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分け入っても分け入っても日本語

 「ヤバい」という形容詞の由来は、江戸時代の「やば」という語に遡る、ということまでは分かっています。
 その「やば」とは何か。滑稽本「東海道中膝栗毛ひざくりげ」に、上方かみがたの人のせりふとして、
〈おどれら、やばなこと働きくさるな〔=お前ら、ヤバいことするな〕〉
 というのが出てきます。つまり、当時の関西方言で「危ない、法に触れる」ことを「やば」と言ったようです。これが江戸・東京に入って「ヤバい」になったのです。
 語源を考える上では、さらに「やば」は何に由来するか、ということにも関心が向きます。でも、これは今のところ不明と言うしかなさそうです。
 松尾芭蕉ばしょうの門人に志太野坡しだやばという人がいます。江戸時代前期に生涯を送りました。この人、最初は俳号を「野馬やば」と言ったのですが、後に「野坡」に変えました。つまり、俳号の文字にはあまり意味がなく、「やば」という音を重視したということです。
 野坡自身の念頭には、「危ない、法に触れる」という意味の「やば」があったのではないか。それで、「ヤバいやつ」という意味の俳号をつけた。そんな推測もできます。
 もし、そうだとすると、「やば」は江戸前期(17世紀)まで遡る可能性があります。ところが、現在知られている「やば」の例は18世紀後半のものが最古。この間に連続性があったかどうか、今のところは分かりません。
 いろいろと分からないのですが、「ヤバい」がもとは「やば」だったという事実によって、少なくとも「ヤバい」の語源説のいくつかは消えます。
 たとえば、古い隠語辞典には「ヤバい」は「あやぶい(危ぶい)」から、と書いてあります。また、戦後の語源辞典の中には「いやあぶない(彌危ない)」から来た、と主張するものがあります。
「あやぶい」も「いやあぶない」も文献には見当たらず、その段階ですでに怪しい説です。しかもなお、「ヤバい」はもと「やば」だったのですから、「あやぶい」「いやあぶない」とは、語形がかなりかけ離れていることになります。つまり、どちらも信じるに足りない説だということです。
 ともあれ、「ヤバい」は、明治・大正・昭和を通じて、アウトローの世界で頻繁に用いられたことばでした。まともな人々には忌避されながらも、主として口伝えによって、100年以上も受け継がれてきたということには、一種の感動を覚えます。
「ヤバい」は、やがて、一般の人の間にも広まっていきました。
 ある辞書編纂へんさん者は、子どもだった第二次世界大戦前後、親から「ヤバい」は使ってはいけないことばだと教えられました。ところが、昭和40年代頃から若者の間で頻用されるようになったため、「そんなことばは使うな」と心の中で叫んでいたそうです。当時、まだまだ犯罪者の隠語という意識が強かったのでしょう。それが、次第に普通の若者語、あるいはもっと広い世代の俗語として定着を見るに至りました。
 それから、さらに年月が経ち、否定的な意味のことばだった「ヤバい」が、いい意味でも使われるようになりました。
 ミュージシャンの世界では、かなり早くからポジティブに使われていたようです。ジャズピアニストの山下洋輔ようすけさんは、ある時、ステージで踊ったりもする黒人男性ピアニストのセシル・テイラーの演奏を聴いて、衝撃を受けました。
〈「今世紀最大の見せ物だ」〔略〕「あの踊りと歌はなんだ。やばいなあ」(注「やばい」はバンド用語で物すごいという意味にも使う)〉(『ピアニストを笑え!』所収、1973年の文章)
 ここに、著者自らの注釈つきで「ヤバい」の新しい用法が記録されています。これは70年代の例ですが、80年代の資料にも、音楽業界の用例と思われるものがあります。
 90年代には、雑誌の一般記事でも、次のように褒めて使うことがありました。
〈キミはGを知っているか? スーパープレミアムアイテムが今、ヤバイ!〉(『スコラ』98年10月22日号)
 ただ、これはまだ特殊用法だったかもしれません。同時期に出版された甘糟あまかすりり子さんの『流行大百科』(98年)では、「ヤバめ」は褒める意味で使われるのに対し、「ヤバい」はそうでないと区別されています。
 たとえば、〈ネイルにピースマーク描くのって、かなりヤバめってカンジ〉と言えば、これは〈「今っぽくてステキ!」の最上級形容詞〉。一方、単なる「ヤバい」は〈従来通りアブナイ、まずいとの意味であり、この使いわけが難しい〉とのことです。
「ヤバい」がいい意味で使われている、と一般に話題になりはじめたのは、もう少し後のことで、21世紀になってからです。
 たとえば、『週刊朝日』2004年8月13日号は、〈「やばい」はすごくよいだって!? 今どき言葉の不思議〉と題して、興味津々でこのことばを追っています。
 記事では、ある会社員がバイトの女の子たちと焼き肉店に行きます。みんなが「コレ超やばくない?」と言うので、会社員は「腐ってるのか?」と思ってしまいます。ここでは、「ヤバい」は、「すごくいい」「すごくおいしい」などの意味を表しています。
 さらに、「ヤバい」は程度を表す用法も獲得しました。「やばいうまい」、略して「やばうまい」などとも言います、この用法は10年頃までに一般化しました。
 アウトローの世界で長く下積み生活を送ってきた「ヤバい」は、21世紀の今日、ようやく日の当たる世界に出て、用法を広げて活躍しつつある、といったところです。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

飯間浩明
飯間浩明

国語辞典編纂者。1967(昭和42)年、香川県生れ。早稲田大学第一文学部卒。同大学院博士課程単位取得。『三省堂国語辞典』編集委員。新聞・雑誌・書籍・インターネット・街の中など、あらゆる所から現代語の用例を採集する日々を送る。著書に『辞書を編む』『辞書に載る言葉はどこから探してくるのか? ワードハンティングの現場から』『不採用語辞典』『辞書編纂者の、日本語を使いこなす技術』『三省堂国語辞典のひみつ―辞書を編む現場から―』など。

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