【考える本棚】
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 鈴木伸子『シブいビル――高度成長期生まれ・東京のビルガイド』
(リトルモア)
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“いぶし銀”ビルの愉しみ方
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 取り上げられているのは、東京都内の20のビルです。高度成長期に誕生して、いま齢50前後を迎えた初老の建物――。「俳優でいえば、30年前の仲代達矢とか、50代の三國連太郎。時代の影を適度に帯びたシブい味の建物たち」――というのが、著者の抱いているイメージです。おそらく日本全国に、似たような“いぶし銀”のビルが、まだたくさん残っているのでしょう。

 いま私が勤めている、新潮社の社屋も1957年(昭和32年)にできました。「シブさ」においては一歩も引けを取りません。いまだに現役で頑張っているところもさすがです。一方、私には痛恨の思い出があって、それは17年前の出来事です。2000年5月25日の朝日新聞「記者ノート」が伝えています。

<残念ながら間に合わなかった。東京・京橋の「中央公論ビル」が取り壊しになると聞いて駆けつけた。7階建てのビル全体がシートで覆われ、すでに工事が始まっていた。
 建築家・芦原義信さんの設計で1956年に完成、日本建築学会賞を受けた名建築だというのに、「取り壊し」は事前に報じられることもなく、建築学会事務局さえ知らなかった>

 先立つ5月13日には、同じ記者による7段抜きの大きな記事が書かれました。当時81歳の芦原さんの「寂しい限りですね。まだ立派なビルなのに」「壊しては造り、ドンドン新陳代謝させるのが日本だけど」「僕より命が短くて……」というコメントが付されています。

 解体から建て替えの期間中、近所に間借りした仮オフィスで、この記事を読みました。社の経営権を読売新聞社に譲渡し、中央公論新社が誕生して2年目のこと。これからのIT化に対応するためにも、昔の工法で建てられたビルは「建て直すしかない」と新社は判断したのです。

 入口から右手に進むと受付があり、半階上がると営業フロア、半階下がると写真スタジオ、発送業務スペースという独特なスキップフロアの構造も、バリアフリーの世になると、逆に改善課題となりました。

 しかし、「解体」に対して外から聞こえてくる声は、ほとんどが異を唱えるものばかり。「優れた建築は長く大切に使い続けるもの」「次世代に伝えるべき都市文化はなくなってしまう」といった叱声を、しばらく聞くことになりました。

 さて、その芦原さん設計の「ソニービル」(1966年開館、中央区銀座5丁目)が、3月末で営業を終え、解体される予定です。「縦の銀ぶら」をイメージして、1フロアを「田」の字型に4分割し、90センチずつずらしたスキップフロアを採用し、ひと回りで1階分を下がります。高速エレベーターで最上階まで上がり、渦巻き状に切れ目なく上から下へ降りながら、館内をショールームのように一巡する「花びら構造」の立体プロムナードが売りでした。

 本書はソニービルの魅力をこう伝えます。

<1966年、高度経済成長期まっただなかの銀座にソニービルはオープンした。当時のソニーは、世界的なブランドとして知られていたとはいえ国内の電機メーカーとしては後発。そんな企業が日本で一番地価の高い銀座の街に最新のビルを建てるのは、大胆な試みだった。(中略)
 オーディオマニアだった父はショールームでソニーの最新製品をチェックし、子どもたちは地下の「ソニープラザ(現・PLAZA GINZA)にひしめく輸入雑貨に夢中になり、上り下りすることで音階を奏でる「ドレミ階段(現・メロディステップ)」という階段を用もないのに行き来した。ソニービルには、デパートの時代に次ぐ、新たな都会の楽しみが詰まっていた>

 私はむしろ社会人になって、このビルの世話になりました。待ち合わせや会食でビル内の店舗を活用し、80年代は「ソニープラザ」をこまめにチェックしたものです。ここで小洒落た文房具などを仕入れては、誰かれへの手土産代わりに持参する先輩編集者を真似たのです。極細のサインペンは大ウケして、しばらくは調達係をつとめたものです。

