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分け入っても分け入っても日本語

「勝負(事)は下駄を履くまで分からない」と言います。勝負事は最後まで何が起こるか分からず、下駄を履いて帰りかけるまで勝敗は分からない、ということです。これはいったい、どこから出た慣用句なのか。
「野球からじゃないですかね。試合が終わって、ロッカールームに入るまで勝負は分からない、ということでしょう」
とは知人の編集者の言です。私は不審に思い、「野球選手というのは下駄を履いているんですか」と尋ねましたが、話は曖昧なままに終わりました。
 たしかに、この慣用句は野球の記事などでよく目にします。たとえば、延長10回で相手チームに逆転負けした監督が、次のように述べています。
〈(勝負は)げたをはくまで分かんないね。まあしょうがないや。明日は切り替えて行きましょう〉(『読売新聞』2010年5月19日付)
 主要全国紙4紙の記事データベースを検索してみると、1980年代末から2016年までの間に、「下駄げた・ゲタをはくまで」という語句は40件あまり出てきます。そのうち、実に半数以上は野球の例です。以下、囲碁・将棋、相撲などの例が続きます。野球での用例が多いことが、数値的に裏付けられました。
 とはいえ、実際には、野球は9回裏の攻撃が終わった時点で試合が決まります(後攻あとぜめが勝っている試合や、延長戦などの場合は別)。「下駄」ということばも野球には似合いません。「野球説」は説得力に欠けます。
 では、囲碁・将棋や相撲の場合はどうか。棋士や力士には下駄を履く人も多いでしょう。昔、碁打ちや将棋指し、相撲取りが勝負をして、その結果が下駄を履くまで分からなかったのだ、と説明されれば、イメージが浮かびやすいのは確かです。
 ただ、やはり、ルール上は、投了の時点や土がついた時点で勝負は決まるはずだ、という疑問は残ります。囲碁や将棋には「格言集」というものがありますが、そうした書物に「下駄を履くまで分からない」が出ているという報告もありません。「囲碁・将棋説」「相撲説」も決め手を欠きます。
 ことばの成立時期から由来を推測する方法もあります。インターネット上では、図書館のレファレンス(文献情報提供)のページに、「初出は江戸時代」と書いてありました。ある慣用句辞典を基にした情報のようでした。本当なら古い言い方ですね。
 私は、この慣用句辞典の編者に尋ねてみました。すると、この辞書はあくまで「下駄を履く」という言い方が江戸時代にあったと言っているにすぎないとのことでした。「下駄を履く」は〈人のために買物をするとき、その値を高く偽ってひそかにうわまえをはねる〉(『日本国語大辞典』第2版)という意味で、江戸時代に使われています。
 さまざまな国語辞典を見ても、「下駄を履くまで分からない」の古い文献の実例は載っていません。古今のことばを網羅する『日本国語大辞典』には、そもそも、この項目自体がありません。ネット上では、上述のレファレンス以外にも「江戸時代説」が飛び交っていますが、どれも信じがたい説です。
 国語辞典がこの慣用句を載せはじめたのは、意外に最近のことです。現在のところ、『広辞苑』『大辞林』『大辞泉』の3つの大型辞典、『新選国語辞典』『三省堂国語辞典』『新明解国語辞典』ほかの小型辞典がこの句を載せています。このうち、最も早く載せたのが『新明解国語辞典』第4版で、1989年のことでした。
〈下駄〔中略〕「―をはかせる〔=水増しする〕・勝負事は―をはくまで〔=どう決着がつくか最後の最後まで〕分からない〔後略〕」〉
 この後に『三省堂国語辞典』第4版(92年)が続き、以下、『大辞林』第2版・『大辞泉』初版(共に95年)、『広辞苑』第5版(98年)…と続きます。つまり、80年代末から90年代にかけて、国語辞典では「下駄を履くまで分からない」の「掲載ラッシュ」が続いたわけです。
 古くからあることばでも、辞書が見落としていることはしばしばあります。とはいえ、「下駄を履くまで分からない」に関しては、江戸時代や明治時代といった古い時代の文献例も見つからず、また、主立った辞書がある時期に相前後して掲載しているという事実を踏まえれば、この句はそう古くない時期に広まったと考えるのが妥当でしょう。
 私が見た範囲で、「下駄を履くまで分からない」の一番古い例は、雑誌『都市』70年4月号に載った「おとなの国」(佐々克明)という小説の一節です。この場面では、登場人物たちがダイスゲームを行っています。
〈「さぁ、ゲタはくまでわかんないよ」/リツコも興味をもよおしたようである。ジャンからスタート。三個のサイコロをテーブルに思いきりよく投げた〉
 野球や囲碁・将棋、相撲だけでなく、賭け事でも使われるんですね。いや、「勝負事」と言えば普通は賭け事のことですから、むしろこちらが本来かもしれません。
 野球などの競技にはルールがあり、現実には、下駄を履いて帰る間際まで勝負がつかないということはありえません。一方、賭け事であれば、その可能性があります。
 サイコロ賭博で勝った側が「では、これで失礼」と下駄を履きかけます。その時、「客人、お待ちなせえ」と、主人が後ろから声を掛けます。「このサイコロ、イカサマじゃねえかい?」。これで勝負がひっくり返る。賭博ならそういう状況はあるでしょう。
 結論は出ないものの、「下駄を履くまで分からない」は、比較的新しい時代に、賭け事あたりから生まれたという解釈が、私には最も自然に感じられます。
 

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 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

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金寿煥

著者プロフィール

飯間浩明
飯間浩明

国語辞典編纂者。1967(昭和42)年、香川県生れ。早稲田大学第一文学部卒。同大学院博士課程単位取得。『三省堂国語辞典』編集委員。新聞・雑誌・書籍・インターネット・街の中など、あらゆる所から現代語の用例を採集する日々を送る。著書に『辞書を編む』『辞書に載る言葉はどこから探してくるのか? ワードハンティングの現場から』『不採用語辞典』『辞書編纂者の、日本語を使いこなす技術』『三省堂国語辞典のひみつ―辞書を編む現場から―』など。

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