「歩くこと」が広げてくれる豊かな世界。
本特集では「移動と思考」をテーマに、さまざまなジャンルから9人の書き手に、エッセイとブックガイドを寄せていただきました。

評論家・エッセイストの湯川豊さんは、小説家、池澤夏樹の作品を読み解き、「移動」と「創作」の関係について思索します(「移動が見つけだしたもの」)。「短篇小説にも長篇小説にも、移動によって見出された、他にはかえがたい幸福感があるのは確かなことだ」という結びの一文には、深く首肯させられるものがあります。

人類形態進化学研究者の海部陽介さんは、「なぜ、どのようにして、われわれの祖先は、世界へ広がることができたのだろうか」という壮大な問いについて答えます(「人類が歩いてきた道」)。ホモ・サピエンスは何故、世界中へと大拡散を遂げられたのか。その道のりの先に、これからの私たちがあるということを示唆します。

詩人の管啓次郎さんは、三人の表現者の作品を手がかりに、「歩く」という行為への新たな読み解きを提案しています(「歩くことを作り出すために」)。一人目はイギリスの美術家リチャード・ロング。二人目はウォーキング・アーティストのハミッシュ・フルトン。そして三人目は、管さんが「まるでかれらの精神的な弟」と呼ぶ日本の写真家、津田直。「かれらの歩行を日々読み替えながら、ぼくも自分だけの『歩くこと』を作り出し、それを楽しむことにしよう」と管さんは呼びかけます。

「エチオピアを歩く」と題した一文を寄せてくださったのは、宗教人類学者の植島啓司さんです。世界各地でフィールドワークを重ねてきた植島さん。「エチオピアのような地を歩きながら思うのは、人は予測不能な歩きかたができないと予測不能なことを考えることもできない」という言葉に、はっとさせられます。

動物行動学・人間比較行動学の研究者、小林朋道さんのエッセイタイトルは「若い女性はなぜ歩くテンポが速いのか?」。測定結果から導き出されたこの傾向を、「若さと成熟とがほどよく溶け合う」20代女性の“欲求”の側面から解釈します。

エッセイストの三宮麻由子さんは、シーンレス(三宮さんの造語で全盲の意味)の歩行を「時間のミルフイユ」と表現します。目で見れば一瞬で入ってくる情報を、呼吸、感触、音、匂いなどを積み重ねて知覚してゆく。そんな歩行の豊かな世界を描き出してくださいました。

吟行、という日本古来の文化について書いてくださったのは、俳人の小澤實さん(「吟行 命を書きとめる」)。「『吟行』ということばの内容を言い換えてみれば、『ささやかな移動とささやかな思考』になる」と、小澤さんは語ります。

脳性まひによって、車いす生活を続けている、小児科医の熊谷晋一郎さん。「歩けない」当事者である熊谷さんは、電動車いすに乗るようになってから初めて「動き『ながら』考える」ことを体験します。「動きながらの思考は、物質にゆるやかに係留されており、じっと動かないでいるときの思考は、物質から飛翔しがちであるように感じる」。

文筆家・ゲーム作家・ブックナビゲーターの山本貴光さんによるブックガイド「歩行の謎を味わうために」では、バルザックのぼやきから、荒川修作+マドリン・ギンズの『養老天命反転地』まで、歩くことの意味を明かす必読の20冊を紹介します。

「歩く」というひとつのテーマに対して寄せられた、色とりどりのエッセイ。本誌でゆっくりお楽しみください。