ケイ素の履歴書

 ケイ素は、生命の構成要素としては活躍の場が少ないものの、材料としては人類が何よりお世話になってきた元素でもある。石はもちろん、以前に取り上げた陶磁器も、ケイ素が基本骨格を成している。またガラスも、ケイ素と酸素が1:2の割合で結びつき、ランダムなネットワークとなったものだ。

 これほどまでに身近で大量にある元素でありながら、ケイ素の発見はずいぶん遅れた。ケイ素は、1823年にスウェーデンのイェンス・ベルセリウス(1779-1848年)によって初めて純粋に分離されたといわれる。これは、ストロンチウムやベリリウム、イットリウムといった存在量の非常に少ない元素よりも、遥かに後のことだ。

イェンス・ベルセリウス
 

 かくも発見が遅れたのは、ケイ素と酸素との相性が良すぎ、互いに強力に結びついているためだ。上に挙げた岩石やガラスは、いずれもケイ素と酸素が交互に結びついたネットワーク状の構造であり、両者は非常に引き離しにくい。このためケイ素の純粋な分離は、多くの技術や考え方の進歩を必要とする難事業であった。しかし単離されたケイ素は、のちに多彩な製品と産業を生み出す、人類史上最高といってもいいほどの宝であったのだ。

精製されたケイ素
 

 純粋なケイ素は銀色の光沢を放つ固体で、一見すると金属に見える。だが、各種の性質は金属とは異なる部分も多いため、ケイ素は「半金属」に分類される。たとえばケイ素は、電気を通す性質を持った金属と、電気を通さない非金属の中間、いわゆる半導体としての性質を持つ。ケイ素が現代産業における花形の座を占めている大きな理由は、このどっちつかずの性質にあるのだ。

半導体とは何か

 半導体とはよく聞く言葉ではあるが、「電気を通す物質と通さない物質の中間」と聞いても、いったいどういうことかわかりづらい。要は、不純物の量や光の当て方などにより、電気の通し具合をコントロールできる物質ということだ。

 金属では、原子の持っている電子の一部が原子から離れ、自由に動き回りやすくなっている。一方から「電子よこちらへ来い」という号令、すなわち電圧がかかったら、電子たちは一目散にそちらへ向かって駆け去っていく。これが、金属の中を電気が流れるということだ。

 ケイ素の結晶の中では、電子がもう少し原子にきつく縛られており、金属の場合ほど自由に遠出できない。このため、純粋なケイ素の結晶はほとんど電気を通さない。そこで、他の元素を不純物としてほんの少しだけ混ぜる、「ドーピング」という方法が採られる。

 たとえば、ケイ素に比べて電子の持ち合わせが少ない、ホウ素という元素をドープしてみよう。ケイ素の結晶にホウ素が混じりこむことにより、そこだけ電子が足りない、いわば「電子の孔」が空いた状態になる。電圧がかかると、手近の電子が孔に向かって移動し、そこで空いた孔に別の電子が入り込み……という過程を繰り返して、結果として電気が流れることになる。

 要は、電子のバケツリレーが起きているわけだ。純粋なケイ素結晶は、いわばみながバケツを両手に持った状態であり、受け渡しができない。ホウ素、すなわち手が空いた人が入ってはじめて、電子を遠くまで送り届けることが可能になるのだ。これは、マイナス電荷を持つ電子が足りない状態、すなわち全体にプラスの状態であるため、「p型半導体」(pはpositiveの頭文字)と呼ばれる。

p型半導体 (Guillom / Wikipedia Commons)
 

 これと反対に、ケイ素より電子をひとつ余計に持ったリンを混ぜ込むことでも、電流を流すことが可能になる。こちらはマイナスの電荷が多い半導体なので、「n型半導体」(nはnegativeの頭文字)と呼ぶ。いずれも、ドープする元素の種類や量を調整することで、さまざまな性質のものを作り出せる。

n型半導体 (Guillom / Wikipedia Commons)
 
 

 さらにこれらの半導体をうまく組み合わせることで、一方からやってくる電流だけを通すダイオードや、情報を記録する半導体メモリなどを作ることができる。将棋の駒でたとえるなら、ただ電流を流すだけの金属は香車だろうが、半導体の登場によって飛車角や桂馬などの強力な駒が誕生したといえる。これらをうまく組み合わせて活用することで、今までとは比較にならぬほど複雑かつ強力な製品が作り出せるようになったのだ。

