【考える本棚】
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 国谷裕子『キャスターという仕事』(岩波新書)
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23年間の偉業
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 著者がキャスターを務めていたNHK番組「クローズアップ現代」(月曜~木曜19:30~19:55)が終了してから、ちょうど1年になります。それからの1年というもの、世界は激動を続け、先行きはいまだに予断を許しません。それと相まって、私たちが拠り所としてきた「言葉」を取り巻く状況も、ますます混迷の度を増し、危機の様相を深めています。

 昨年11月、英オックスフォード英語辞典は2016年を象徴する「今年の単語」として「post-truth(ポスト真実)」を選びました。世論形成において、いまや客観的な事実や真実は二の次となり、感情的な訴えかけのほうが影響力を持っているという風潮を指してです。アメリカのトランプ新大統領が就任した直後からは、「オルタナティブ・ファクト(もうひとつの事実)」「フェイク・ニュース(偽のニュース)」が流行語となり、あからさまな情報操作、恣意的なデマ、偽情報が氾濫、跋扈しています。

 その一方で、伝統的なジャーナリズムに向けられる批判的な論潮は衰えを見せることがありません。著者が惜しまれながらNHKの放送現場を後にした2016年3月17日の時点よりもなお、メディアに対する不信感、あるいは「不寛容な空気」は広く浸透しています。虚が実を、感情が事実を押し流す言葉の液状化現象に歯止めはかかりそうにもありません。

 本書は、1993年から2016年まで23年という長きにわたり、「クローズアップ現代」(略称「クロ現」)の顔として、多角的に事実と向き合うテレビ報道をめざしてきたキャスターが、たゆまざる挑戦の日々を振り返り、率直に語ったリポートです。「クロ現」は毎日「これぞ」というテーマを掲げ、映像によるVTRリポートと、ゲストの語り、そしてキャスターのコメントの3本柱で構成されました。映像のインパクトに頼るだけでなく、むしろ映像のみではうかがい知れない現象の背後にある真実を「言葉の力」で――想像力によって浮かび上がらせようという番組づくりを試みました。

 本書の読後感は爽やかです。文章がきびきびして明晰なことも一因ですが、何より著者の目的が、過去を美化するのでも自己を正当化するのでもなく、信じて歩んできた道のりに誤りはなかったかどうかを確認したい点にあるからです。番組に対しても、自らに対しても、「問うべきことを問う」という姿勢に変わりはなく、責任の重いキャスターの役割を、誠実に、手を抜かないでやってきた人ならではの迫力、説得力を感じます。

 それだけに、読み終わって少し悔やみました。私はあまり「クロ現」のいい視聴者ではなかったからです。評判を聞くことはあったものの、実際に番組を見る機会はほとんどありませんでした。残念ながら、放送時間はほぼ100%、こちらも仕事をしているさ中でしたので――。

 さて、「クロ現」のキャスターに任命されるまでの駆け出し時代の回顧を含め、全編を貫くキーワードは「言葉」です。「言葉の力」を信じたい、大切にしたいという強い思いが吐露されます。

 著者の人生哲学とも言える信条は、「フェアであること」だ、といいます。インタビューにおいても、番組への関わり方においても、そのことに心を砕いた、と。どういうことかといえば――、

<……わかりやすくするために、ある点を強調するために、ある部分を隠すとか、触れないとかはしない。知りえたことは隠さない。視聴者には判断材料はすべて示す。そのうえで、視聴者が同じように怒り、共感してくれることを期待する。
 ……自分のなかに、気が付いていない偏見、思い込みはないか、常に意識すること。それがフェアにつながる>

<気をつけていたのは、視聴者に対してフェアであるために、問題を提起するとき、誰の立場にたって状況を見ているのか、自分の立ち位置を明確に示すようにしていたことだ>

 その上でキャスターの仕事を4つの役割として捉えています。1つは、視聴者と取材者との橋渡し役。すなわち、ニュース現場を取材してきた映像(素材)に対して、視聴者の目線、アマチュアの観点を見失わないよう留意する一方で、テーマ全体を俯瞰するプロフェッショナルな知見はできる限り吸収し、「ニュースの現場と視聴者を結びつけるメディア(媒介者)の役割を果たす」(2011年日本記者クラブ賞受賞理由)ことです。簡単な話ではありません。

