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佐賀純一『浅草博徒一代――アウトローが見た日本の闇』(新潮文庫)

根性のあるやくざ
 
 ボブ・ディラン氏の「ノーベル文学賞受賞!」のおかげで、この本にめぐり合うことができました。ボブ・ディラン様さまです。
 
 ご存じの方も多いのでしょうが、ディラン氏が2001年に発表したアルバム「Love and Theft(直訳すれば『愛と盗み』)」の曲の歌詞が、本書の英訳版と酷似していたために、2003年7月7日「ウォールストリートジャーナル」が“盗作疑惑”として報じ、ちょっとした国際的な騒ぎが巻き起こりました。
 
 欧米の放送局から取材が殺到し、BBCテレビが「あなたはボブ・ディランの歌を聴いてどう思うか、なぜ訴訟をしないのか」と訊ねたのに対し、著者はこう答えたそうです。
 
「ここにカボチャがある。誰もが忘れてしまったカボチャだ。ところが、ある日、女神がやって来て、魔法の杖で触ったら、黄金の馬車になってしまった。黄金の馬車はシンデレラを乗せてみんなの驚きをよそに宮殿へと急ぐんだ。そんな時、カボチャはこう言って抗議するだろうか。
『女神さん、君はカボチャである僕を勝手に魔法の杖で触って、金の馬車に変えてしまった。こんなことは我慢できない。僕は断固として、君の不正な行為を神々に訴えるつもりだ』
 私にとってこのカボチャは特別なものだった。しかし日本ではすっかり忘れられて見向きもされなくなっていた。それがボブ・ディランの魔法の杖で変身して、みんながびっくりするような曲に生まれ変わったら、それは奇跡だ。ほんとにたまげている」(本書「文庫版あとがき」)
 
 ボブ・ディランという偉大な歌手が、いまや忘れ去られようとしていた自著に「新しい命を吹き入れてくれた」――当の“被害者”が逆に感謝の意を表明したことで、剽窃騒ぎは一件落着となりました。
 
 そして今回、ノーベル文学賞という魔法の杖が、本書にふたたびリバイバルの機会を与えました。久しく品切れ状態だった本が復刊され、これで初めて手に取った私のような読者も現れます。不思議な運気を持った1冊です。
 
 ディラン氏がインスパイアされたのも不思議でない、何とも面白い作品です。主人公である伊地知栄治(いじちえいじ)氏は、1906年に宇都宮に生まれ、1979年に没したやくざの親分です。死の前年の冬、「誰が診たって、わたしの病気は治りませんね」「わたしは先生に、病気を治して下さい、なんて無理なことをお願いに来たんではないんです」と言って現われた人物に、著者は強く惹かれます。
 
<数年前の冬のことだった。私の診療所に、背の高い肩幅のがっしりした老人がたずねてきた。顔が普通の人よりひとまわり大きく、額には黒いしわが深々と切れ込み、ぶ厚い唇は紫色、目玉は汚い黄色味を帯びて、見るからにひと癖ある、といった人相をしている。
 裸になってもらうと、背中一面に刺青(いれずみ)が彫ってある。「龍に牡丹(ぼたん)」の彫物だが、寄る年波に色は褪(あ)せ、龍のうろこは雲のように淡く、髭(ひげ)はほとんど消えかけている。けれども絵柄は一種独得で、妙に心誘われるものがある。牡丹の花びらのなかに女がひとり立っている。龍は、牡丹もろとも女を飲み込もうとしている。女は目を半眼に閉じて合掌しているのだが、その唇にはいわく言いがたい微笑が浮かんでいる>
 
 こうして医師である著者が、3日に1度は男の家に通い、彼の語る数奇な人生の物語を聞き取った一代記が本書です。よしみになった女を追って15歳の時に上京し、深川で石炭商を営む叔父の下で暮します。そこに働く人夫や、周りの川並(かわなみ・筏をあやつる職人)人足らと賭場や悪所通いをするうちに、見込まれて浅草のやくざ一家、出羽屋の見習いとなります。
 
<出羽屋の親分というのは、本名は山本修三といって浅草ではよほど人気の高い、男気のある人でしたね。わたしはこの年になるまで、世間から親分と呼ばれているやくざとずいぶんつき合いましたが、出羽屋の親分の右に出る人物はひとりもいませんでした。
 親分は、普段は厳しい人でしたが、根は本当に情けのある優しい人でしたよ。やくざというのは、世間では恐ろしい人間の代表のように言われていますが、親分になるような人間は、根性があるとか腕っぷしが強い、なんていうだけではまったくだめです。そんな人間はいくらでもいますからね。大切なのは、親分の為だったら命も惜しくない、と子分が惚れ込んでしまう器量です>
 
 いまの暴力団とはほど遠い、戦前の折り目正しい博徒の世界が活写されます。
 
<出羽屋の渡世は、言うまでもなくバクチです。今はやくざが土建業をやったり、麻薬だの不動産、あるいは金融などに手を出して金を稼ぐということが多くなりましたが、昔はそうではなかった。やくざ稼業というのはバクチ専門です。だから、あの時代にはやくざがバクチ以外の仕事で稼いだりすると、
「なんだい、ありゃあ、二足のわらじを履いていやがる。バクチが下手で食っていけねえからあんなしみったれたことをやっていやがるんだ。ありゃあ、本物じゃねえ」なんて、馬鹿にされたもんです。
 子分も今のように何百なんて持っている親分はいない。バクチを取り仕切る人間と、縄張りを守る人数がいればいいんですから、いくら多くてもせいぜい数十人です。出羽屋は浅草の観音様の周辺から仲見世一帯、国際劇場の裏のほうまで縄張りを持っていましたから東京でも一等地です。それでも居付きの子分は五、六人で、自分の家を構えて、賭場(どば)に通ってくる子分を入れても三十人程度でした>
 
