©UNO Associates Inc.


 三月の最終日曜日から、夏が始まる。今年は、三月二十六日。土曜の深夜二時に時計を一時間、先へ進めて、サマータイムの始まりだ。
 テレビやラジオニュースでも繰り返し、
 「今晩、眠る前に時計の針を動かすのをお忘れなく!」
 新聞の第一面の裾(すそ)にも、アナログ時計の図入りでサマータイムの開始を忘れないように呼びかけている。土曜と日曜の間に時刻を調整するのは、もし変更し忘れてもたいていの人が休日なので、問題が少なくて済むからだろう。

 友人は、この時刻変更が大の苦手。忘れては大変、と早々からカレンダーに印を付けている。それなのに、間違える。夏時間は<一時間先へ進める>なのに、混乱して<一時間後に遅らせて>しまう。結果、正しいサマータイムと彼の時計の間には、二時間もの差が出てしまうのだった。
 「これまで何度、チャンスを逃してきたことか」
 そしてまた三月最終日曜日の朝は、一時間分の睡眠も奪われることになる。

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 三月四月にかけては復活祭があり、身辺には新しいエネルギーが湧いてくる気配がある。習い事を始めたり、転職して引越していったり。卒業して新しい一歩を踏み出す若者もいる。
 祝い事に何を贈ろうか。
 生まれたばかりの子が洗礼を受けるとき、小学校に上がるとき、初聖体拝領、大学卒業など、人生の一里塚のような日を祝福するには、やはり金(きん と かね)だろう。
 今では減ったようだが、南部イタリアでは女児が生まれるとピアス用の穴を開ける。洗礼祝いは、金のピアス。並んで人気なのは、金のブレスレットや十字架のペンダント。銀製の写真立て。もう少し育つと、腕時計だろうか。
 「いまどき腕時計なんて使っている若い人なんて、見たことない。だって、携帯電話で済むじゃない」
 高校入学祝いに腕時計はどうかしら、と意見を訊いた同年齢の若者たちは揃って肩をすくめた。私がそのくらいの年齢のときは(四十年くらい前)、<ニッポン=腕時計>だった。正確で、薄くて軽量で、故障知らず。次々と新技術を駆使したモデルが登場し、時計界の若いスター、という感じだった。しかも廉価。デジタル時計が発表されたときなど、腕だけ未来に飛んでいくような印象だったものだ。
 当時イタリアでは、駅や広場、路上、郵便局や市役所、学校などの壁時計は、どれも止まっているか、ずれていた。自分の腕時計だけが頼りだった。
 けれども今から思うと、分刻みの時刻を気にして暮らしていたのは私くらいだったのかもしれない。待てど暮らせど、バスや電車はやってこない。大学の教授との面談を取り付けたときも、
 「それでは明日、午前中に」
 と返されて、<午前中>とはいったい何時から何時のことなのか、と途方に暮れたこともあった。またナポリで結婚式に招待され、遅れては大変! と会場までの交通渋滞を移動時間に組み込み、さらに少し早めに着くように出かけたところ、教会にはやっと花屋が式典のための飾り付けを始めようとしていた、ということもあった。
 「花嫁に失礼でしょ、早めに着いたりしたら」
 間際に何か問題が起きるかもしれない。結婚式ともなると、身支度から親との別れ、感涙、化粧が崩れてやり直し、ということもあるだろう。時刻通りに行くなんて野暮きわまりない、と注意されたのである。
 「中途半端な時計なら、贈らないほうがまし」
 時計は多くのイタリアの人にとって、特に男性にとって、靴同様に重要な物である。時刻を知るために下手な時計を身に着けるくらいなら、いっそ持たずに遅れたほうがまし、と思う人もいるのではないか。 
 大切な祝いに贈るのは、祖父から父へ父から息子へ、の時計だったりする。高級時計は、自分の甲斐性を見せるために自分で買う物だからだ。ところが、歴史は買えない。手巻きのメカは、スイス製と決まっている。盤が少し黄ばんでいたりする。
 そういう代々の時計には、ここぞという出番がある。やはり、人生の節目を刻むような場面で着けるのが合っている。

 かつて日本製のクォーツ時計が発売されると、性能はよく低価格で、消費主義の時流にも合っていて爆発的に売れた。スイスの時計メーカー業界は、悩んだ。自分たちの独壇場だった市場が脅かされるのではないか。
 そこで、一九八三年三月一日に<スウォッチ>が誕生する。
 <スイスの時計(swiss watch)>。
 日本製の黒い樹脂、銀色のステンレスに対抗して、スイス側は色鮮やかで奇抜なデザインをビニル製で廉価で売り出した。重厚な過去を引き継ぐ時計を作ってきた者が、軽薄化する時間を皮肉ったようにも見えた。
 この企画には、大勢のイタリア人工業デザイナーたちが参画した。デザインもさることながら、そのプロモーション案が秀逸だった。
 時計と靴は、イタリア男性の肝心要だ。彼らはそこを突いたのである。
 当時イタリア自動車メーカー、フィアット社の社長だったジャンニ・アニエッリは、イタリアの粋の象徴だった。車はもちろん、飲食、ファッション、余暇の過ごし方、立ち居振る舞いが、多くのイタリア男性の手本だった。アニエッリは、自分のイニシャルをシャツの身ごろではなく袖口近くに刺繍させ、左の袖丈を右よりもわずかに長めに仕立てて着用していた。袖口が腕時計に擦れて切れるのを嫌い、シャツの上に腕時計を着用したからだった。
 イタリアのデザイナーたちは、それを知っていたのである。
 スウォッチ発売の直前か、直後だったか。
 「あれは何だ」
 アニエッリの優雅なシャツの袖口に、スウォッチとイニシャルが並んだ。
 瞬くまに巷に広まって、伊達者たちを騒がせたのを思い出す。
 三月一日発売。月最後の日曜日の朝、どれだけの人が新しい時計で夏を迎えたことだろう。

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 あれからもう三十四年。時代の寵児だったスウォッチも、ヴィンテージになってしまった。
 時とともに、斬新も古典に変わる。