エッフェル塔。今回の滞在で唯一撮影した、観光地らしい景色。


 私がこのパリの博物館でやっていたことは、アリヅカコオロギのタイプ標本の撮影である。日本から持参したデジカメで、1個体の標本をあらゆる角度から撮影しまくる。後日、分類の論文を出す際に使用するためである。何しろ遠い所から命がけで来ているので、またこんな所にまで標本を見に来なくても済むように、時間をかけてじっくり撮影する。
 こういう小さな虫の標本を撮影するに当たり、私を含め最近の分類学者は「深度合成」という方法を使う。虫は立体的な形をしている上、微小な種に限って体表面が複雑で美しい彫刻や毛で覆われていることもあり、虫の体全体のどこにもピントが合っていて、なおかつ毛の一本まで数えられるほど鮮明な写真をどうしても論文に載せたいのである。しかし一般的にカメラというものは、撮影時に絞りを開放すればするほど、像の細部は鮮明に映る代わりに焦点深度も浅いペラペラな写真が撮れてしまう。逆に絞りを絞るほど、焦点深度は深く奥行きはあるのだが不鮮明な写真が撮れてしまう。写真において鮮明さと焦点深度は、「あちら立てればこちら立たず」のトレードオフのため、両方を同時に向上させることは本来できないのだ。その宇宙の真理を無理くり捻じ曲げる卑怯技が、深度合成なのである。
 簡単な原理としては、一匹の虫の標本を様々な高さから、絞りを最開放にしたカメラで何十枚も撮影する。そうして、いろんな部位にピントの合ったそれら「鮮明だがペラペラな写真」をパソコンに取り込み、特殊なソフトを使って一枚に合成してしまう。それにより、体全体どこにもピントの合った、精密な写真が得られるというわけである。アリヅカコオロギくらいのサイズの虫で一回の合成を行うためには、最低でもだいたい30枚くらいは撮影する必要がある。それを、虫の背中側から見たパターン、側面から見たパターン、正面から見たパターン、後脚の側面の様子、後脚の内側の様子……など、いくつものパターンにおいて繰り返し撮影せねばならない。もちろん、一発で撮り終わればよいが、大抵は撮影途中でカメラや標本がずれるなどのアクシデントにみまわれ失敗するので(ずれた写真を合成すると、像がダブって千手観音みたいな脚の生えた虫の写真が出来上がってしまう)、二度三度と撮影しなおす必要に駆られる。
 おかげで、たった1個体の標本を撮影し終わるのに最低1時間から1時間半くらいはかかる。そんな標本が20-30個体もあるので、全部撮影するには2-3日はかかってしまうわけだ。

飼育中のクボタアリヅカコオロギ。トビイロケアリから口移しで餌を受け取る。ヤマアリ亜科と呼ばれる分類群に含まれる、いくつかの種のアリの巣に住む。


 パリの博物館の標本は、収蔵量がとにかく莫大であるため、個々の標本類の管理は必ずしも細かく行き届いている訳ではない。すなわち、表面にホコリを被っていたりして、結構汚い。特にアリヅカコオロギなどという、別段人類の輝かしい未来と住みよい生活の発展に何ら寄与しない、クソの役にも立たない虫ケラの場合、過去に研究者もほとんどタイプ標本を触りに来ていないため、100年単位でほったらかされており、なおのこと標本が小汚い。だから、撮影前に柔らかい筆などで表面を軽く撫でて、標本をクリーニングしてから撮影するという一手間をかけねばならない。当然、そのクリーニングに使うための筆やら薬液やらも、自分で日本から持ってきたものである。