 2つ目は「自分の言葉」で語ること――。

<私の言う「自分の言葉」は、個性の発揮でもなければ、まして主観を述べることでもない。視聴者の一人ひとりに向き合って自分自身が納得したことを語りかけたいと思うとき、その言葉は「自分の言葉」にならざるをえない。むしろ、そうでなければならないと思うのだ。
 番組が伝えたいテーマや事実が持っている重さや熱のようなものを伝えるためには、私自身がその重さや熱を実感し、そのことを自らの思いとした上で、視聴者に自分の言葉として投げかける。そういうプロセスを大事にしたいと考えているのだ。私はそれを主観とも、私見だとも思わなかった>

 3つ目は、「言葉探し」です。それまでろくに光が当てられてこなかった問題が、誰かに名づけられた瞬間から、社会的課題として認知され、そこから急速に解決策が摸索され始めるということが時に起こります。例として挙げられているのは「犯罪被害者」「ウーマノミクス」などという言葉です。「ニュース番組というのは、そのときまではなかった出来事を前にして、それをどう言い表わすかという言葉を見つけないと届かない」という長田弘さんの発言が引かれます。時代感覚を鋭く察知し、現象に概念(適切な言葉)を与え、共通の認識へと導く、これも重要な役割です。

 4つ目はインタビューです。これについては第7章をまるまる費やしているように、「クロ現」のもっともキモの部分です。しかし、そのメイン・ステージの仕事もさることながら、個人的に興味と共感を覚えたのは、「前説(まえせつ)」と呼ばれる番組冒頭の語りについて詳しく述べられている点でした。

<前説はその放送で扱うテーマの、いわば土俵の設定であり、どの角度からテーマに迫るかを視聴者に明確にしておく役割を持っていた。
 コメントは、短くて一分半、長くて二分半。私は、この前説の作成に二時間から三時間かけることもあった。書いては消し、消しては書きの連続。前説を書いている最中は、私には声もかけにくい雰囲気だったかもしれない>

 ここでは「自分の言葉」が決め手です。自分が納得できる言葉を探し当て、それを駆使することで、番組の「熱」を伝えることが可能になります。テーマそのものが孕んでいる今日性の熱。スタッフたちのさまざまな思いや、取材につぎ込んだエネルギーと情熱。もちろん、取材を受けた人たち(ある場合は社会的に弱い立場の人たち)の発する切実さを帯びた熱。それらを束ねて発信するのが、キャスターの前説の役割です。

 さらに多くの資料に目を通し、スタッフとの議論を受けて著者自身が抱いた思い。感動、疑問、怒り、悲しみ等々、個人として受け止めた思いを集約し、その日のテーマに文脈を与えます。キャスターとしての責任感、使命感、勇気などを総動員して、「なぜ?」と視聴者に向かって語りかけ、ともに考えるきっかけを与えます。

<その思いはそもそも、番組が扱うテーマやその素材である事実が本来持っている重さから発せられているものだ。私たち送り手によって一度かみくだかれた事実の重みを、その発する熱とともに視聴者に伝えたいという思いが前説なのだ。その思いが強ければ強いほど、前説はくっきりしたものになる。前説を書くことで頭の整理が進み、そのあとの番組の流れ、スタジオパートの展開が自然に流れるようにも思えた>

 キャスターとしての「勝負所」だとされる所以です。それもこれも、NHKのおそらくは最良のスタッフを結集した組織ジャーナリズムの仕上げのパートが、キャスターその人に託されているからに他なりません。

