友人が、「里心が付いたら行くところがある」と、言った。彼に連れられ着いた先は、ヴェネツィアのアカデミア美術館だった。日本でも展覧会があったばかりの、ベッリーニやティントレット、ティツアーノやヴェロネーゼらに代表されるヴェネツィア派の画家たちを生み出した美術学校(アカデミア)が母体となっている。一七五〇年創設。
 美術館の玄関は、タイムトリップへの入り口だ。絵画の中の世界に飛び込み、中世からルネサンス、近代へと時空を越える旅が始まる。友人は、並ぶ名作を見やることもなく、寡黙のままどんどん先へ歩いていく。中世のヴェネツィアを背後に置いた辺りで、ふと、彼は立ち止まった。
『老女』
 という、ジォルジォーネの作品である。
 縦横それぞれ六〇cm余りの小ぶりな絵の中に、深い黒を背景に老いた女性がいる。幾本もの皺が刻まれた顔。覆った白い頭巾から、パサついた白髪混じりの髪がひと摘(つま)みこぼれ落ちている。髪の分け目に見える、白い地肌。半開きにした口元から、不揃いの歯並びが見えている。やや前屈みになり、半身でこちらを向いている。寂しそうな目。何を言おうとしているのだろう。
 「母を見るようで」
 それだけ言って、友人は絵の前に立ち尽くしている。

 絵の中の老女は、『時とともに』と記された巻紙を手にしている。メッセージの意味は、生には終わりがあること、<メメント・モリ>なのか、あるいは<円熟の域に達する>なのか。見る側の心持ちによって、絵の中の人が伝えようとすることも変容する。 
 友人はときどきアカデミア美術館を訪れては、遠い母親に会いに来るのである。絵の中の老女は、そのときどきの彼に合うことばを掛け、あるいは何も言わずにただ見つめ、慰めたり忠告したりするのだろう。
 大作が多いアカデミア美術館の中で、小さな老女は異彩を放っている。見たら、忘れられない。大作の中のディテイルの習作だったのかもしれないし、画家が母親の像を通し、過ぎていく時への思いを具象化したのかもしれない。
 ミケランジェロは、小さな絵『老女』に強く打たれた。ローマ、バチカンのシスティーナ礼拝堂の壁画の中のシュビラ(古代の巫女)に、この『老女』から受けた印象を描き込んだという。
  
 全体を見るのは重要だが、肝心なことはしばしば細部に宿る。『木を見て森を見ず』は、修正するべき、ものの見方への苦言として使われるけれど、ディテイルを知ることでそれが集まった全体像がよく見えてくることも多い。小品の中の老女を見て、森林を作る低木や大樹の一本一本に異なる個性があることをあらためて思う。

 <絵の中の人は、あなたに似ている。
 もう一人のあなたを探しに、美術館へ行こう>

 今年、イタリアの政府が文化財・文化活動省を通じてそう呼びかけている。
 山が動くとき、森は揺れ、木々がざわめく。葉擦れの音にまで、耳を傾けよう。
 美術館には、過ぎた時からの教えが静かに並んで待っている。

<Art looks like you>: ©2017 Ministero dei beni e delle attività culturali e del turismo
Collaboration with the Centro Sperimentale di Cinematografia, directed by Paolo Santamaria