井上ひさしと藤沢周平は、宮澤賢治、太宰治以来、日本人にもっとも愛された東北出身の小説家ではないでしょうか。ともに山形生まれの彼らは、小説的想像力によって、あらたな二つの「東北」を生みだしました。独立国「吉里吉里国」と江戸時代の小藩「海坂藩」。湯川豊さんのエッセイ「吉里吉里国と海坂藩――東北を見る二つの窓」では、ふたつの架空の「東北」の成り立ちと構造を手がかりに、現実の東北を考えてゆきます。

 まずは井上ひさしの「吉里吉里国」。震災以来、わたしたちの耳にも馴染みの地名となった岩手県の大槌町にも吉里吉里という地域がありますが、この地名だけを借りた「吉里吉里国」は、現実にどこかの土地を特定することはできません。立国の基盤である使用言語を特定の地方のものとせず、「東北弁」と呼ぶしかないような「吉里吉里語」にしてあることからも、「吉里吉里国」は、東北のどこの場所にあってもおかしくない偏在性をもつユートピアなのです。

 人口四一八七人、広さ四〇平方キロの村がなぜ独立しなければならなかったか。
 一言でいえば、それまで所属していた日本国に対する不満がついに爆発したからである。だから、日本国に対して最初から攻撃的なのだ。……批判と憤怒が吉里吉里語で語られるとき、東北の大地の響きが当然そこにこめられて、その限りで強い風土性をおびる。

 主任出入国審査官トラキチ東郷老人から、百姓のベンゾー船津、総看護婦長のタヘ湊婆様、国宝ストリッパー、アベ・マリアなど、きわめて魅力的な登場人物が繰り広げる物語は、あるできごとからあっけなく幕を閉じ、ユートピアのはかなさを伝えます。

 藤沢周平の海坂藩はどうでしょう。「用心棒日月抄」四部作や『蝉しぐれ』『三屋清左衛門残日録』などの主要長篇小説と、二十を超える短篇を、この海坂藩を舞台にして書きつづけました。「東西南の三方に山が連なり、北が海」という海坂藩は、藤沢周平の生まれ故郷、庄内藩をモデルにしてはいるものの、規模を半分に縮小した架空の小藩です。

 再度いうが、海坂藩はユートピアではない。町民にも百姓にも、藩士にも日常がある。……その日常を輝やかせるのは、海坂の風土、またその風土への人びとの信頼である。海坂藩は、藤沢周平の想像力が夢見た場所であっても、観念上の桃源郷ではなく、東北の風土への愛着がつくり出したもので、現実にその風土は存在した。

 二人の作家の故郷とその風土への愛着が生みだした「東北」。湯川さんの案内で、「吉里吉里国」「海坂藩」、その二つの土地へあらためて旅をしてみてください。