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 行きたくなる本屋さん
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 意欲的な本屋を営む二人の店主が、立て続けに自著を刊行しました。2016年1月に東京・荻窪でTitleを開業した辻山良雄さんの『本屋、はじめました――新刊書店Title開業の記録』(苦楽堂)と、2001年4月から福岡市でブックスキューブリックを営んでいる大井実さんの『ローカルブックストアである――福岡ブックスキューブリック』(晶文社)の2冊です。

 1961年生まれの大井さんと、1972年生まれの辻山さん。年齢的にも開きがありますが、本屋開業にいたる足どりも対照的です。辻山さんは大学卒業後、大型書店のリブロに入社し、広島店と名古屋店で店長を経験。2009年に「他の店とは流れる時間の密度が違う」と言われる池袋本店のマネージャーに就任し、2015年7月の閉店まで、一日の来客数が約4000人という大型店の、全8フロアのうち4フロアの管轄を任されます。そして閉店を機に退職、独立して約1年――。

 それに対して大井さんは、本屋の跡取りでもなく、書店経験は開業前のアルバイト修業の1年間だけ。ほとんどずぶの素人であるにもかかわらず、生まれ故郷の福岡でどうしても本屋をやりたくて、周囲の制止を振り切って、人気エリアのけやき通りに15坪の新刊書店を開くのです。39歳の時でした。

<お客さんの像としてまず浮かんだのは、自分だった。学生の頃から本屋が大好きで、社会人になってからも、週に最低一度は通う生活を送っていた。そんな自分を含めて、活字が大好きで新聞を毎日読んでいるような一般の社会人をメインターゲットに想定した。
 彼らが日々の生活で疑問や関心を抱くことは、なにも自分が好きな特定のジャンルや職業的な専門分野にとどまらない。だから小さくてもめぼしいジャンルを揃えた「総合書店」であることが必要だった>(大井実、前掲書)

 2001年開業なので、連想したのが映画「2001年宇宙の旅」でした。店名はスタンリー・キューブリック監督から拝借しました。「本屋という旅を始め、人々を本の旅に誘いたい」――そんな思いを込めました。

 辻山さんがTitleを構想している時に、一番念頭に置いたのも、ブックスキューブリックの一号店(けやき通り店)でした。小さいながらも幅広いジャンルの本を扱っていて、町の中に溶け込んで、文化的なコミュニティづくりを担っている、まさに「小さな総合書店」のあり方です。

 2人に共通しているのは、まず本の選び方、並べ方に自己流のスタイルを貫こうという姿勢です。送られてきた本をそのまま並べただけの「金太郎飴書店」もご免だが、いわゆる「セレクト書店」のあり方にも反発を示すところがそっくりです。

<一時、どこの本屋に行っても同じような本が並んでいるということが「金太郎飴書店」といわれ、本屋が面白くなくなったことを指す代名詞のように使われましたが、確かにデータを使い、売上の上位から置く本を決めていくやり方を使うところは、必然的に同じような本が置かれているということになるかと思います。……
 かといって、「金太郎飴書店」に対抗するように、店主が厳選した品ぞろえを提案する、いわゆる「セレクト書店」というものにも抵抗がありました。自分も客として、さまざまな「セレクト書店」に足を運びましたが、特に最近ではその品ぞろえが似てくる傾向にあり、新しい店なのだけれど既視感が強い店が増えてきたようにも思います>(辻山良雄、前掲書)

 誰もが「いい」とお墨付きを与え、定番と化した「セレクト」では意味も魅力もないだろう、というわけです。大井さんも明言しています。

<小さい店なので、在庫を絞らないと物理的に収めきれないということもありセレクトするのは当たり前だが、かといって、趣味性の強いマニアックな店にはしたくなかった。地域に根ざした町の本屋でありながらも、よく見ると、深い世界に誘(いざな)ってくれる水先案内人のような本がしっかり揃っている。そんな店にしたかった>(大井、同)

