子供の頃、公園の砂場で磁石を使って砂鉄を集めた記憶のある方は多いだろう。磁石は小学校の理科の教材として必ず触れるし、冷蔵庫のドアやクリップなど、身近でみかける機会も多い。

磁石に引き寄せられる砂鉄(Aney / Wikipedia Commons)


 あまりに身近過ぎてなんとも思わなくなっているが、考えてみればこれほど不可思議な材料は他にない。距離も遮蔽物も超えて、物体を吸い寄せるものなど他にあるだろうか。もしこれがレアメタル並みに稀少な材料であったら、世界の国家や巨大企業が巨額の資金を投じて争奪戦を演じることだろう。それくらいに、磁石とは有用にして特異な存在だ。

 が、幸いにして磁石は大量に存在し、人工的に安く作り出すこともできる。磁石に関するイノベーションはイノベーションを呼び、今や磁石のない社会など考えられないようになっている。その活躍の場の広さは、おそらく多くの人々の想像をはるかに超えていることだろう。

「慈石」の発見

 人類がいつごろ磁石を知ったのか、詳細は定かではない。ある伝承によれば、遊牧民が靴や杖につけた鉄製部品が、黒い石を吸い付けることを見つけたのが起源だという。天然には磁鉄鉱と呼ばれる鉄鉱石が広く存在し、磁性を帯びたものもみられるから、世界各地で多くの人がその存在に気づいていたことだろう。

 磁石の英名「マグネット」の語源にはいくつかの説があるが、ギリシャのマグネシア地方で産出したことから来ているとする説が有力だ。哲学者タレス(紀元前625頃-前546頃)も著書で磁石について言及していたとされ、すでにこの頃には鉄を吸い寄せる性質が広く知られていたことを窺わせる。その他多くのギリシャの哲学者たちも、磁石は鉄を吸い寄せるが逆は起こらないことを指摘し、その力の源について仮説を展開している。たとえば、原子論を唱えたことで知られるデモクリトス(前460頃-前370頃)は、同種の動物同士が集まり群れるのと同様、鉄と類似した磁石は引きつけ合うと考えていた。

タレス


 中国では、慈愛をもって鉄を引き寄せるかのような様子から、古くは「慈石」と呼ばれていた。慈石を多く産する地方は「慈州」と呼ばれ、これは現在の河北省邯鄲市磁県となっている。洋の東西を問わず、磁石は古代から人々の興味を大いに惹きつける存在であったようだ。

 中国では磁石を医薬として用いようとした者もいたし、西洋でも「枕の下に磁石を忍ばせておくと、浮気している女はベッドから突き落とされる」「白い磁石は愛の媚薬となる」などの迷信が長く信じられていた。人々が、磁石の不思議な力に神秘を感じていた表れともいえよう。

指南車と羅針盤

 その磁石の実用的な価値を最初に見出したのも、どうやら中国の人々であったようだ。彼らは磁石が南北方向を指すことに気づき、方位磁針として利用したのだ。

 古来、中国には「天子は南面す」という言葉があり、皇帝は南を向いて座するものとされていた。そこで、神話・伝説上の皇帝である黄帝の行幸の際、常に南の方角を知れるよう「指南車」が発明されたと伝えられる(人を正しい方向へ教え導くという意味の「指南」の語源)。ただしこの指南車に載せられていたのは、常に南を指すように設計された機械仕掛けの人形であったとされ、磁石を用いたものではなかったようだ。

指南車の模型(Andy Dingley / Wikipedia Commons)


 1世紀には、「司南之杓」が文献に登場する。これは、天然の磁石をスプーン型に削ったもので、柄が南を指すことで方角を知った。方位磁針を木製の魚に埋め込み、水に浮かべた「指南魚」は3世紀ごろから利用され、かの諸葛孔明が用いたとの言い伝えもある。こうした磁石の活用は、製紙法・印刷術・火薬と並び、古代中国の四大発明と評価されている。

東洋の大航海時代

 この方位磁針が真に威力を発揮したのは、明朝の時代になってからのことだ。明の第3代皇帝・永楽帝は、宦官の鄭和(1371-1434年)を総指揮官に任命し、西方諸国へと「西洋取宝船」を送り出したのだ。第一次航海には62隻の艦隊が送り出され、その一艘は全長150メートル、現在でいえば8000トン級の船に相当するという。このほぼ一世紀後にインド洋を旅したヴァスコ・ダ・ガマ艦隊の旗艦は120トン程度であったというから、鄭和の艦隊は桁外れの巨大さであったのだ。

鄭和の航海誌(1430年)


 西洋取宝船の航海は第7次まで続けられた。艦隊は遠く現在のケニアまで到達し、多くの珍奇な品を明にもたらした。陸地から遠く離れた海上で、曇天の際にも正確に方位を知れる羅針盤なくして、この大事業が不可能であったことは言うまでもない。

鄭和艦隊の進路(Continentalis / Wikipedia Commons)


