©Vania Vianello


 雨も少なくそこそこに暖かい日が続くので、ミラノの今冬は楽だなあ、とほっとしていたところだった。
 年末年始の飲み食いに疲れ果てて、昼食にはミネストローネでも作ろう、とベランダに出てみると、軒先にぶら下げておいた野菜が凍っていた。いよいよ厳寒がやってきた。
 二年ほど前からイタリアでは、十一月以降は高速道路に入るとき、区間や天候に限らずスノータイヤを積んでいないと罰金が科されるようになった。平地から山間を抜ける高速道路には、冬のさまざまな悪条件が待ち受けている。凍結したカーブに、気温が少し上がるとたちまち下りてくる濃霧。霙(みぞれ)に吹雪。凍結した路面が緩み始めるとき。年末年始の俄かドライバーや酩酊運転など。冬、車での外出は不便と危険がいっぱいだ。かといって、家に篭ってばかりいるわけにもいかない。ネタを探しに行かなければ。
 外出を思案していると、携帯電話に写真が届いた。
 <今朝。零下七度>
と、表題が振ってある。ヴェネツィアの青果店主からだった。
 朝五時に、仕入れてきたアーティーチョークを店先に並べて、次に出てみたら凍結していた、という。
 「待ってるから、早くいらっしゃい!」
 寒中を見舞うと、電話口の向こうから威勢良く返された。
 赤いプラスチックケースの中で、白いアーティーチョークとパセリが新鮮な緑色のまま凍っている。氷の中のイタリア、か。

©Vania Vianello

 
 冬のヴェネツィア。
 わざわざ寒さの底を選んで行くのは、詩的な理由でもなければペダンチックなわけでもない。カーニバルの祭典を控えたこの時期、人出も減り、店も宿も休業で閉まり、ふだんは移住や長期航海でヴェネツィアを離れている人たちも休暇で里帰りするので再会できるからだ。観光客でごった返すヴェネツィアが、やっと地元の人たちのもとに戻ってくる、数少ない期間なのである。そして何よりヴェネツィアは、やれ凍結だ濃霧だとややこしい車に頼らずに、自力で好きに動ける場所だからでもある。

 ミラノではたとえ零下になっても、襟元と足首をしっかり閉じて帽子と手袋、底の分厚いブーツを着用すれば、たいていの寒さはしのげる。
 ところが、ヴェネツィアの寒さは別ものだ。湖畔や河川縁、北や西に面した海沿い、あるいは島に住んだことがある人なら知っているだろう。干潟を吹き抜けていく風が、水面をなぞり湿気を抱えたまま体当たりしてくるようなあの冷たさは独特だ。
 厳寒用のコートを出す。ノルウエー製の船乗り用だ。船舶関係の専門店で購入した。表側の一枚目は、防寒撥水加工されてあるうえに、フードや袖口、裾まわりをぎゅっと締められるようになっている。中側にもう一枚重ねてあって、羽毛が薄く伸ばして入っている。脇から背中には着る人の体温でコートが温まる新素材が織り込まれている。内側の一枚のファスナーを上げスナップボタンを留め、さらに表側のファスナーとスナップボタン、マジックテープを留めると、
「そのままシャワーの下へ行ってもびくともしませんから」
 専門店の店員は、そう言って勧めたのだった。
 その上からさらにマフラーと帽子、手袋を着けるとボンレスハム状で、自分の足元を見るのも大変だ。 
 加えてヴェネツィアの冬は、冠水することが多い。島のあちこちから水が浸み出し、海抜の低い地区では大人の膝上まで水が出ることもある。重装備の上に、膝までのゴム長も履くことになる。

 いよいよ完全防備で干潟を渡っているのに、どうもいつもと様子が違う。鉄道の駅や水上バスの停留所で、冠水警報を確認する。
 <本日は、十九時にマイナス三〇cm>
 水枯れである。
 大運河に面する荘厳な建物が、痩せた基礎支柱を見せて頼りない。水苔や海藻がこびりついたまま乾いているのを見ると、この数日間、水枯れは続いているのだろう。
 ふだんは深緑色の水が流れていて深さはわからないが、もともと一部の運河を除いてはどこの水深も一メートルに満たないのだ。海抜マイナス三〇cmの枯れ水で、川底が見えている。

 冷気とともに北風は、腐臭を連れてくる。
 水が引いてしまうと、水上バスが文字通り立ち往生する路線が出る。
 船は、冠水でも橋の下を潜り抜けられずに止まり、枯れても止まる。
「それでは、水がなくなった運河を歩いて渡ればいいじゃない。ロマンチックねえ!」
 羨ましがるミラノの友人は、数世紀前からヴェネツィアの運河が下水道も兼ねているのを忘れているのだろうか。

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