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分け入っても分け入っても日本語

烏賊いか

 あるとき、テレビ番組から、「難読漢字をクイズに出すので、解説してほしい」という依頼が来ました。私はホイホイと引き受けました。
 引き受けてすぐに「思っていた以上に面倒な仕事だ」ということに気づきました。
 難しい漢字の読みを答えるというだけなら、比較的簡単です。「家鴨」は「あひる」、「百足」は「むかで」。そういうものだと記憶しておけばいいわけです。
 一方、「なぜそう読むのか」を解説するとなったら、少々ややこしい。まあ、「家で飼育した鳥だから『家鴨』」、「たくさんの足を持つ動物だから『百足』」と、このへんはいいでしょう。
 さらに進んで、「海豚いるか」「海月くらげ」あたりはどうか。調べてみると、それぞれ「海にすむブタに似た生き物だから」「海の中の月のように見えることから」ということらしいのですが、確かめるまでには、けっこう時間がかかります。
 イルカを水族館で見ると、たしかに丸々と肥えて、水中をブタが泳いでいる感じがします。「海豚」はうまいネーミングだと思いますが、テレビでそんな感想を言うためにも、まずは文献的な裏付けが必要です。
 結局、このクイズ解説は何週かにわたって担当し、多くの漢字熟語の意味を調べることになりました。勉強になりましたが、ずいぶん労力もかかりました。
 改めて問われると、なぜその表記なのか分からなかった漢字のひとつに「烏賊」がありました。「いか」です。読みはそんなに難しくないでしょう。ところが、私はその漢字を書く理由を説明しなければなりません。
 それまで、何となく、「烏のように黒い、海の賊のようなやつだからかな」と考えていました。語源辞典を見ると、別のことが書いてありました。
〈漢字の烏賊はイカが烏にそのすみを吹きつけて、海の中に落として餌食にするところから、すなわち、烏にとってイカが賊であるとの意から中国で創作〉(『語源海』)
 イカはカラスの敵(=賊)だったんですね。これでよく分かった―と満足するのはまだ早い。この手の言い伝えは、本によって細部が違っていることもあります。もう一冊見てみましょう。
〈イカを「烏賊」と書くのは、イカはいつも水面に浮かんでいて、それを死んでいると思ったカラスがついばもうとすると、腕をのばして巻きつきカラスを捕らえるという中国での言い伝えによる〉(『暮らしの中の語源辞典』)
 イカがカラスの敵であることは同じですが、戦う方法が違います。さっきの本では墨を吹きつけて攻撃するということでしたが、この本では腕(足?)を巻きつけて捕らえるというのです。
 このままではテレビで解説できないので、その「中国の言い伝え」を確かめることにします。いったい、何の本に載っているのでしょうか。
『日本国語大辞典』には、10世紀の日本の辞書『和名抄わみょうしょう』など、いくつかの文献が挙げられています。いちばん古いところで、この『和名抄』を見てみましょう。
 原文は漢文ですが、現代語訳すると、こんなことが書いてあります。
「中国の『南越志なんえつし』という本によれば、イカはいつも水面に浮かんでいる。カラスが『死んでいる』と思って、つつきに来る。そこでカラスを絡め取るので、この名前がある」
 これは『暮らしの中の語源辞典』と同じです。江戸時代後期の『松屋まつのや筆記』でもほぼ同様の記述を確認しました。
 一方、イカが墨でカラスを攻撃するという話は、結局確認できませんでした。まあ、何かの本にはあるのかもしれませんが、積極的には取り上げなくていいでしょう。
 さて、番組本番では、出演者が「烏賊」を読めませんでした。そこで解説しようと思ったら、アナウンサーの方が問いかけました。
「先生、どうですか、メンバーは予想以上にレベル低いですかね」
「うーん、次回はもっとやさしいのを持ってきましょう」
 こんなやりとりをしている間に、解説の時間はなくなってしまいました。生放送では珍しくないことです。あれだけ調べたのは何だったのか、という話ですが、自分の勉強になったということで満足すべきかもしれません。
 画面には字幕スーパーで簡単に、「烏賊いか カラスの敵という意味」とだけ表示されました。視聴者はほとんど関心を払わなかったでしょう。
 ここまでは、漢字の「烏賊」、つまり中国語の由来を考えてきました。一方、日本語の「いか」の語源についても触れておきます。
 これは諸説ありますが、「形がいかめしいから」「『いかり』から」という説を記す古い文献が多いようです。「いかめしい」と「いかり」も語源的に関連があるようなので、「怒った印象のある海の生物」というほどの意味だとまとめていいでしょう。
 現代の「イカは怒ると墨を吐く」という言い方ともつながるように思われるし、「カラスの敵」という中国での戦闘的なイメージとも合います。
「イカはイカってるからイカなんだ」という結論でも、そう悪くないはずです。

