近世から現代まで、日本人はどんな舞台に笑い、また、人びとのどんな笑いが舞台に反映されてきたのでしょう。「考える人」の人気連載『浄瑠璃を読もう』が単行本として刊行されたばかりの橋本治さんには歌舞伎をめぐって、長年こまつ座の舞台をごらんになってきた湯川豊さんには井上ひさし作品をめぐって、それぞれご寄稿いただきました。

そもそも、近世以前の日本人が、狂言や落語という「笑う文化」を生み出しえたのはどうしてなのでしょう。笑いはかつて、さまざまな表現のなかにうずもれ、発見されるべきものでした。十代のころ、「大人の世界にはちゃんとした笑いがあまりない」と思った橋本さんの関心は、目の前にある「ふざけた古典」=歌舞伎に向かいます。

今回の原稿で紹介されているのは、なかでもとびきりふざけた演目、『大商蛭子島(おおあきないひるがこじま)』。平治の乱に敗れ、蛭小島に流された源頼朝は、素性を隠して「正木幸右衛門」という名で書道塾の先生をしています。幸右衛門先生は女好きで、彼の書道塾は若い女性ばかり。女房のおふじは嫉妬深く、やきもちを焼いて喧嘩ばかりしています。もちろんあくまでフィクショナルな設定ですが、この幸右衛門先生を演じる基本には、「男は恋をするとバカになる」という前提があると橋本さんはいいます。そして歌舞伎においては、「バカという不純物こそがうまみ」なのだと。

橋本さんの笑いをさぐる旅は、さらに『源氏物語』にさかのぼります。「笑い」と言えば、『源氏物語』――え? と思いますが、そのわけはぜひ橋本さんの原稿「『笑い』を見つけるのはむずかしい」でごらんください。

近代以降の日本人の営みを、喜劇という形式で表現してきた第一人者はなんといっても井上ひさしさんでしょう。ユーモアをパロディより上等なものと考える論調に井上さんは疑問を抱き、パロディであろうが、ユーモアであろうが、本当の笑いへと到達できるはずだ、と考えていました。その井上さんが「劇場」という時空間で実現したかつてない「笑い」を、湯川さんは傑作『父と暮せば』に見出します。演劇的時空間に奇蹟を起すものは、いったいなんなのか。「人間であることの保証――井上ひさし『父と暮せば』」をぜひご一読ください。