 本書で選ばれた20の名建築を紹介しましょう。有楽町駅前の東京交通会館、有楽町ビル、新有楽町ビル、新橋駅前ビル、ニュー新橋ビル、日本橋髙島屋・増築部分、中野ブロードウェイ、ソニービル、紀伊國屋ビル、ホテルニューオータニ、ロサ会館(池袋)、サンスクエア(王子)、ホテルオークラ東京・別館、パレスサイドビル(竹橋)、三会堂ビル(溜池)、目黒区総合庁舎、柳屋ビルディング(日本橋)、コマツビル(溜池)、丸ノ内の新東京ビル、国際ビルです。

 私にとって馴染みのあるのは、やはり都心の丸ノ内、銀座、新橋、有楽町、日本橋といったエリアに集中しています。10や20の思い出が簡単に見つかるほど、懐かしいビルもいくつかあります。これらのビルの見どころを、簡潔、的確、魅力的に描く著者の手際は見事です。

 「自分史」をいっさい語らない建物は、取材が意外に困難です。昔のことを知る人が、そう簡単には見つかりません。設計者の名前は分かっても、「シブいビル」の魅力をなすモザイクタイルの壁画の作者や、床面のデザイン、「テラゾー(大理石のような模様に仕上げた人造石)」による内装などを手がけた人物は、ほとんど突きとめるのが不可能です。

 飲食店やショップ、テナントの目まぐるしい変遷や、ビルを舞台に巻き起こった歴史的な出来事などを、生き字引のように語ってくれる広報担当者は、いないほうが普通です。以前、有楽町の読売会館(1957年開館、村野藤吾設計)を取材した際に驚かされました。このビルは、関西を拠点にしたそごうが東京進出を図る際、戦前そごう大阪店を設計した縁で、村野藤吾に店舗の設計を依頼しました。さらに、この店を大々的にアピールするためのキャンペーンソングが、フランク永井の「有楽町で逢いましょう」でした。それが功を奏して大ヒットし、同名の映画ができたことも、当然の常識と思っていました。ところが、それをまったく知らない広報マンが現われて、面喰ったことがあるのです。おそらく、そごうがビックカメラに入れ替わり、昭和はますます遠く、おぼろになっているはずです。

 また、道をはさんだ東京駅側(いまの東京国際フォーラムの敷地)には、1991年まで東京都庁舎がありました。いまの都庁舎と同じ丹下健三の設計です。戦後モダニズム建築がせめぎ合うメッカのようだった有楽町のありし日を、本書はさりげなく偲ばせます。

 可笑しかったのは、日本橋髙島屋の増築部分(1952年、54年、63年、65年の4期にわたる)を語った章の記述です。ここも村野藤吾の設計でした。

<屋上には、なんとなく象の形をイメージさせる塔屋があり、これは第2次増築の際に村野がデザインしたもの。その設計当時、髙島屋の屋上には1950年にタイから来日した「高子ちゃん」と名付けられた象が飼われていた。戦後復興期の東京で高子ちゃんは子どもたちの人気者だったが、54年に上野動物園に移されることになる。
 子象だった高子ちゃんはクレーンで持ち上げられ屋上まで上がったが、4年後、大きく育った彼女をクレーンで下ろすのは不可能になっていた。そこで高子ちゃんは、村野が設計した中央階段を下りて髙島屋を去って行ったという。幅が広く重厚な階段を、屋上で子象から大人に育った象が一歩一歩踏みしめながら下りていった。その光景を想像しながら今ここを下りると、なんとも言えない感慨がわき起こってくる>