 以上の説明でも、どんな店なのか、一度覗いてみたくなるだろうと思います。残念ながら、ブックスキューブリックにはまだお邪魔したことがありません。このメルマガ(No.457 http://kangaeruhito.jp/articles/-/801 )でも紹介した『へろへろ』(ナナロク社)の著者、鹿子裕文さんが執筆・編集していた雑誌「ヨレヨレ」――ブックスキューブリックから車で10分ほどの場所にある老人介護施設「宅老所よりあい」で繰り広げられる日常の出来事を綴った異色の雑誌――が、一大ブームを巻き起こしたのも、大井さんの店が起点となりました。福岡という土地柄もあるのでしょうが、地域と呼吸を合わせながら、カフェを開き、イベントや展覧会をしばしば催して、コミュニティを耕し、創造的な感性を持つ人と情報のるつぼとして、着実に実績を重ねています。

 一方のTitleはまだ誕生して1年ちょっとですが、その存在感は日に日に大きさを増しています。荻窪駅から青梅街道沿いに、西へ歩いて約10分。「このあたりだったはず」と“距離”を感じ始めたそのもう少し先に、ようやくお店が現われます。ここまでわざわざ人を呼び込むには、それだけの誘因と魅力がなければなりません。

<新刊本を売る店といっても、いわゆる<昔ながらの町の本屋>をやるつもりはありませんでした。町の本屋がそれまでと同じことをしているだけではつぶれてしまうということは、次々とその数を減らしている現実をみてもわかると思います。自分がイメージしていたものは、もっと本のつくり手や書き手、お客さまなど、さまざまな立場にいる人がかかわる店、本が店の中心にありつつも、単に本を買うことにとどまらない体験ができる店です。
 本は今、インターネットで、家にいながら買うことのできる時代です。そんな時代にわざわざ遠い場所にある店まで足を運んで、そこで商品を買おうとする人がいるのは、ものを買いたいから、欲しいからというよりは、お店に行くという体験をしたいからだと思います。そう考えれば、一つのお店のなかでいろんな体験ができるほうが楽しい。カフェやギャラリーなどさまざまな誘引をつくることで、お店に足を運んでもらえるきっかけになります>(辻山、同)

 普段、本屋に行きつけない人でも、カフェでリラックスした時間が過ごせれば、また寄ってみようかと思うかもしれません。そうして、徐々に本屋の空気になじんでもらえれば御の字です。「自分たちが美味しいと思う味で出したい」という考えに基づいたコーヒー、ワイン、りんごジュースなどのメニューづくり、カップやソーサーなどの食器類の選び方など、舞台裏の話も楽しげです。カフェの担当が奥さんだというのも、個人商店ならではの特色です。

 ギャラリーは、作家の直筆の原稿や、オリジナルの絵や、写真の生のプリントを間近で見たり、触ったりできる空間です。本の世界がぐっと身近に迫ってきます。いま、ここでしか体験できないという価値は、人を遠くから呼び寄せます。

<外から人を呼ぶということでいえば、トークイベント、ワークショップなどの単発のイベントも欠かせません。リブロにいたころも、本にはお金を出さないけれども、イベントにはお金を出すという人は多いと感じていました。これは情報だけでなく、登壇者から受けとる熱量、そこにあの人がいて話しているというライブ感にお金を払っているのだと思います。自分も企画者でありながら、……一度イベントでその肉声を聞いたあとは、その人の書く文章が、実際に聞いた声と重なって聞こえ、よりその作家に近づいたような気がしました。自分が出す店は、広さはきっと小さいけれど、本にまつわるこうした本格的な体験ができる店にしたいと思いました>(辻山、同)

 先日、Titleに立ち寄った時でした。男の子が「コロコロコミック」最新号を大事そうに抱えて、レジの辻山さんに差し出しました。図書カードを渡し、足りないお金を小銭入れから取り出します。お小遣いを握りしめ、ここまで来たのだと思います。家に帰ったら、さっそく紐をほどいて「コロコロコミック」を読むのでしょう。店を出ていく後ろ姿に、半世紀以上も前の、自分の姿が重なります。