 そもそもバクチ打ちというのは、サイコロひとつで生きていく一種の職人なので、人情を大切にするといいます。「人を痛めつけて自分だけ儲かりゃあいいというような考えでは、到底生きてはいけない世界」だというのです。
 
<昔のやくざというものは、とにかく人気というものを大切にしていましたから、隣近所の付き合いは本当に大事にしたし、一度切りしか会わない相手にも、すげないことは絶対にしないようにしていたんです>
 
 だから、やくざの世界には独特の細かいオキテが定められています。
 
<目上目下に対する挨拶から口の利(き)きかた、相づちの打ちかた、あらゆるところに本当に細かい決まりがある。普通の世界からは程遠い封建的な世界です。女と遊ぶについても、自由に遊ぶというわけにはいかない>
 
「堅気の女には手を出すな」というのは、よく知られたルールです。やくざとして半端だと「遊ぶ金もねえし、働きも悪いから」素人に迷惑をかけるようなことを仕出かしてしまう。そうなると、「だらしのねえ野郎だ」となって、親分から破門され、誰からも相手にされず、日本中、行きどころがなくなるというのです。主人公は兄貴分から、こうして“任侠道”を叩きこまれます。
 
「この世界ではな、何が一番大切かというと根性だ。根性がねえ奴は、この世界にゃいられねえ。いいか、家一つをとってみても、大黒柱になる材木もあれば、便所の羽目板になる板もあるだろう。それとおなじようにだ、根性がなければ、いつまでたっても低く見られる。三下でいなけりゃならねえ。反対に、根性が座っていれば、やくざ仲間だけじゃなくて、警察にも一目も二目もおかれるようになるんだ」
 
 その世界のありようが手に取るように伝わります。問わず語りの本音が、真に迫ります。
 
<バクチで金を儲けようなんて思って来るものはいましょうが、それは馬鹿というものです。バクチに金を賭けるということは、わたしに言わせれば擂鉢(すりばち)に金の延べ棒を入れてゴリゴリと擂るようなもんで、だんだん小さくなって、しまいには失(な)くなっちまう。……金は全部擂鉢、つまり胴元のところに吸われるように出来ているんですから、こんなところで金を儲けようと思うことが、はじめから間違っている。ところがそれでも客は来るんですから、バクチ場というものはどうにも恐ろしいところであったといえるでしょう>
 
 こうした語り口の魅力がたまりません。来し方を淡々と、もったいぶることもなく、ある種の達観した境地で語ってゆくこの男に著者が引き込まれた理由がよく分かります。「あとがき」にはこう書かれています。
 
<録音テープのスイッチを入れると、あのしわがれた重い声が響いてくる。すると、彼と過ごした炬燵(こたつ)の日々がよみがえってくる。私はいつの間にか彼の後をついて深川を歩いたり、鶯谷の賭場に座っていたりする。……私の日常とまったく異質な世界が、懐かしい古里の記憶のように眼前にほうふつとする。私は、確かに深川の女郎屋に足を踏み入れたこともなければ、駆落ちしたこともない。しかしどうしたわけか、そのようなことを過去において絶対にしたことがないとは到底思えないのだ。
 もしかしたら彼の世界は私の世界であり、同時に父や祖父や、平凡な大勢の人々の共有の宇宙なのかもしれない。彼の生きた時間の異質性は単に見せかけのものであり、その深部には、私たちと同じ空気が流れているのかも知れない>(「あとがき」より)
 
 自らの体験談だけでなく、服役中に出会った怪しい仲間たちの物語や、戦前の警察、刑務所の恐ろしさ、足尾銅山での大暴動や、関東大震災、中国での兵役、東京大空襲、そして敗戦直後に軍人も誰もかも、霞ヶ浦の海軍航空隊にあった山のような軍需物資をかたっぱしから持ち逃げして大儲けした話など、どれも興味が尽きません。「天皇陛下の放送」があって、「それでみんな泥棒に早変わりした」という最後の話は、とりわけ生々しい時代の証言といえるでしょう。
 
 また、関東大震災の時に、指のない水死体をたくさん見た、という話も強烈です。
 
<これはなぜかというと、その種の(水商売の・引用者註)女の人は指にいくつも指輪をしている。ダイヤだのプラチナだの金の指輪を、これ見よがしにつけているものがいる。そんな女が火に追われて水の中に飛び込んで溺れて死んだ時、その指輪を盗もうとしたものがたくさんいる。ところが指が膨れて抜けない。それで指をハサミか何かで斬ったんでしょう>
 
「指の無い死体が両手を空に向けて沈んでいるというのも不気味でね」。金さえ持っていなければ、死んでまで身体を傷つけられることはなかったろうに……。ここでも語り手の醒めた人生観が心に残ります。
 
 主たる舞台が戦前、戦後の浅草となると、「エンコ生まれの 浅草育ち」と高倉健が歌った「唐獅子牡丹」の歌詞が何度も頭の中で響きました。主人公の親分というのが、映画の「昭和残侠伝」シリーズに登場する昔気質の立派な親分さんを彷彿とさせます。では、主人公の伊地知栄治氏が健さん演じる花田秀次郎のようかといえば、クライマックスの派手な殴り込みはありません。それでも根性の入った渡世人であることに違いはありません。その一代記が面白くないわけがありません。

 
「考える人」編集長 河野通和(こうのみちかず)
 



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