信天翁あほうどり

 アホウドリという鳥を、私は直接見たことはありません。ウミネコなら海辺などでよく目にするんですがね。アホウドリはそれよりずっと大形の鳥で、日本では伊豆諸島の鳥島などに生息しています。
「アホウ」の名がついた理由は、人が近寄っても逃げず、簡単に捕まるから。このことは語源辞典に書いてあります。
 漢字では「信天翁」と書きます。この理由は、語源辞典には書いてありません。
 先に触れたテレビのクイズ番組で、この熟語も取り上げることになりました。「『信天翁』は『あほうどり』と読みます」と紹介するだけなら簡単ですが、「なぜか」と理由を説明するとなると、またしても厄介です。
 手始めに、ウェブサイトを検索してみましょう。こんな説明が出てきます。
「自分では魚が捕れず、天から餌が降ってくるのを信じているから」
 このとおりなら、まさしく間の抜けた鳥ということになります。ただし、テレビで解説するのに、「ウェブにそう書いてありました」では無責任です。
 きちんとした文献に当たってみましょう。『日本国語大辞典』の「しんてんおう信天翁」の項目を見ると、中国明代の『丹鉛総録たんえんそうろく』という書物から引用されています。
 そこで、台湾のウェブサイト「中国哲学書電子化計画」で、『丹鉛総録』を検索してみます。このサイトには、中国古典の信頼できるデータベースが用意されています。
 書物の全文データを検索すると、「信天翁」の説明の原文と影印(画像)が出てきました。私なりに日本語訳してみます。
〈信天翁 鳥名。雲南地方に生息。魚を食べるが、自分では捕ることができない。タカが魚を捕らえて、たまたま取り落とすのを待って、それを拾って食べる〉
 事実としては、ちょっと疑わしい記述ですね。第一、雲南地方(原文では「滇」とある)は内陸で、海鳥は住まないでしょう。
 ただ、明代にアホウドリが「そういう鳥だ」と理解されていたことは、これで明らかになりました。タカが捕まえて取り落とした魚が天から降ってくるのを、信じてずっと待っている、お爺さんのようなのんきな鳥。これが「信天翁」の由来です。
 残念なことに、結局、くだんのクイズ番組では「信天翁」は出題されませんでした。
 番組は生放送なので、ハプニングに備えて問題を多く作ります。15週にわたる放送のために用意した漢字熟語は200余り。一方、出題された漢字熟語は100ちょっとでした。「信天翁」は最後までお呼びが掛からなかったのです。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

飯間浩明
飯間浩明

国語辞典編纂者。1967(昭和42)年、香川県生れ。早稲田大学第一文学部卒。同大学院博士課程単位取得。『三省堂国語辞典』編集委員。新聞・雑誌・書籍・インターネット・街の中など、あらゆる所から現代語の用例を採集する日々を送る。著書に『辞書を編む』『辞書に載る言葉はどこから探してくるのか? ワードハンティングの現場から』『不採用語辞典』『辞書編纂者の、日本語を使いこなす技術』『三省堂国語辞典のひみつ―辞書を編む現場から―』など。

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