©UNO Associates Inc.


 「洗濯しすぎる、って叱られるなんて……」
 若い友人は怒っている。夫婦で雑貨店を営んでいて、幼子二人がいる。ミラノ郊外の一軒家に住んでいて、毎朝市内へ通勤している。早朝に起き、夕食の下ごしらえをし、子供たちを学校へ送ってから、働きに行く。
 地続きで、夫の両親が住んでいる。結婚した当初は、よかった。甘える嫁は可愛がられ、「もう一人娘ができた!」という姑の言葉を鵜呑みにして、あれこれ頼りにしてきた。一人目が生まれて、間を空けずに二人目の誕生。送り迎えから食事の支度まで、義理の父母の手助けなしにはやってこられなかっただろう。
 義母は、几帳面である。若い頃に自分も共働きだったので、家事の段取りには年季が入っている。年を取って諸事情は変わったのに、若い頃から培った経験に基づく自信は揺るぎない。
 例えば、洗濯。
 大物(シーツやテーブルクロス、バスタオルなど)洗いの日、
 色物洗いの日(青、赤、ピンク、黒、白、柄物と色分けする)、
 素材別洗いの日(絹やらウールやら)、
 その他一般は一日おき、
と仕分けは明確だ。洗い間違いで縮んだり、混ぜて洗って白シャツにピンク色が移ったりすることはない。片方だけの靴下も溜まらない。ところが、ありえない事故は嫁には毎日起こる。
 「明日は体操の日じゃないの!」
 替えのジャージは、ゴムが伸びてゆるゆるなのだった。ゴムの買い置きはない。トレーナーには、トマトソースの染みが付いたままになっている。どうしよう。夕食後に大急ぎで洗濯機を回す。ついでに、とその他の汚れ物も放り込む。片付けを終えて、明日の支度を済ませ、子供たちを寝かしつけてから、洗濯物を干す。大量だ。明日の天気予報は、<晴れ>。あと数時間で朝なのだから、と中庭に干す。
 体操服を乾かさなくちゃ、と早起きして中庭を見ると、ない。ジャージもトレーナーも夫のシャツも。
 「おはよう!」
 朝日とともに、晴れ晴れとした笑顔で中庭を横切ってやってきた義母が、玄関に立っている。手には、びしりとアイロンがかかった洗濯物を持って……。 「洗濯はこまめに朝するものでしょ。多すぎると、始末も大変!」
 受け取った衣服は、靴下や下着、タオルに至るまでアイロンが掛けてあった。

 「わかるわ」
 話を聞いていた、別の熟年の友人が頷く。市内に住み、自由業で一日の大半を留守にしている。子供たちは高校大学ともう大きいが、育った分、洗濯物の嵩も大きくなり込み入ってくる。
 「迷子の靴下時代が懐かしいわよ。やれ『このワンピースは手洗いでお願い!』だの、『俺のには、花の香りの柔軟剤は絶対に使わないで』だの」
 各自に任せるようにやっと教育できたと思ったら、今度は家の中が四六時中、物干し場になってしまった。ミラノに限らず、イタリアでは集合住宅の正面には、たとえバルコニーがあっても洗濯物を干してはならない規則がある。町の景観を乱さないためだ。公共の目に付かない、裏側や中庭側に干さなければならない。たいてい日当たりや風通しはよくない。

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 加えて、ミラノは天候の不順な町である。排気ガスも濃い。中庭に干すとき、雨よけのビニールシートを掛けたりする。全く乾かない。それで、室内干しとなるのである。
 「買ったわよ、だから」
 横にいた、別の友人が誇らしげに言う。乾燥機である。そこにいる皆が、羨ましそうに溜め息を吐く。それにしても、子どもたちはとうに独立し結婚したはず。大量の家事からも解放されたのでは、と尋ねると、
 「週末や休みに孫が集合するのでね」
 一から出直しの家事である。
 そう愚痴りながらも、たいていのイタリアの食卓はリネンのテーブルクロスにナフキンだ。一点の染みもなく板のようにプレスの効いたクロスを見ると、いつ洗ってどこに干しているのだろう、とこっそり家の中を見回すのである。

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