 パレスサイドビル(千代田区一ツ橋1丁目)が登場するのも、私にとっては嬉しい限りです。このビルについては、杉山隆男さんの『昭和の特別な一日』(新潮社、「考える本棚」No.282参照 http://kangaeruhito.jp/articles/-/626 )にも記されています。東京オリンピックが大成功のうちに閉会した2ヵ月後、1964年12月に、地下鉄東西線が高田馬場と九段下の間で開業します。1年ほどして、それが九段下から竹橋まで延伸されます。

<その延伸工事の完成を待っていたかのように、武道館でビートルズのはじめての日本公演が行なわれたのと同じ六六年六月、皇居のお濠端ということもあって周囲にはビルらしいビルなどひとつもなかったこの竹橋に、地下鉄駅と直結して地上九階地下六階、延べ面積三万五千坪の、「東洋一」と謳われた規模を誇るビルがその偉容をあらわし、定礎式が行なわれた。毎日新聞がもともとこの竹橋に日本支社をおいていたリーダーズ・ダイジェスト社などと共同で建設したパレスサイドビルである>

 「新時代のシンボル」「世界に誇るマスコミの殿堂」と派手にPRしたようで、観光バスのルートにもなったと聞きました。いまや規模や高さの点では見劣りしますが、建物の価値はいささかも減じていないというのが、私たちファンの主張です。杉山さんも述べています。

<築四十五年をへたいまでも(現時点では51年ですが・引用者註)このビルがその年数を感じさせないくらい新しさを保ち、肩をそびやかすような超高層ビルの連なりにまったく引けをとっていないのは、何より建築物としてのフォルムの美しさと個性豊かなスタイル、さらに深い緑に覆われた皇居のお濠に面しているという最高の立地を活かし、景観との調和をとりながらその素晴らしい景観を逆にうまく利用した点にある。
 敷地の特性から横に細長い建物の外壁は全面ガラス張りで、それは光線の加減や見る角度で一枚の鏡板さながら皇居の松の緑や冴え渡った空に浮かぶ雲を映したり、夕映えを受けて暖かな暮色をまとったりする>

 “屋上のハト”の話は前に紹介したことがありますが(「考える人」メールマガジンNo.424 http://kangaeruhito.jp/articles/-/768 )、この建物は一般開放されている屋上庭園や、宇宙ステーションのようなエレベーターホール、階段の先端的な意匠など、感動的な見どころがたっぷりあります。そのあたりのツボをよく心得た著者が、適度に刺激してくれるのがたまりません。

 著者の主張は、古い建物を何が何でも残せ、というのではありません。これまで評価の対象になりにくかった1960~70年代に建てられた建物の「シブい」輝きに、もう少し目を向けてもらいたい。結果として、いくつかのビルが次世代に継承されていけば申し分ない、といったスタンスです。

 ただ、それはあながち夢想ではありません。鎌倉の神奈川県立近代美術館(坂倉準三設計)が閉館になるニュースは衝撃でしたが、当初「取り壊し」と言われていたものが「保存」されることになったのは記憶に新しいところです。上野の国立西洋美術館を含むル・コルビュジエの作品群(7か国17作品)が世界遺産に登録されたことで、少し潮の目の変化を感じます。コルビュジエの弟子にあたる前川国男が設計した世田谷区役所の一部保存か全面改築かをめぐる議論も、行方が注目されています。「シブい」ビルの運命は、「記憶」の価値を問う、日本にとって今日的なテーマそのものと言えるでしょう。

「考える人」編集長 河野通和(こうのみちかず)

*「考える人」メ-ルマガジンから生れた『言葉はこうして生き残った』(河野通和、ミシマ社)の刊行にちなんで、河野通和×三島邦弘×嶋浩一郎のトーク・イベント「『考える人』編集長と考える言葉と出版」が、2月13日19時より、本屋EDIT TOKYO(銀座・ソニービル6F)で開催されます。
http://passmarket.yahoo.co.jp/event/show/detail/01k4keypapb1.html

奮ってご参加ください。

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