 私がこの博物館に行った時に、大層驚いたことが二つある。それは、上述の通り標本類の予想を超えた汚らしさ。仮にも分類の基準となる大切なタイプ標本なのだから、いくら何でももう少しきちんと管理されているものだと思っていた。しかし、それよりも何よりも驚いたのが、現地の博物館学芸員が「一日中自分の研究をしていた」ことである。
 学芸員が自分の研究をするのは当たり前だろう、と普通の人は思うかもしれないが、その認識は少なくとも日本においては正しくない。日本の(特に地方の)博物館の場合、学芸員の人員が恐ろしく少なく、1人とか2人とか、場合によっては1人もいなかったりする。だから、学芸員は博物館を経営していく上で必要なあらゆる雑務を日常的に負わねばならず、自分自身の研究を進める時間がほとんど取れないのである。学芸員は雑務の間に研究をするのが、日本の博物館では常態化しているのだ。しばしばこの状況を揶揄した「雑芸員」という言葉も聞かれるほどである。
 ならば学芸員をもっといくらでも増やせばいいじゃないかと言いたくなるのが人情だが、それだけの人数を雇えるだけの金が日本のどこの博物館にもないのだ。私には日本の博物館で学芸員、ないしそれに準ずる役職を担う知り合いが多い。彼らに会えば、日常的にそうした日本の博物館の置かれている状況の悲惨さを、いやが上にも聞かされ続けてきた。だから、生まれて初めて行った海外の博物館で、学芸員が何の雑務も負わず日がな一日自分の事だけを好きなだけしている姿を見た時には、衝撃と戦慄を覚えた。同時に、日本の博物館事情の闇を垣間見た気がした。

 果たして、滞在目的である必要なタイプ標本全ての撮影は完了した。仕事完了にどのくらいの日数を要するか不透明だったため、私は当初予定していた旅程に一日分の余裕を持たせておいた。滞在中、用心棒として雇ったタクシーの運ちゃんが私に「せっかくパリにまで来たのだから、一日くらい観光していけばいいじゃないか」と勧めてきたので、正直あまり気は進まなかったが、この予備日を使ってパリの町を観光することにした。運ちゃんに言われるままに連れて行かれたのは、よりによって観光地の中の観光地、ベルサイユ宮殿だった。
 運ちゃんは私を宮殿の入り口に落とすと、後で迎えに来ると言ってどこかへ行ってしまった。入り口の広場は、すさまじい数の観光客でごった返しており、さながらイモ煮状態。私はいつ背後から迫り来るとも知れないスリに怯え、3秒おきに後ろを振り返りつつ受付に並んだ。なお、強奪されるのが分かり切っていたので、カメラは持たずに運ちゃんに預けてきた。横からかっぱらわれるのも分かり切っていたので、懐からスマホを取り出すことは一度もなかった。つまり、天下のベルサイユ宮殿内まで行きながら、その写真は一枚も撮っていない。受付で購入した入場券の半券だけが、私が花のパリでベルサイユ宮殿にまで足を運んだことを証明する、唯一の物的証拠である。
 宮殿内に入ってからは、ろくに内装も見ずにひたすら小走りに部屋から部屋へと移動した。何しろ内部は外以上に人で溢れており、立ち止まったら確実にスリにポケットを漁られる。私は宮殿内では決して動きを止めず、まるでアリの巣内のアリヅカコオロギのようにコソコソ落ちつきなく歩き続けた。背後をとられないよう、なるべく壁を背にして。とりあえず、金を払って入った以上は元を取らずに帰れない。次第に私の目的は、宮殿内の美術品を鑑賞することから、この宮殿敷地内で踏んでいない場所をなくしてから帰るという、きわめて義務的かつ事務的なものへと変貌していった。
 テレビや中学の美術の授業で見覚えのある、有名なナントカの絵とかカントカの部屋も流し目で見つつ素通りした。息苦しいこと極まる建物内をひとしきり踏破した後、私は広い外の庭園に出た。べらぼうに広い庭園には、バラが沢山植わっており、所々に小さな池や堀が作られていた。小さな池をのぞき込んだら、日本では見慣れない雰囲気のイモリがいた。この宮殿に入って初めてまともな生き物を見た。それ以外に、この庭園はおろかベルサイユ宮殿全体で印象に残った景色はない。

