ギャフン

 テレビの製作会社から、「『ギャフン』の語源について放送したいが、こういう内容でいいか」と問い合わせがありました。テレビで取り上げるには少々古風なことばかもしれません。それはともかく、担当者が示した内容はこうでした。
〈「ぎゃ」と驚かせて、「ふむふむ」と納得させる。の、略〉
 それは違う、とすぐに分かりました。まったくでたらめな説です。いったいどんな調べ方をしたのでしょうか。
 ある語源説に接したときに、「この説は自然だ」、または「不自然だ」と感じる言語感覚は、研究者でなくても、誰しも持っているべきです。もちろん、不自然な説が実は真実に近かった、ということはありえます。でも、それは調べた後で分かることです。「ぎゃ+ふむふむ」説については、まずは「不自然だな」と直感が働かなければなりません。担当者の様子では、そういう疑問を持ってはいないようでした。
「ギャフン」とは、「言い負かされて、何も言えない様子」です。その状態と、驚いた後で「ふむふむ」と納得する状態には隔たりがあります。歴史的に意味が変化することを考慮しても、「ぎゃ+ふむふむ」説には無理があります。
「ギャフン」は擬音のひとつです。ただ、あまり似た形の擬音がなく、特異な感じがするために、根拠のない語源説が現れるのでしょう。
 ためしにインターネットで「ギャフン 語源」で検索すると、多くの語源関連のページが出てきます。中には、江戸時代の陽明学者・大塩平八郎の話にこじつけているものもあります。もちろん、これも誤りです。
「ギャフン」に似た擬音の例は少ないものの、時々目にします。筒井康隆さんの短編小説「乗越駅の刑罰」から2例紹介しましょう。
〈彼は突然、私の顎に握りこぶしをたたきつけた。/私はげふ、と息をらしてよろめいた〉
〈若い駅員が私に近寄り、私の腹にこぶしをめり込ませた。/「ぐふ」/私は一、二合のスープを吐いた〉
 この「ゲフ」「グフ」は、殴られて思わずもらす声です。口からもれる声と言えば「ゲップ」もそうです。いわゆる「おくび」の音ですね。「ゲフ」とも言います。
 これらの擬音は、g音とf(p)音が連続するところが共通します。驚いたりした拍子に、まずはっきりしたg音を出し、その後でf(p)音の息をもらすのです。二ノ宮知子さんの漫画「のだめカンタービレ」のヒロインは、何かと言うと〈ぎゃぼー〉と驚いていましたが、これも類音(g・b音)の連続と言えるでしょう。
 古い語形では「ギョフン」もあります。江戸川柳せんりゅうの「露丸評万句合つゆまろひょうまんくあわせ」に〈隠居客留めてくんなにぎょふんとし〉と1例だけ出てきます。「ギャフン」の先祖または変異形だと考えられます。
 つまり、「ギョフン」「ギャフン」「ゲフ」「グフ」「ゲップ」「ギャボー」などは、思わず漏れる声や息のバリエーションです。「ギャフン」のみに何か特別の故事来歴があるわけではありません。
「ギャフン」の確実な例が見つかるのは明治以降のことです。早い例のひとつが、内田魯庵ろあん『社会百面相』(1902年)所収の「犬物語」にあります。
 この作品の語り手は犬。ある身分の高い人の屋敷に飼われています。屋敷には美しいお嬢様がいて、彼女を目当てにいろいろな青年がやってきます。
 ある法学士は、屋敷に訪ねて来ては、同僚の評判、局長の噂、海外視察に行く計画などを自慢そうにしゃべります。でも、お嬢さんのほうは冷淡です。
んな事はい加減にしてちつと学問でもなさい、今のうち役所を辞してめて博士論文でも書いて見たら如何どうです、と〔お嬢さんは〕おつしやつた。先生〔=法学士のこと〕すこぶるギヤフンと参つたネ〉
 ここに「ギャフン」が出てきます。法学士はお嬢さんにやり込められて、めろめろの言い訳しかできませんでした。
 この物語では、大学の学士を〈キヤンキヤンえるよりほか能が無い〉と雑種犬にたとえて風刺します。ここに出てくる〈ギヤフン〉も、踏みつけられた犬の鳴き声のように聞こえます。作者もそう意識していたでしょう。
 昭和に入って、言語学者・浅野しんは、同時代の日本語を観察した結果を『巷間こうかん言語省察せいさつ』(33年)という本にまとめました。その中に、ワンセンテンスで用いられる語が紹介されている箇所があります。〈ダー〉(参った)、〈ヂャーン〉(万事休す)などに混じって〈ギヤフン〉も出てきます。
〈ギヤフン……端的に参つてしまつた心意を擬声的に表現したもの、前二者〔=〈ダー〉と〈ヂャーン〉〕より更にかろく〔=軽く〕幾分の愛嬌あいきょうがある〉
 浅野によれば、当時、最も参った場合に使うのは「ダー」でした。「ダーとなって(=降参して)座り込んだ」のように使いました。その次に強い表現が「ジャーン」、さらに軽く、愛敬のあるのが「ギャフン」というわけです。
「ギャフン」は、戦前にはこのように流行語的に使われ、戦後も70年代までは、小話の最後を「一同『ギャフン』」で結んでいました。現在では「死語」と言われることもあります。でも、「殴られたり踏んづけられたりして思わず出す声」という語源を思い起こせば、なかなか感じが出ており、この先も使い続けたいことばです。