 『本屋、はじめました』の巻末には、辻山さんと堀部篤史さん――京都で恵文社一乗寺店店長を13年間務めた後、2015年11月に誠光社という新刊書店を丸太町で開業しました――との「東西本屋店主対談」が付いています。その中で辻山さんが語っています。「個人でやると、本が数字の積み重なりじゃくて、ちゃんと本になる。お客さんが『消費者』じゃなくてちゃんと一人の『ひと』になる。店をやっていて、嬉しいことはそれですね」と。

 「コロコロコミック」を買っていった少年を見送りながら、辻山さんが言いました。「最近は本屋で本を自分で買うのも、子どもたちはあまり体験していないんですよ。お金を払って何か買うといってもコンビニくらいのものでしょう」。

 子どもにとって貴重な体験であると同時に、辻山さんにとってもかけがえのないひと時です。こういう時間や場の共有が、どれほどの価値を持つかは人それぞれでしょうが、こういう喜びを持ち得たかそうでないかによって、その人の、何かがその後変わるような気がします。

 辻山さんが本の最後に記しています。

<Titleは看板やロゴなどで店名を書く際に、店名の前に本屋と書いています。Titleだけだと何屋かわかりませんので、お客さまに向けて本を売っている場所ですよという意味を込めてそう書いているのですが、本屋と書いたことには少しの自負もあります。自分で本を書く、世に出したい誰かの本をつくる、自分がよいと思った本を売る……すべてが本に関する本屋の仕事であり、自分は仕事を続けているあいだは、それがどういう内容であれ、これからもずっと本にかかわる仕事をしていくのだな……と独立したときにそう思いました。なので、自分で言うのは恥ずかしいのですが、本に関するプロになりたいという意味も込めて本屋と書いています。Titleを続けていく限りは、それは本屋でなければならないでしょうし、本屋をやめることになったときがTitleが終わるときだと思っています>(辻山、同)

 「本に関するプロ」とありますが、誰か思い浮かべる人はいるのでしょうか、と不躾な質問をしました。辻山さんが丁寧にメールで答えてくれました。

「『本のプロ』は特に思い浮かべた方がいるわけではありません。あの文章を書いた時に思っていたこととしては、商品としての『本』をもっと深く知りたいという思いです。本屋の仕事は基本的に、本を並べてその魅力をお客さまにお伝えし、買っていただくということです。自分で小さな店を始めてみて、やはり本そのもののことを知っているのと知らないのとでは、その店の仕上がりに、随分と差が出てしまうと痛感しました。それはその本の内容でもあり、仕様でもあると思いますが、知っていることが増えれば、それだけ店に行き届いた部分が増えると思うのですね。
 今回、ありがたくも一冊の本を書くという体験をしましたが、書く、作る、運ぶなど、通常書店以外の本に関わる仕事をもっと知り、そこで知ったことを、お客さまに渡していきたいと思います。こう言うときれいなようですが、『本まみれ』になり、その中で生きていくイメージでしょうか」

 大井さんも本屋の「これから」を語っています。

「地方の小さな本屋も町にコンテクストや物語をつくりだす仕事と捉えれば、存在意義を感じて、楽しくやっていけそうな気がしてくる」(大井、同)

「本屋を一冊の雑誌になぞらえれば、並んでいる本はその中のひとつひとつの記事のようなものだ。並べる本を変えることで、まったく違うメディアを作り出すことができる。その意味では、本屋の選書・陳列は、一種の編集作業のようなものだ。もちろん読者が追いついてこないひとりよがりの編集ではまずいが、一般の人間の潜在的な関心と社会の様々な問題の接点を探る作業は常に続けていかなければならないと考えている」(大井、同

 わが身に引き寄せてみると、本や雑誌を作る現場ではプロの端くれとして生きてきました。けれども、できあがった商品を届け、それを読者がどう手にするかを、現場でフォローしてきたわけではありません。いまや川上から川下まで、本の宇宙そのものが変貌しています。辻山さんや大井さんらとは逆のサイドからもっと「本まみれ」になりたいと、勇気をかきたてられる2冊です。

「考える人」編集長 河野通和(こうのみちかず)