ゲルマニウムの時代

 こうした半導体の時代の先鞭をつけたのは、実はケイ素ではなくゲルマニウムという元素だ。先ほど、炭素とケイ素は周期表で縦に並ぶ兄弟元素と述べたが、ゲルマニウムはこれらの真下に位置しており、性質も類似している。このためゲルマニウムもまた半導体としてはたらく。

 これを利用した新たなデバイスが生まれたのは、戦後すぐのアメリカ・ベル研究所においてであった。同研究所の設立元であるAT&T社は全米に事業を拡大中であったが、長距離通話になると音声信号が減弱し、聞こえづらくなるのが問題となっていた。これを解決するため、電気信号を増幅する装置が求められていたのだ。

 1947年、ゲルマニウムの結晶を用いてこれをやってのけたのが、ジョン・バーディーン、ウォルター・ブラッテン、ウィリアム・ショックレーらであった。これは点接触型と呼ばれる扱いの難しいものであったが、やがてショックレーは接合型と呼ばれる物理的に安定なトランジスタも開発した。これは、n型-p型-n型といったように、異なる性質の半導体をサンドイッチした構造だ。

1947年に発明された最初のトランジスタ(複製品)
 

 翌年トランジスタが発表されると、世界の技術者たちは敏感にこれに反応した。それまで用いられていた真空管は寿命がせいぜい数千時間ほどしかなく、このためENIACは当初、一日数回は真空管の交換が必要になるほどであった。しかしトランジスタは長寿命かつ低コスト、しかも原理的にいくらでも小さくできる。当時トランジスタの研究に携わったある日本人研究者は、そのインパクトを「身の毛のよだつような発明」と表現している。

 トランジスタの登場は、今日まで続く半導体産業の幕開けとなった。トランジスタラジオを開発した東京通信工業は、これをきっかけに「ソニー」の名で世界的企業へと駆け上がった。1960年代からはテレビにも搭載され、「娯楽の王様」の地位確立のために大きな役割を果たした。バーディーン、ブラッテン、ショックレーの3人は、この功績で1956年のノーベル物理学賞を受賞している。

バーディーン(左)、ショックレー(中央)、ブラッテン(右)
 

シリコンバレーの奇跡

 半導体の時代を切り開いたゲルマニウムだが、決定的な弱点を抱えていた。ゲルマニウムトランジスタは熱に弱く、60度程度になると動作不良を起こした。また何より、ゲルマニウムは希少な元素であり、安定供給が難しい。これらはいずれも、兵器に用いるために大きな問題となる。

 ここで、ついにケイ素の登場となる。すでにケイ素が半導体としてはたらくことはわかっていたが、何しろケイ素は融点が1410℃と高く、このため熱には強いが、精製や結晶の作成が難しい。先ほど述べた通り、半導体はごくわずかな量の元素をドーピングするだけで、大きく性質が変わる。意図しない不純物の混入は、半導体の品質を大きく引き下げてしまうのだ。このため現代の半導体産業では、ケイ素の純度99.999999999%、すなわち不純物が1千億分の1以下という途方もない水準が求められている。この壁を突破することが、1950年代以前には難しかったのだ。

 これを乗り越える工夫、そしてその後の大発展はほとんど全て、サンフランシスコ湾の奥にある谷間で起こった。現在のその地域は「ケイ素の谷」、すなわちシリコンバレーの名で呼ばれている。

 この地域の中核を成すのは、スタンフォード大学だ。今でこそ米国西海岸を代表する名門大学だが、かつてはただ果樹園に囲まれた淋しい田舎の大学であった。優秀な卒業生がいても地元に残ることはなく、みなニューヨークなど東海岸に就職してしまっていた。

 この状況を憂えたフレデリック・ターマン教授(1900-1982年)は、学生を説いて地元で起業させ、卒業生の受け皿とすることを考えた。1939年、彼の弟子であるウィリアム・ヒューレット(1913-2001年)とデイヴィッド・パッカード(1912-1996年)は、教授のバックアップを受けつつ、大学の近くで電子機器メーカーを立ち上げる。いうまでもなく、これが現在まで続くヒューレット・パッカード社だ。