ギョギョッ

 魚類学者でテレビタレントのさかなクンが驚くときに使う「ギョギョギョ」というフレーズが有名になったのは2004年頃からでしょうか。新聞記事にはその頃から出てきます。さかなクンの専売特許のような印象もありますが、もちろん、私たちが驚くときに「ギョギョッ」と言っても、何ら問題はありません。
 インターネットの「マイナビニュース」(12年2月9日)によれば、さかなクンの「ギョギョギョ」は水木しげるの漫画のせりふから来ていると本人が語ったそうです。
 水木しげるがどのように「ギョギョギョ」を使っているか、私には知識がないのですが、それはともかく、日本人があるとき、いっせいに「ギョギョッ」を連発するようになった時期があります。1949年のことです。
 当時のNHKのラジオ番組「陽気な喫茶店」で、元漫才師の内海突破うつみとっぱが使いました。作家の小林信彦さんは、〈「ギョギョッ」というだけで娯楽に飢えた大衆は喜んだ〉と記しています(『現代〈死語〉ノート』)。
 この「ギョギョッ」の流行はすごかったようです。黒澤明監督の映画「醜聞(スキャンダル)」(50年松竹)でも、新聞の見出しに〈ギョツ!ギョツ!/訴えられたアムール社長〉と書いてあります。衛星放送の映画で見て、何のことだろうと思いましたが、ちょうどこの頃に「ギョギョッ」が最盛期を迎えていたわけです。
 同じ黒澤監督の「生きる」(52年東宝)には〈まったく「ギョッ」だわ〉というせりふもあります。この年の雑誌『言語生活』2月号には〈茶目な少年少女たちならいざ知らず、堂々たる青壮年紳士たちまでが、「ギョツ!」などと会話の中に新感動詞をはさむ流行〉と記されています。一方、同じ年には子どもたちが〈飽きて止めました〉とも書かれており、まあ、この頃までのことばだろうと思います。
 ただし、「ギョッ」ということば自体は戦後に発明されたわけではありません。「ぎょっとする」の形では江戸時代からあり、夏目漱石も使っています。ごく普通の日本語だったのを、内海突破は「ギョッ!」と叫んでみせることで、流行語にしたんですね。
 江戸時代には「ぎょっぎょっと」という強調形もありました。内海突破やさかなクンのことばの源流は、かなり古くまで遡るわけです。
 今、日常生活で驚いたときに「ギャギャッ」とか「ゲゲッ」とか言っても、特に古いことばとは意識されないはずです。同じように「ギョギョッ」も、昔の流行語という感じは(それほど)しないでしょう。「ギャフン」がどこか古風な感じがするのとは対照的です