筆者の子供の頃、ジュースといえばスチール缶かガラス瓶と相場が決まっていた。自動販売機には栓抜きがついており、買ったジュースの王冠をここにひっかけ、こじって開けるのがちょっとした楽しみだった。今となっては懐かしい。

 ガラス瓶が姿を消すターニングポイントになったのは、1982年の食品衛生法改正だ。これにより、ポリエチレンテレフタラート製の容器、すなわちペットボトルを清涼飲料水用に用いてよいと取り決められたのだ。

ペットボトル(Wikipedia Commons / Jesusalconada)

 

 軽くて持ち運びが容易で、透明で中味も見えて、落としても割れない。何より、一度フタを開けても再び閉じられるのは画期的で、あっという間にガラス瓶を市場から追い払ってしまったのも当然と思える。さらに近年では、ペットボトルのデザインも個性的になり、他製品との差別化に大きな役割を果たしている。この成形の容易さも、ガラスにはまねのしにくい、プラスチックならではの利点だ。

 プラスチックが取って代わったのは、もちろんジュースのボトルばかりではない。本格的なプラスチックの普及は戦後に入ってからのことだが、それまで木材や陶器やガラスで作られていた多くの製品が、ほとんどプラスチックに入れ替わった。紙袋や布袋も、薄く伸ばしたプラスチック――要はビニール袋に、その座を逐われた。

プラスチック製品の数々(Wikipedia Commons / ImGz)

 

 今や我々は、プラスチックの繊維で作った衣服を身にまとい、プラスチックの椅子に腰掛け、プラスチックの食器で飲食をし、プラスチックのカードで料金を支払う。プラスチックの媒体に記録された映像をプラスチック製の画面に映して眺め、このため低下した視力をプラスチックのレンズで補って生活している。歴史上、人類は多くの材料を開発し使いこなしてきたが、プラスチックほど多くの材料の持ち場を奪ってしまった材料は、他にはないことだろう。

最強の理由

 プラスチックの強力な「ポジション奪取力」の理由は、要するにその欠点の少なさ、変幻自在さに求められるだろう。プラスチックは軽く丈夫で、低コストで量産できる。透明にも、様々に着色することもできるし、どんな形にも容易に成形可能だ。

 軽さが不足というなら、発泡スチロールやウレタンフォームのように空気を含ませ、軽量性と保温性を持たせることもできる。丈夫さが必要なら、ポリカーボネートの出番だろう。その耐衝撃性は通常のガラスの250倍以上とされ、過酷な条件にも耐える。このためCDや信号機、航空機材料などに広く用いられる。

戦闘機F-22のコクピットにもポリカーボネートが使用されている

 

 耐熱性の低さはプラスチックの大きな弱点だが、コストさえいとわぬならかなりの温度に耐えるものも用意できる。たとえばポリイミドと呼ばれるプラスチックは、400度近い高温や、絶対零度近くの極低温にも耐える。宇宙開発には欠かすことのできない材料だ。

 薬品への耐久性を求めるなら、テフロンがある。濃硫酸や強アルカリに漬けられても平然としているから、科学実験用器具にはうってつけだ。もっとも一般には、その摩擦係数の低さを活かした、焦げ付きにくいフライパンとしての用途が重要だろう。

テフロン加工のフライパン(Wikipedia Commons / Andrevan)

 

 このようにプラスチックの強みは、その陣容の豊富さ、層の厚さにもある。純然たる人工材料であるだけに、設計次第で非常に多彩な性質をもたせることができるのだ。この発展力の高さは、木材や金属などの材料が、どう逆立ちしても及ばぬポイントだろう。

プラスチックを殺した皇帝

 こうした、他の材料に取って代わってしまうプラスチックの実力に、最初に気づいた人物は誰だったのだろうか。それはもしかすると、第2代のローマ皇帝・ティベリウスかもしれない。紀元前42年に生まれて紀元37年に亡くなった、イエス・キリストと同時代を生きた人物だ。2000年も前にプラスチックがあるものかと思うが、彼に関して次のような逸話が残されているのだ。

第2代ローマ皇帝・ティベリウス

 

 ある時、皇帝ティベリウスのもとに一人の職人が訪れ、ガラスの杯を献上したいと述べた。皇帝がそれを手に取り鑑賞していると、職人は「杯をお返し下さい」と言った。職人は杯を受け取るや、いきなり床に叩きつけた。誰もが粉々に砕け散ると思ったが、驚いたことに杯にはひび一つ入らず、青銅の器のようにへこんだだけであった。職人は悠々と小槌を取り出し、内側から叩いてへこみを元に戻してみせた、という。

 細部は異なるものの、複数の著述家がこの話を記録しているから、これは大筋で実話だったのだろう。かの博物学者プリニウスは、この杯を「しなやかなガラス」と記述しており、職人の作った杯は我々の知るプラスチックに相当するものと見える。化学という学問の原型すら生まれていないこの時代に、職人はどうやってこの杯を作ったのか――残念ながら、これは永遠の謎となった。

『博物誌』を著したプリニウス

 ティベリウスは「この杯の作り方を知っているのは、そなたの他に誰がいるか」と尋ねた。職人が胸をそらし「私の他におりませぬ」と答えたところ、皇帝はその場で「この男の首を刎ねよ」と命じたのだ。職人の首が床に落ちると同時に、「ローマのプラスチック」の製法は永遠に失われた。

 ティベリウスが職人の首を打たせたのは、こんなものが出回っては、黄金をはじめとする宝物の価値が、大幅に下がってしまうという理由であった。ティベリウスは、ローマ帝政の創始者であるアウグストゥス帝の跡を継ぎ、安定した国家の建設に腐心した人物だ。そんな彼にしてみれば、せっかく確立した価値体系を乱しかねない新たな宝物の出現は、放置できぬ危険因子と見えたのだろう。