「シリコンバレー発祥の地」として復元されたヒューレット・パッカード社創業のガレージ (BrokenSphere / Wikimedia Commons)
 

 ターマンは優秀な研究者をスタンフォード大学に招聘しつつ、その研究成果を元に起業を促していった。折からの軍事的需要が追い風となり、企業群は成長を続けていく。これがシリコンバレーの起源だ。

 戦後、この地で起きた主なイノベーションや出来事は数限りない。1959年にはフェアチャイルド半導体社のロバート・ノイス(1927-1990年)らが、シリコン集積回路(IC)を開発した。1964年には、今もコンピュータには欠かせないマウスが発明されている。インテル社が史上初のCPUである「4004」を発表(1971年)したのもこの地だし、1977年にはアップル社によって「Apple Ⅰ」が世に送り出されている。

 現在もシリコンバレーには、アドビシステムズ、アップル、グーグル、ヒューレット・パッカード、インテル、フェイスブック、オラクル、サン・マイクロシステムズ、ヤフーなどが本拠を置く。これら企業の影響力は、いまさら改めて語るまでもないだろう。

シリコンバレーの遠景 (Elf / Wikipedia Commons)
 

 こうして改めて並べてみるとあまりに凄まじい進歩で、とうてい一つの地域でわずか数十年の間に起きたこととは思えない。だが、歴史を振り返ってみると、ある時代のある地域に才能が集結し、一挙に巨大な進歩をもたらしているケースは多々ある。15世紀のイタリア・ルネサンス、18世紀に始まるイギリスの産業革命などが、その例に挙げられよう。ずっと小規模ではあるが、12人のノーベル賞受賞者を出したアーネスト・ラザフォード(1871-1937年)の研究室、戦前の理化学研究所、有名漫画家が数多く巣立ったアパート「トキワ荘」なども、こうした例に入れられると思う。

アーネスト・ラザフォード
 

 こうした才能の異常な結集と爆発が起きているケースには、いくつかの共通点がありそうだ。新しく切り拓かれた分野であること、十分な資金が集まっていること、リスクのあるチャレンジができる状況であること、自由闊達に議論ができる環境であることなどだ。

 1950年代以降のシリコンバレーも、まさにそうした状況だった。何か問題があると、会社の垣根を越えて研究者が勝手に集まり、激しく議論を戦わせた。新しいアイディアを得た研究者は、会社を離れて自分のベンチャー企業を立ち上げ、思う存分に研究を行えた。「スピンオフ」という言葉は、シリコンバレーで生まれたものだ。

 こうした環境のもと、シリコン半導体は驚異的なペースで進歩してきた。現在のシリコンチップは、トランジスタを多数ケイ素の半導体上に集積させたものだ。有名な「ムーアの法則」によれば、その集積度は18ヶ月ごとに倍になっていくとされる。この予言は1965年になされたものだが、何度も限界をささやかれつつ、半世紀を経た現在もいまだ有効だ。これほど劇的な進歩を続けている分野は、人類史上他にないだろう。

右肩上がりが続く「ムーアの法則」 (Wgsimon / Wikipedia Commons) https://commons.wikimedia.org
 

 こうした驚異的進歩の結果、一昔前のスーパーコンピュータ以上の能力をもったマシンが、今や我々の片手に納まるサイズになっている。最近では、人工知能「AlphaGo」が、人類最強の囲碁棋士を打ち負かすまでになった。ある一分野に限ってではあるが、誕生からわずか60年ほどで、「ケイ素の脳」は「炭素の脳」を追い抜いてしまったわけだ。

 こうした急激な進展を危ぶむ声もあるが、コンピュータの進歩はとどまることなく続いている。全てを計算し尽くすマシンを作り上げるのは、研究者にとってあまりに魅力的なテーマであるようだ。コンピュータはどこまで進化するのか、「炭素の脳」と「ケイ素の脳」はどこまで手を取り合っていられるのか。不安もあり、また期待も大きいが、ともかく我々は実に面白い時代に生まれ合わせたものだとは思う。