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暮らしのサウンドスケイプ

銅版画・オバタクミ

 小学生のころ、NHKの「みんなのうた」に「コンピューターおばあちゃん」というのがあった。いまならスマホやパソコンのスーパーユーザーを連想するのではないか。この歌では、コンピューターを使えるおばあちゃんではなく、コンピューターのように〝すごい〟おばあちゃんを孫の少年の目で絶賛している。「ぼくのおばあちゃんは明治生まれのコンピューター」で始まり、勉強は小学校の全科目得意、足腰はかくしゃく、世界をまたにかけ、夢は宇宙旅行。入れ歯をカクカクさせて英語も楽々。コンピューター自体は登場しない。当時コンピューターは、いまの宇宙船のような位置づけで、日常から離れたものだが、がんばれば到達できる可能性のある夢のゴールだった。

 童謡の雰囲気が変わったと感じるようになったのは、子供時代に「スーパーアイテム」だったコンピューターが「日用品」になりはじめた時期からに思える。最大の違いは、扱われるテーマが「情報伝達」から「事象の描写」にシフトしたことのような気がする。「コンピューターおばあちゃん」では、スーパー高齢者を活写する「情報」とともに、世界へ向かう当時の日本人の心意気のようなものが「描写」されていたと思う。この歌は私にとって、童謡の転換点に位置する歌になっている。

 現在の小学校の音楽教科書を覗いてみると、昔からある童謡は、ワルツを踊る、雛祭りの様子など、詩的な感覚を呼び覚ますとともに、自然の営みや年中行事を織り込んで情報として子供に伝える役割も果たしていたかに見える。子供が得られる情報が少なかった時代、童謡は自然現象から各地の風物や行儀作法までを伝える情報源でもあったのだろう。低学年に昔ながらの情報伝達式の童謡が多く残っているのは、小さいうちは基本知識のインプットが必要だからではないかと思える。

 高学年の教科書には、「あの青い空のように」など直接心に訴える歌が入ってくる。コンピューターを日用品として使いこなし、ともすると大人より進んだ情報をもっている現代の子供たちには、歌で情報を伝える必要がないためだろうか。

 視点も変わってきた。子供を包むような内容から、子供自身の個性を発揮するものになった気がする。たとえばスズメで見ると、私が最初に知った歌「雀の学校」では、スズメは一羽一羽でなく十把一からげで扱われ、全員が学校という空間に包まれ、守られていた。現在教科書にあるのは「すずめがサンバ」である。スズメが三羽、朝も夜も電線の上でサンバを踊っている歌で、サンバのリズムとともに、「三羽」と「サンバ」の駄洒落が効いて楽しく仕上がっている。実際には昼行性のスズメが月明かりの下で踊ることはあり得ないのだが、野暮は言いっこなしにしよう。眼目は、三羽のスズメの一羽ずつの姿がはっきり見え、十把一からげで扱われていない点である。この変化は、時代とともに心の自由度が上がり、自己肯定の精神性が定着した証拠とも思えて嬉しい。

 ただ、感覚面でちょっぴり残念なことがある。それは、歌からそこはかとなく聞こえる「音」が減りつつあることである。電車や鳥のように、対象物が出す音を直接描写するもの以外、歌詞から聞こえる音が少なくなってきた気がするのだ。

 「静かな静かな里の秋」と歌えば、聞こえるのは沈黙の音だが、その沈黙ゆえに「お背戸に木の実の落ちる」音が聞き取れる。母さんと「栗の実煮て」いる囲炉裏にも、パチパチ、グツグツとささやかな音がしている。

 正月の淑気(しゅくき)溢れるいまの時期の歌なら、「お正月には凧あげてこまをまわして遊びましょう」と歌うと、凧揚げに興じる子供の歓声や独楽の唸り、二番では羽根突きの小気味良い音が自然に聞こえてくる。ハタハタ、ブンブンなどと音を写さずとも、一時代前の童謡では行間からさまざまな音が聞けたのである。「コンピューターおばあちゃん」からさえ、元気なおばあちゃんの声が聞こえていた。

 都会化や核家族化が進み昔の音が聞こえなくなったから、あるいは情報化が進んで歌に音を入れる必要がなくなったからなど、変化にはいくつか背景があるだろう。だが私には、一概に現代化が原因とも思えない。現在は伝統文化が見直され、学校や保育園でも餅つきや綾取りなど旧来の遊びを取り入れるところが増えていて、電車の中で話す子供たちから古典の一節が普通に聞かれたりするからだ。伝統が消えたために歌から音がなくなったというより、作る側が音を聞かなくなったのではないかと思っている。

 現代には人工音が多く、自然や生活の営みの出すささやかな音は聞きとりにくい面がある。だからこそなおさら、子供が愛唱する童謡には、耳を澄ませ、時間をかけて「音を聞く」という深い姿勢を提案する役割もあっていいのではないか。自然音に限らず、パソコンでも電車でも飛行機でもいい。いまの子供の耳に届き、心弾む音が聞こえる歌がたくさん生まれてくれたらと願っている。

(「考える人」2017年冬号掲載)

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

三宮麻由子

さんのみやまゆこ エッセイスト。東京生まれ。4歳で病気のため光を失う。上智大学大学院博士前期課程修了(フランス文学専攻)。処女エッセイ集『鳥が教えてくれた空』で第2回NHK学園「自分史文学賞」大賞、『そっと耳を澄ませば』で第49回日本エッセイスト・クラブ賞を受賞。『空が香る』、『ルポエッセイ 感じて歩く』など著書多数。通信社勤務。

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