<あらためて思うのは、<クローズアップ現代>は、ディレクター、記者、カメラマン、映像編集、音響効果、そしてスタジオカメラや照明、音声など、NHKのなかで育った優れた人々の強力なパワーによって作り続けられてきたということだ。全体試写での議論を経て、担当者のこだわりや番組で伝えたいメッセージを皆で共有し、放送に向けてそれぞれが同じ方向を目指して走り、番組の完成度が次第に高まっていく。その気配が私はたまらなく好きだった>(あとがき)

 キャスターという言葉は和製英語だといいます。アメリカのニュース番組では「アンカー」と呼ばれます。番組を視聴者に届ける最終ランナーという意味と、スタジオに錨(アンカー)を下ろす存在だという二つの意味がこめられています。伝説的存在のウォルター・クロンカイト、その後を引き継いだダン・ラザー(No.487「真実を問い続けること」参照 http://kangaeruhito.jp/articles/-/1780 )、女性でいえばバーバラ・ウォルターズなど歴史を彩ったアンカーは何人かいますが、著者にとって輝かしい存在は、ABC「ナイトライン」を2005年11月まで25年にわたって続けたテッド・コペルに他なりません。

<一九八〇年代、テレビは次第に衛星中継を通して世界中の人と生(ライブ)でつながることが出来るようになっていた。テッド・コペルがアンカーを務めるアメリカABCの<ナイトライン>は毎日、その日のテーマに関わる当事者や専門家などを結び、コペルによるインタビューを中心に構成されていた。相反する立場の人たちが画面を通して議論しており、私は毎回、当事者が生放送で語る言葉に聞き入っていた>

 なかでも白眉とされる放送は、1985年3月に行なわれた、南アフリカからの5夜連続のリポートでした。アパルトヘイト(人種隔離政策)が続く南アフリカで、アパルトヘイト撤廃運動の黒人指導者であるツツ主教と、白人の南アフリカ政府のスポークスマン、ボタ外相が揃って「ナイトライン」に出演します。画期的な出来事です。コペルが仲介しながら、2人は初めて対話します。冒頭、2人が挨拶を交わすかどうか、息をのむ場面です。

<ツツ主教「こんばんは。」
 コペル「外相、こんばんは。」
 ボタ外相「こんばんは。」
 コペル「外相、主教に挨拶をお願いします。」
  沈黙。五秒ほどたってから――
 ボタ外相「主教、こんばんは。」
 ツツ主教「外相、こんばんは。いかがですか?」>

 あるいは、1988年6月9日の「ナイトライン」には、当時、次期大統領選の候補者の一人であったブッシュ副大統領(父親のほうの)が出演します。

<ブッシュ氏がコペルの厳しい質問をかわそうと、政権が評価されてきた点に話をもっていこうとすると、コペルは、「評価されている点については選挙戦で話したり選挙コマーシャルで伝えられます。私がこの場で取り上げるのは政権が評価されていない点です」と副大統領に向かってさらりと切り返した。ここにはコペルのジャーナリストとしての姿勢が凝縮されている>

 90年代に入ると、テレビの持つ力、とりわけ映像の力はより一層、視聴者の心を支配するようになります。湾岸危機から湾岸戦争へ、9・11を経てイラク戦争へ。映像が伝えるインパクトが圧倒的になるとともに、それが孕んだ「真実を歪めてしまう」危うさ、落とし穴が明らかになります。そうした時代状況、報道環境のなかで、「テッド・コペルは、インタビューという『言葉の力』で真実を浮かび上がらせようとしていた。私はコペルから、インタビューの持つ『言葉の力』を学んだ」と著者は言い切ります。

 国谷さんが番組を降板した背景についてはいろいろ取沙汰されましたが、彼女がめざしてきたのは、このような「言葉の力」で真実を伝える仕事でした。自分の判断と責任でそれをどこまで達成できるのか。その目標に向かってひたすら23年間、キャスターを務め続けたことが、本書を通して納得できます。この先また新たな可能性を、思う存分に切り拓いてほしいと願います。

「考える人」編集長 河野通和(こうのみちかず)