ひょんなきっかけで、瀬戸内海の出版社と知り合った。ときおり編集者から島々の便りが届く。そのたびに淡い磯の香を聞くようだ。中に、海員学校のことを記した一通があった。昔、粟島にあった船員養成の学校だという。
 粟島は、江戸時代から日本の海運を支えてきた島である。支えたのはその港ではなく、造船業でもなく、島が輩出してきた人材だ。この島で生まれた人たちは次々と船員になり、遠洋へと出ていった。日本の逸品を世界に届け、異国の材を祖国に持ち帰った。連綿と海の男たちを育成し続けたその学校は一九八七年で廃校となったが、校舎はそのまま残っているという。 
 <入学式の時期になると、学校の中庭で誰にも見られることもなく桜が咲き続けています>
 見に来ませんか、と書いてあった。

 粟島へ行くために、日本へ戻った。四国へ渡り、三豊市詫間港から連絡船で粟島へ行く。上から見ると、島は船のスクリューの形をしているのだという。
 風も波もない。雲が低く垂れた晩春の海を行く。無駄な装飾のない船内は隅々まで清潔で、手入れの行き届いた生活必需品といった様子だ。船のエンジンと船尾に立つ波飛沫の音の合間に、船室のテレビから地元のニュースが聞こえる。遠くにあった島影が、みるみるうちに近づいてくる。わずか十数分の航路だが、下船するときには異次元の場所へ渡ったような気がする。
 港からは島の縁を一本道がなぞり、それはそのまま新緑の山々の裾でもある。低い三角屋根が、道沿いから山へと連なっている。車も人もいない。空と海と山と。
 港からすぐのところに、水色の天井の高い二階建ての木造の建物が見えた。海員学校を母体にその後、大正九年(一九二〇年)に県立粟島航海学校として建立された学舎である。
 正面玄関前には美しく剪定された松が堂々と立ち、その悠々とした枝ぶりの間から背後の校舎の水色が見えている。学校は海に向かって建ち、長い月日を経ているというのに、少しも傷んでいるように見えない。屋根には和風の桟瓦が葺かれている。一枚として欠けるところなく整然と並び、壁面のガラス窓は今磨きあげたばかりのように透明で、昔風の歪さまでが下からでもわかるほどである。和洋折衷な佇まいは、異国へと向かった船乗りたちを生んだ学舎ならではだ。
 廃校と聞き、ひび割れや煤け寂れた様子を想像していたので、意表を突かれる思いだった。
 「いらっしゃい」
 中背の男性が現れた。年配者らしいが、年齢はよくわからない。背筋が伸び、しかし威圧的なところは少しもなく、口数は少ないが閉鎖的な印象はない。飄々としている。目はこちらを向いているけれど、視線は遠く広く見ている。居ずまいは、校舎の風情そのものだ。
 <ああ、船乗りだ>
 サルデーニャ島やヴェネツィアで会った、海の男たちと同じ目をしている。
 あれこれ問わず、さっそく彼は紙袋の中から数冊のアルバムを取り出した。ページを逆に一枚繰るごとに、十年二十年と時代を遡る。小さなセピア色の紙焼き写真の中から、一張羅を誇らしげに着て笑っている、十代だった頃のその人と目が合った。
 「『米が食いたければ、船乗りになれ』と、母から言われてね」
 早く学校を出てすぐ遠洋へ出たかった、という。七十年近くが経つ。

 彼の案内で、航海学校を見て回る。
 校舎に入ると、足元で板張りの床が鳴った。何度、重ね塗りされたことだろう。床板に染み込んだ油性ワックスの匂いを嗅ぐと、遠くから海員見習い生たちが廊下を歩く足音が聞こえてくるようだ。
 周辺の鄙びた島の景色と、校舎の外壁の鮮やかな水色は対極をなしている。ところが少しの違和感もない。百年前の情景を思う。瀬戸内海で育った少年たちにとって、この瀟洒な、しかし凛とし厳格な佇まいの校舎そのものが、すでに異国への玄関だったのではないか。トルコ、あるいはギリシャを連想させるような青い建物は、私たちがふだん見慣れた日本の風景ではない。
 老練な元船員は、大股だけれど雑ではない歩調で廊下をまっすぐ進んでいく。床の板の目に沿うようなその足取りは、まさに甲板に慣れた人たちのものだ。
 講堂に出る。仕切りのない広い空間に、高い天井。蜘蛛の巣や埃ひとつない。学校は閉じてしまったが、まだ生きている。何千、何万人もの海の男たちの魂が、そこここに宿っている。
 彼は過分な言葉を使わず、説明していく。
 手書きの世界地図が展示されている。模造紙を繋ぎ合わせ、世界各地の港が書き込まれている。卒業生たちが寄港した地の思い出を記して作った、世界にただ一枚の航海図だ。書き込まれた数行の向こうに、海が洋々と広がっている。
 地図の下に、無数の角の丸くなったガラス片が敷き置いてあった。海岸にはかつて瓶や器だったものが、割れ、流され、波に洗われて丸くなり、埋もれている。他愛のない欠片(かけら)だが、濡れると半透明の水色や緑色に光る。ひと片の中に、それぞれの海が波打っている。
 「また、<肩振りに>いらっしゃい」
 船員の目のまま彼はそう言って、軽く肩を竦めた。
 船員どうしの隠語で、<おしゃべりする>という意味だと教えてくれた。

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協力御礼:山北友好さん、旧国立粟島海員学校(〒769-1108 香川県三豊市詫間町粟島1541)