コヒオドシ。パリにて。現地ではド普通種。日本にも同種がいるが、寒冷・高標高の地域にしかおらず、どちらかと言えば珍蝶。


 さて、ベルサイユ宮殿での「クール・ランニング」を終えた後、私は虫が恋しくなったので、迎えに来た運ちゃんに「もう少し人が少なめで緑が濃い所に連れて行け」と頼んだ。そして連れて行かれたのは、ベルサイユ宮殿の敷地に隣接する、広大な緑地公園だった。一応、ここも宮殿の敷地の範疇らしく、かつては裏庭的な場所だったという話を聞いた。ナラの木が立ち並ぶ森と、開けた畑のような環境からなる場所で、ようやくまともに虫を探せそうな雰囲気になった。地面には花が沢山咲いており、ハチやチョウの仲間が結構来ていた。いずれも日本の北海道や、長野の山岳地帯で見るような虫たちだ。しかし、意外にもアリの巣はあまり多く見られず、当然アリヅカコオロギも全く見つからなかった。世界中どこに行こうが、やっぱり私はこういう場所でこういう事をしている方が落ち着く。

 そんなこんなで、私はかの世紀末犯罪都市から一円もスられることなく、また一度も後頭部をナタでかち割られることもなく生きて帰ることができた。本当は向こうの博物館で得た知見をもとに、いかにアリヅカコオロギの分類が面白いかをここへ畳み掛けるように書きたい所なのだが、過去の先人の失敗例もあるので下手な言及は控えよう。とにかく大事なことは、たかがゴミクズみたいなムシの種を分けるにも世界を股にかけねばならず、それは血と汗と涙なしにはまかり通らない、ということである。


テラニシアリヅカコオロギというアリヅカコオロギが日本にいる。1900年初頭、関西で活躍していた昆虫の研究家、寺西暢(てらにしちょう)という人が最初に見つけた。寺西は、当時日本の昆虫学の権威だったエラい先生、北海道大学の松村松年(まつむらしょうねん)にそのアリヅカコオロギを標本にして調べてもらった。その結果、寺西は松村から「これは新種であろう。いずれ私が記載する」といった内容の話を口頭か手紙で言われたらしい。新種と言われて、恐らく嬉しくなってしまったであろう寺西は、すぐに当時発行されていた虫マニアの同好会誌に「新種のアリヅカコオロギを見つけたぜ! エラい先生に聞いたところ、これこれこういう形態的特徴があって云々だから新種らしい。近いうちにエラい先生が正式に発表するから期待してろよ!(意訳)」的な内容の記事を書いたのだが、実は新種発表に関する国際的な規約上、「この記事そのもの」が新種記載の論文になってしまったのだ。何しろ、新種の発見を同好会誌とはいえ、公的な紙面で宣言してしまったのだから。先にこうした発表をされてしまった関係上、もともと正式にこの種を記載するはずだったエラい先生の松村はその後記載することもなく、何とも歯切れの悪い顛末を迎えることになってしまった。
 この顛末は、単に歯切れが悪いというだけでは済まない。何しろ、古い時代に書かれた日本の一同好会誌に書いてしまっているので、必要にかられた外国人の研究者がこれを入手したくても入手が極めて困難である。しかも、運よく入手できたとしても内容が全部日本語(しかも歴史的仮名遣い)なので解読できない。よしんば解読できたとしても、寺西はこれを正式な記載論文の体で書いたわけではなく、あくまで箇条書きの予報のつもりで書いているため、情報量も少なくあまり意味がない。こうして、(言っては悪いが)煮ても焼いても食えない論文モドキを残された後世の研究者達が大変困る、という状況が永劫続いてしまうわけだ。
 なお、この種のタイプ標本は一応残ってはいるが、すこぶる状態が悪いときている。
 なので、私が未発表の分類学的な内容をここで迂闊に開陳してしまうと、この連載そのものが新種発表の記載論文となってしまい、後の研究者に対して上述のような多大な混乱と迷惑をなすりつける元凶になりかねない。新種の記載、分類に関する議論は、国際的な専門の学術雑誌上で行うのがルールであり、マナーなのだ。