他都市より一週間遅れのカーニバルを控えたミラノでは、少しずつ日照時間も長くなり、町が浮き浮きしている。三月の最終日曜日から、夏時間も始まる。あともう少し。春よ来い。早く来い。
 <ドゥオーモ広場にバナナを買いに行くの?!>
 ヴェネツィアの青果店の店主から、メッセージが入った。
 いや、近所の市場で買うのだけれど?
 と、返すと、
 <本当かどうか、今すぐドゥオーモまで行って見てきて!>
 昼のテレビニュースで、ドゥオーモ広場に椰子の木が植えられた、と伝えていて驚き、ネットを見るとこの話題で騒然としているという。
 急いで行ってみると、ドゥオーモ広場は南国になっていた。

©UNO Associates Inc.


 イタリアでは一大事が起きると、
 「さあみんな、広場へ下りて結集しよう!」
 「これで<広場の一掃>だ」(紛い物と亜流は消え本物と主流が残る、というような意味)
 「広場の声を聞こう」
 「広場を占拠する」
 「いま広場では何が起きているの?」
 などと言う。<広場>は人々の暮らしの中核にある。それは、古代ギリシャを見習った、古代ローマ時代からの町作りが礎になってのことだ。ミラノに限らず、イタリア半島のどの町に行っても中心となる広場がある。広場を拠点に四方八方へと道が伸び、町なかを縦横に縫う。町の心臓である広場から、隅々へ熱い血が送られていくのを見るようだ。
 広場で見聞きすることは、そのとき町で起きていることのレジュメであり、またこの先、町なかへと広がっていく流行の源でもある。良いことも悪いことも、広場から。電話や新聞、テレビなどの通信手段がない時代から、広場は情報が拡散していく起点であり、攪拌されて新しい情報を作り出す役目を果たしてきた。そういうわけで、人々は無意識のうちに、広場で起こることをじっと見ている。

 ミラノにはいくつも大きな広場があるが、一番重要なのは円形の町の真ん中にある、このドゥオーモ(大聖堂)広場だ。大聖堂は、高さ108メートル、奥行き158メートル、幅93メートルという世界最大のゴシック建築である。最後の尖塔が完成したのは1386年に起工してからほぼ500年後だった。ドゥオーモ広場の面積は、17,000平方メートルもある。王宮と大聖堂、スカラ座、いまの株式市場へとつながる金融街が、広場を取り囲んでいる。時の権力、宗教、芸術、経済が広場に集まり、町を支え、新しい流れを生み出してきた。
 回廊を持つ重厚な建物が、広場の周囲を縁取っている。かつてこの壁面は、ミラノで最も効果のある広告スペースだった。戦後長らく、時代の寵児である内外の企業が、競って進取の電光掲示板や広告看板を掲げたものだった。その眺めは、ミラノの鼓動そのものだった。

©Comune di Milano


 景観を損ねる、という理由で、周囲の建物の壁から広告の看板が消えて久しい。その代わりに、ミラノ市はさまざまな催しにドゥオーモ広場の利用を認めている。毎年、ミラノで一番華やかなクリスマスツリーは民間企業がスポンサーとなり、ドゥオーモ広場に置かれる。年ごとに変わるスポンサーを見て、その好調ぶりを知るのである。
 そういう広場に、椰子の木が忽然と現れた。もともとその一角は、競合に勝ったスポンサーが植樹し世話をしてきた緑地である。一年のうち半分が曇天で寒く、夏は夏で四十度を超えるミラノである。広場は石畳で、冷えも照り返しも厳しい。せっかくの常緑樹の植木は、たいていしょんぼりとうつむいて生えている印象だった。
 「何も南国の象徴のような椰子の木を植えなくても」
 今回の競合に勝ったのは、アメリカ系の有名なコーヒーチェーン店である。長い折衝の末ようやくイタリア進出が叶って、近々にミラノにイタリア進出第一号店が開店する予定である(予定より一年遅れて、2018年の開業となる見込み)。この緑のスポンサーは、椰子の木に続いてバナナの木も植樹するという。
 歴史を遡れば、1800年代にもドゥオーモ広場には椰子の木が植わっていたことがある。突飛なようで、そうではない。
 ところが、皆は驚いた。北イタリアだけ独立しよう、と掲げて市民運動から政党になった北部連盟やそのシンパたちは、
 「ミラノのアフリカ化は許さない!」
 と、巨大なバナナの風船を掲げて大抗議した。すると、
 「うちにもたくさん自然に生えてるぞ。何が悪い」
 リグリア州の海沿いの町やシチリア島から声が上がる。
 「寒いミラノに南国育ちの椰子の木を持ってくるなんて、植物虐待!」
 ヴィーガン(純菜食主義者)たちは、もう非難囂囂(ごうごう)である(調べてみると、植樹された椰子は寒さに負けない品種らしいけれど)。
 批判は批判を呼び、人種差別、格差社会、ミラノの降格、破廉恥なセンス、など文句や論争の広がりは止まるところを知らない。椰子の木を除去するよう、市への嘆願署名も集まっているらしい。ニュースで流れたその日の夜中に、椰子の木に放火する悪党も出て、文字通りの炎上騒ぎとなった。

 この記事がアップされるのは、3月10日頃である。植樹されて、ひと月ほど経った頃だ。うららかな日差しを受けて、ドゥオーモが純白に輝く頃である。今年、椰子の木やバナナの木に出番が回ってきたのなら、闇雲に嫌ったり引き抜いたり火を付けたりせずに、広場の新しい光景の一部を担えるよう見守ってやってはどうか。椰子の木騒動が持ち上がるまでは、広場の緑のことなど考えたこともなかった人が多いのではないか。
 真夏のミラノのど真ん中で、木陰で涼を取りながらアイスコーヒーで異国情緒を味わう、というのが、しばらくのあいだ流行りになるのかもしれないし。
 広場に人々が集まって喧しいうちは、町が生きている証かと思う。

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