©UNO Associates Inc.


 冬はお腹が空く。夏なら、トマトとモッツァレッラチーズをざく切りにしてざっとオリーブオイルと塩少々、あるいは生ハムに熟れたメロンのくし切りを合わせて、で一食になるのに、寒いとそうはいかない。恋人が食事のたびに冷蔵庫からチーズや生野菜サラダ、惣菜の作り置きを出してはそのまま並べるので、「心身冷え切って」別れてしまった、と近所の青年が寂しそうに言っていたのを思い出す。
 けれども、熱々の料理はいったん作り上げると、ひとりで食べきりにくいものが多い。米を具と煮炊きしてできるリゾットも、豚肉のトマト煮も、トウモロコシの粉を炊きながら練って作るポレンタも、一人前だけ作るのはなかなか難しい。残り物は冷蔵庫とコンロを何度か往来し、そのうちうんざりしてしまう。同じ味が続くうちに、生活までが単調でつまらないように思えてくる。
 そうならないために、集って食べる。夏の食卓の会話が軽くからりと乾いているのなら、冬のお喋りは濃厚で後を引く。
 人は食なり、と言うらしいけれど、話題も食べ物次第なのだろうか。

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 夕飯の買い物に市場へ行く。パン屋では、二月の菓子が勢ぞろいしている。卵とふくらし粉を加えた小麦粉の生地を薄く伸ばし、長方形に切って揚げる。あるいは、ゴルフボール大に丸めて揚げる。地方ごとに呼び名は異なるが、カーニバルのこの時期、イタリア全土で食べる定番だ。
 切って揚げたもの。
 半分だけチョコレートコーティングしたもの。
 揚げずにオーブンで焼いたもの。
 粉砂糖まぶし。
 ザラメ版。
 ホイップした生クリームを入れて、包み揚げ。
 カスタードクリーム入りも。
 どれにしようか選びあぐねていると、
 「この際いっそ、一番重々しいものをどうぞ」
 店主が助言してくれた。イタリアには、<年に一度のことなのだから>という季節の菓子が毎月存在する。

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 冷蔵庫で乾涸(ひから)びかかっていた数種類の熟成チーズを刻み、牛乳でのばしながら鍋で溶かし、ショートパスタと和える。黒胡椒少々。渋みのある赤ワインで、こってりした後味を流し落とす。金時豆とトマトで豚足を煮込んだメインに、これでもか、とジャガイモのオーブン焼きを添えて出す。
 パスタの後半あたりから、各々、思いつくままに話をしている。他人の話に相槌を打っているようで聞いてはおらず、人の数だけ話題が横並びし交差することなく進んでいる。陸上競技のスタートラインのようだ。
 冬の食卓は、濃くて長い。知人の噂話や週末の過ごし方、食べ物の話くらいに止めておき、政治と宗教には触れないのが鉄則だ。よもや触ってしまうと、出口のない樹海に入り込んだに等しく、延々と終わりのない論争が続くことになる。結論が出ないことは周知の事なので、各人の論法や視点を身振り手振り入りで披露する場となり、『羅生門』もしくは法廷ミステリーでも観るようだ。

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 「脂は油で落とす」と、消化器系の医者から聞いたことがある。たしかに、こってりした料理のあとには濃厚な揚げ菓子でないとうまく締めくくれない。
 紙のトレイに付いた揚げ油の染みやこぼれ落ちたザラメを拭(ぬぐ)い上げるように、菓子を滑らせては口へ運んでいる。
 カサコソ、パリパリ。
 菓子は、<キアッキエレ>という。その名の音どおりに、皆の口元で賑やかな音を立てている。意味は、<おしゃべり>。
 コーヒー、飲む? さらに、<コーヒー殺し>と呼ばれる、苦くて甘い食後酒をひと口ショットグラスで空けるうちに、冬が去っていく。
 食前にはつかず離れずの関係だった人たちと、食べ終えたあとには打ち解けている。濃厚な料理は、人間関係も高カロリーに変えてしまうらしい。
 蓄えたエネルギーで、春以降に飛ぶ。

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