 ただしこの「東洋の大航海時代」は、鄭和の死とともに幕を閉じ、以後の艦隊派遣は一切行なわれなくなった。鄭和が行なった交易は通常の商取引とは異なり、諸国が明に貢物を捧げる代わり、明は莫大な宝物を下賜する「朝貢貿易」の形式であったため、明にとっての経済的負担が大きかったのが大きな理由といわれる。もし双方に利のある形で貿易が続けられていたら、航海技術はどう発展していたか、明の政治や経済はどうなっていたか、100年後の西洋の大航海時代にはどのような影響を与えたか。実に興味深い歴史のifだ。

コロンブスを悩ませた「偏角」

 その後訪れたヨーロッパの大航海時代に、羅針盤がいかに大きな貢献をしたかは、改めてくだくだと述べるまでもないだろう。たとえばイギリスの哲学者フランシス・ベーコン(1561-1626年)は、著書「ノヴム・オルガヌム」において、羅針盤をはじめとするルネサンス三大発明を以下のように評した。

フランシス・ベーコン

「印刷術・火薬・羅針盤:これら3点は全世界のすべての表層と深層とを変えてしまった。印刷術は文学を、火薬は戦争を、羅針盤は航法を、である。大きな変化が起こってしまうと、それはかつていかなる帝国も、いかなる社会勢力も、いかなる星も発揮したことがない強い影響力を人間社会に及ぼしたことがわかった」

 しかし、長距離の航海が可能になったことは、羅針盤の思わぬ弱点をも表面化させた。現代ではよく知られている通り、磁石は正確に北を指すわけではない。地方によっても異なるが、現代の東京では真北から約7度ほど西寄りを指す。この角度を「偏角」と呼んでいる。

 中国では、すでに8~9世紀ごろに偏角の存在が知られていたようだ。最初に確実な論述を行なったのは、北宋時代の政治家にして学者であった沈括(しんかつ、1031-1095年)で、その著書「夢渓筆談」において、磁北と真北のずれを指摘し、世界のどこでも航海に使えるコンパスについて記している。

沈括


 この偏角のずれに悩まされたのが、かのクリストファー・コロンブス(1451年頃 - 1506年)だ。アメリカ大陸に向けた航海の出発10日目ごろに、羅針盤が北西寄りへ偏っていくことに彼は気づいた。地点によって変わる偏角は、長い航海を経ると大きな誤差をもたらす。船の揺れや、周囲の鉄製品による影響もあるため、正確な偏角の測定も難しい。

クリストファー・コロンブス


 磁石の示す北の方角は、時代によっても揺れ動いていくことが後に判明する。たとえば京都の二条城は、南北軸が東に3.5度ほど偏っているが、これは建築当時(1603年)の偏角が反映されたためといわれる。

 伊能忠敬(1745~1818年)は全国を測量して回り、17年がかりで正確な日本地図を作成したことで知られる。実はこのころは、たまたま日本付近の偏角がほぼゼロの時代であったため、偏角を考慮する必要がなく、誤差が出にくかった。彼の地図の驚くべき正確さは、丹念な測量が最も大きな要因だが、幸運に恵まれた結果でもあったのだ。

伊能忠敬の切手

不朽の名著「磁石論」

 ではなぜ偏角が存在し、時代とともに動いていくのか、そもそもなぜ磁石はほぼ南北を指すのか。こうした磁石の謎に正面から挑む男が現れたのは、16世紀末のことであった。男の名を、ウィリアム・ギルバート(1544~1603年)という。

ウィリアム・ギルバート


 ギルバートは国王の侍医を務めるほどの高名な医師であったが、その傍ら約20年にもわたって磁石の研究にいそしんだ。得られた多くの成果は、大著「磁石論」(1600年刊)にまとめられている。ここでは、弱い磁石は強い磁石で強化できること、遮蔽物によって隔てられていても磁力は伝わること、磁力が及ぶ範囲に限度があることなどが明らかにされている。磁石にまつわる多くの迷信も、間違いであることを立証してみせた。

 これらの結果は、現代から見ればどれも当たり前と映る。しかし、何となく経験からこういうことだろうと決め込むことと、実験によって疑いの余地なく立証を行なうことははっきり異なる。彼は、仮説を立てて実験によってそれを検証するという、近代的な科学的手法を確立することに大きく貢献したのだ。

 「磁石論」における最大の成果は、この地球自体が巨大な磁石であることの証明だろう。それまで、磁石が南北を指すのは北極星に引きつけられているからだといった考えが信じられていたが、ギルバートは実験結果によってこれを否定した。

偏角の変化

 以前、この連載で「鉄」を扱った際にも説明した通り、地球が磁気を帯びる原因は、地球の内核で溶けた鉄などが自転の効果を受けながら熱対流することで電流を生じ、この電流が磁場を生成するためと考えられている。磁極が時代によって移動するのは、この液状の鉄がさまざまに揺れ動くことが原因と見られる。我々の足元の地球は硬い岩石の塊などではなく、ダイナミックに揺れ動いている――ギルバートによる磁石の研究は、こうした新しい地球観確立への礎となったのだ。

後編へつづく