初夏が来て、胸が高鳴る。
 一年近くも前から、その日をカレンダーに赤丸を付けて待っている。ローマ近郊にある山村の教会にて挙式、そして屋外での披露宴に招待されている。

 最近イタリアで結婚式に呼ばれることは、ごく稀になった。今でも式を挙げるのは、ローマから以南の出身者ばかり。私は北部のミラノに暮らしているが、今時のカップルで、結婚式を挙げ、市役所に婚姻届を出してからいっしょに暮らし始める人たちはどのくらいいるだろう。
 そもそもせっかくいっしょになっても、何年も経たないうちに相手が変わるカップルが多いのだ。別れた二人の間に子供がいる場合は、週末や夏休み、クリスマスなどを、子供が父母のどちらと過ごすかで、調整には大わらわ。別れて、また新しい人と連れ添って。旧新の相手、それぞれの親族、新しい連れ合いとの間に生まれた子供たちなど、大勢がパズルのように組み合わさっては解かれる。しょっちゅうパズルの片は、余ったり無くなったりする。何枚もの異なる家族の肖像画を四苦八苦して創り上げている。
 そういう状況を<広がった家族>と呼ぶ。世のなか皆友達、と寛大なようにも聞こえるし、問題が膨らんで収拾のつかない事態とも聞こえる。個人主義が進み、共同体でうまく折り合いを付けて暮らしていくのは、合理的な北部人にそぐわないのかもしれない。そういうわけで、どうせご破算にするのなら最初から結婚などしない、式も要らない、ということになる。
 一方、南部のキーワードは<家族>だ。物ごとすべての尺度になっている。人生の土台である。家族を持つための結婚なのだ。慎重に交際を続け、いよいよ見極めれば、「正式な相手となりました」と、あらたまって婚約から披露するところもある。 

 家と家が向き合う。
 両家の反りが合うかどうかは重大事である。人柄はもちろんのこと、社会的階級や経済力、宗教、ときには政治傾向など、互いに念入りに検証する。同じ地元どうしなら話はまだ簡単だが、二人の郷里が異なる場合はやっかいだ。他所へ移住している人たちはこれぞと決めた相手を、いつ郷里の両親や親族たちに紹介しようか、と好機到来を窺う。
 ある日バールに行くと、ミラノに住む南部出身者たちがざわついている。移住組どうしで、頭を寄せ合って何やら相談している。
 「急に母が訪ねてくることになって」
 一人息子である南部出身の彼は、女友達と暮らしていることを親には話していない。 
 「久しぶりにミラノ見物でもしようかと思ってね」
 電話口で母親はそう言ったが、嘘である。自分の勘が当たっているかどうか、確かめに来るのだ。
 <どういう女性だろう?>
 息子は、そろそろ四十歳に手が届くかというところである。母親が急襲するのは、優柔不断の息子の背を押すつもりなのかもしれない。
 しかし彼が女友達といっしょに暮らすのは、物価高のミラノで生き延びるための便宜的な手段に過ぎない。気の合う同朋のような存在であって、互いの家を紹介し合い、両家の重みを背負って、新たな家族を作り上げていく、というような覚悟はない。 
 「それを、すわ結婚、と言われても‥‥‥」

 さて、結婚式に招いてくれた二人は、ローマ近郊生まれの幼馴染みである。山間にある中世に遡る故郷は静かだけれど何もないところで、多くの若者は高校を卒業すると都会へ出ていく。二人も同様だった。ミラノで学びそのまま住み着き、それぞれにセンチメンタルな紆余曲折を経て疲れ果て、休暇で帰郷中に再会した。
 生まれたときから互いを知り尽くしていて、それまで他人として考えたこともなかった。北部で個人主義の冷風に晒されたおかげで、身内の温かさに気が付いたのだった。
 招待客の中には、新郎新婦が北部で得た友人たちもいた。二百人近い招待客たちのほとんどが両家の親族と知って、北部人たちは驚いている。両親兄弟姉妹の紹介に続いて、
 「こちらが父方の叔父叔母。その連れ。子供たち。各人の従姉妹に再従兄弟。その両親たち。叔母の乳母も来てるはず‥‥‥」
 目の前に、数代に遡る家系図が何枚も広げられたような様子だ。「親戚が倍に増えた」と、皆が異口同音に嬉しそうなのを耳にして、北部の若者たちはさらに驚いている。

 人と人が結びつき、家と家が繋がる。その縁がやがて村と村へ延び、そして山へ海へ島へ。その上に、南部イタリアは広がっている。
 北部では稀になってしまった情景が、初夏の南部にはある。

©UNO Associates Inc.