的なものだ。紅花の花弁を水洗いすると、水溶性の黄色色素は抜け、溶けにくい赤色色素カルタミンなどの成分が残る。この「紅餅」を醗酵させると、鮮やかな紅が得られる。舞妓や歌舞伎役者などの唇を彩ってきた、日本伝統の赤だ。

紅花(パブリック・ドメイン)
紅花を発酵・乾燥させたもの(ExplicitImplicity / Wikipedia Commons)


 紅花は、江戸時代に最上地方(山形県北東部)の特産品となり、重要な換金作物として藩の財政を潤した。今も山形県は、紅花を県花に指定している。京都では、梅酢を使って紅花色素を精製する技術が発達し、「京紅」と呼ばれた。上質の京紅は、同じ重さの金に匹敵する値段で取引されたという。貴重な赤は、大きな富をも生み出す存在であったのだ。

赤が色あせしやすいわけ

 この他にも、アカネやブラジルスオウ、オーキルなどの植物から赤色染料が得られ、各地で用いられた。ただしこれらも、色合いが安定しなかったり色あせしやすかったりで、完全に満足のいくものではなかった。

 特に色あせは、深刻な問題であった。ある物質が赤く見えるということは、その物質が赤色の光を反射し、それ以外の色のついた光を吸収してしまうということだ。波長の短い、すなわちエネルギーの高い紫外線などを吸収しやすいということは、そのエネルギーによって赤色色素分子が破壊されてしまい、色が消えることにもつながる。弁柄のような無機化合物はともかく、有機分子でできた各種の赤色色素は、基本的に光による分解を受けやすい宿命なのだ。

赤字が消えてしまった看板
 

「完璧な赤」の登場

 しかし16世紀初頭、驚くべき赤色色材がヨーロッパにもたらされる。新大陸を征服したスペインのエルナン・コルテスが、コチニールという素晴らしく鮮やかな染料を持ち帰ったのだ。この染料は毛織物や絹を色鮮やかに、かつ堅牢に染め上げ、媒染剤(染料を布に定着させる作用を持つ薬品)の選び方次第で鮮紅色から赤紫、黒に近い深紫までを表現することができた。調合によって絵の具にもなり、フェルメール、ティントレット、レンブラント、ルーベンスといった大家たちがこぞってこれを愛用した。食品にも用いられており、たとえばカンパリの赤はもともとコチニールで色づけられていた。

カンパリ(Khayman / Wikipedia Commons)


 コチニールは、金銀にも劣らぬ新大陸の宝としてもてはやされたが、その輸入はスペインが一手に握り、その製法はおろか、何から作られているかすら明らかにはされなかった。ある者は草の種子だといい、ある者は果実だといい、動植物の中間の「虫の実」なる奇妙な生物だという者もいた。

 コチニールは、スペインに莫大な富をもたらした。各国は、コチニールの秘密を探ろうとし、スパイを送り込むこともあれば、海賊船を仕立ててスペイン船を襲うこともあった。しかしスペインはこれに強硬に対応、1614年には「外国人がコチニール農場を訪れた場合、死刑に処する」という法律さえ作られた。コチニールは、打ち続く戦争で疲弊したスペイン経済を支える存在となっていたのだ。

コチニールカイガラムシが密生した葉(Zyance / Wikipedia Commons)


 こうまでして守ろうとしたコチニールの正体は、サボテンにつくカイガラムシという昆虫の一種であった。その雌が作るカルミン酸という化合物が、ヨーロッパを魅了した「完璧な赤」の源であった。しかしカイガラムシは寒さや暑さに弱く、突然の雨に見舞われただけでも流されて死んでしまう、恐ろしく繊細な生き物であった。このため、大規模栽培や他の土地への移動も難しく、コチニールを神秘のベールで覆い隠す役目を果たした。

永遠のフロンティア

 長くもてはやされ、莫大な富を産んだコチニールを追い落としたのは、19世紀に発達した化学工業の力であった。ことにイギリスのウィリアム・ヘンリー・パーキンは、18歳の時に紫色染料を偶然開発したのを皮切りに、アカネ色素のアリザリンの人工合成にも成功し、一気に合成染料の時代を切り開いた。

ウィリアム・パーキン(1838-1907年)


 合成染料では、化学者の工夫次第で分子構造を自在に変えられるため、色合いや染まりやすさなども調整することができる。安定供給が難しく、色あせしやすい各種の天然色材は、合成染料の出現によって姿を消していった。

 現代の巨大化学企業や製薬企業の多くは、この時代の染料会社にルーツを持つ。人々の「色」への渇望は、産業の構造さえも大きく変えることとなったのだ。

 大量の色材が安価に手に入る現代でも、「色」を創り出す努力が終わったわけではない。液晶画面やLED、有機ELなどなど、鮮やかな色彩を表現する機器の開発はたゆみなく進められており、常に最先端の知識がそこに投ぜられ続けている。色彩に心を動かされる人々がいる限り、新たな色材の開発は永遠のフロンティアであり続けることだろう。

つづく