 この後、ローマが数百年の命脈を保ったことを思えば、ティベリウスの決断は帝国のためには正しかったのかもしれない。しかしこの行為のために人類は、自在に変形・成形可能な透明の美しい材料を手にするまで、この後二千年近い歳月を待たねばならなかった。この後のヨーロッパ文明の発展にも大きな影響を与えていたかもしれぬ新材料は、その発明者の生命を奪っただけに終わり、歴史の闇に消えた。

 こうした話は、現代にももちろんあることだろう。巨大企業からは画期的なイノベーションが生まれないとは、よく指摘されることだ。それまで築き上げた流通網や関連企業とのしがらみ、社内他部署の抵抗などによって、素晴らしいイノベーションの種が日の目を見ずに終わった事例はずいぶん世の中にあるに違いないし、筆者自身もかつて企業に勤めていた頃、そうしたケースをこの目で見てきた。

 破壊的イノベーションとは、それを行なうことよりも、それを形あるものとして世に送り出すことの方が、あるいは難しいものかもしれない。既成秩序など何とも思わぬ、ある種の異常性を秘めたスティーヴ・ジョブズのような人物でないと、なかなか成し得ぬことなのだろう。

プラスチックは巨大分子

 ここまで、そもそもプラスチックとは何であるかを一言も書かずにきてしまった。英語の「plastic」は本来「可塑性のある、柔軟な」という意味の形容詞だ。これだけなら、粘土でも小麦粉を練ったものでも、何でもプラスチックに当てはまってしまうことになる。

 現在の日本工業規格(JIS)では、プラスチックは「高分子物質(合成樹脂が大部分である)を主原料として人工的に有用な形状に形作られた固体である。ただし、ゴム・塗料・接着剤などは除外される」とされている。この中で重要なのは、「高分子」というキーワードだ。

 我々の身の回りにある物の多くは、原子がいくつか結合してできた「分子」が寄り集まってできている。たとえば水は酸素原子がひとつと水素原子がふたつ結びついたものだし、砂糖は炭素12個、水素22個、酸素11個の45原子が結合してできている。このように、含まれる原子の数が数百個から数千個以下のものを「低分子」と呼んでいる。

低分子の砂糖(スクロース)の構造図

 

 これに対し、数千から数万以上の原子が結合してできた巨大分子が「高分子」だ。高分子は何も珍しいものではなく、これまで本連載で取り上げてきたセルロースや絹なども高分子の一種だ。また我々の体内にあるDNAやタンパク質なども高分子の範疇に入るが、これらは「人工的に有用な形状に形作られ」たりはしないので、プラスチックとは呼ばない。

 早い話が、原子を人工的にたくさんつなぎ合わせて使いやすく固めたものは、全てプラスチックということになる。プラスチックという言葉には、恐ろしく広い範囲の物質群が含まれるわけだ。たとえばナイロンやポリエステルなどのいわゆる合成繊維も、定義上プラスチックの範疇に含まれる。

高分子のポリエチレンテレフタラート(PET)の構造図

 

 実際、同じポリエチレンテレフタラート(PET)という高分子は、成形の仕方によってペットボトルにも、フリースやシャツなど衣類にも、磁気テープのベースにもなる。プラスチックは変幻自在であり、見た目は全く別でも分子レベルでは同一のもの、ということはよくある。

 巨大分子とはいっても、ただめちゃくちゃに無数の原子がつながっているわけではない。多くのプラスチックは、基本となる単位分子(モノマー)が多数つながってできた繰り返し構造だ。たとえば先ほどから出ているPETは、エチレンとテレフタル酸という単位分子が交互に並び、たくさんつながったものだ。

モノマーの連鎖で出来ているPETの3Dイメージ図

 

 プラスチックの名称には、「ポリエチレン」「ポリスチレン」のように頭に「ポリ」(poly-)がつくものが多いが、これはギリシャ語で「多い」という意味を表す。ポリエチレンは、エチレンという単位がたくさんつながっていることを示すわけだ。

 しかし巨大な分子ということは、化学者にとって扱いが難しいということでもある。なぜ難しいかといえば、巨大分子は液体になかなか溶けてくれないのだ。化学者は、混ざり物の中から一種類の物質だけを取り出し、生成したものに化学反応を行ない、これを分析して、狙い通りのものができたかどうかを確かめる。これら一連の過程は、いずれも溶媒に溶かし、液体状態にして行なうことが普通だ。溶けにくい高分子は、このいずれもが難しくなる。作ることもしにくければ、正体を明かすことも難しいのだから、研究者としてはなかなか始末に負えない代物だ。

 もうひとつ、高分子はたくさんのパーツがつながったものだが、その数は一定しない。パーツが1000個結合したところで止めるといったことは難しく、サイズの揃った高分子の合成は現在でも先端的な研究テーマになっているほどだ。このため、高分子はいろいろのサイズの混ざりものとして扱うしかなく、これはそれまでの化学の苦手とするところであった。

 実際、実験中に偶然多数の分子がつながり合って高分子ができることがあるが、多くは真っ黒の洗っても取れないネバネバで、厄介なものができたと舌打ちしながら捨てることになる。これを研究対象にしようという化学者が少なかったのも、まず無理はないと思える。

 こうしたことから、高分子の化学の進展は低分子に比べて大幅に遅れた。本格的な化学工業は19世紀半ばから進展するが、プラスチックや合成繊維の本格的な普及がそれよりも一世紀近く遅れたのは、これが大きな要因だ。

(後編へつづく)