東日本大震災直後、義父が勤めていた陸前高田市、県立高田病院。


 6年という月日。早かったのだろうか、遅かったのだろうか。こうして東日本大震災を振り返る度に、直後から感じてきた後ろめたさが蘇る。あの日、東北にも、まして日本にもいなかった自分が、被災した地のことを伝える資格があるのだろうか、と。けれども6年の月日の中での出会いが私に教えてくれたのは、その後ろめたさから逃げない、ということだった。この感情から目を背け、沈黙の中に閉じこもらずに、何を発することができるだろうか。模索は今でも続いている。
 これまで取材でお世話になってきた陸前高田市では、新しい街づくりへの議論が揺れ続けている。市役所をどうするのか。浸水区域外の高台か、区域内の商業施設近くか。少なくともいえるのは、今を生きている私たちの世代の選択が、この東日本大震災を知らない未来の世代の命を大きく左右するということ。これは東北でも、そしてまた遠くの別の街であっても考えたい。「昔、大きな地震や津波が起きたんでしょ? 次に起きたら大丈夫?」と子どもたち、孫たちの世代に問われたとき、「その反省を活かして、しっかり命を守れる街を皆で築いてきたんだよ」。そう堂々と答えられるこれからを選択できているだろうか。

2017年3月10日、南相馬市萱浜(かいばま)。その光が、届きますように。