2001年、大学進学にともない長野に移り住んだ頃、私には大いに感激したことがあった。それは、家の近所に野生のリスが生息していることだ。もともと長野はどこも野山ばかりの場所なので、必然的に人間の居住区が野生動物の行動圏内と大きく重なっている。だから、家の周りで野生動物と鉢合わせることなど普通の事のように思えるのだが、大抵の日本の野生動物は夜行性であり、昼間その辺をふらふら歩いたところでそれらとばったり出くわす機会はまずない。そんな中、例外的に純粋な昼行性の野生動物なのがリスである(シカやイタチなども日中姿を見かける場合があるが、あれらは夜も活動しており、純粋な昼行性とは言えない)。

餌を取りに樹幹を降りるニホンリス。
 

 初めて私が山でリスを見たのは、たしか長野移住2年目の春だった気がする。ある晴れた日、いつもの裏山へ一人で出かけた。カタクリの花が咲き始め、南国から渡ってきたばかりのたどたどしいオオルリのさえずりを遠くに聞きつつ、何も考えずに山道を歩いていた。すると、いきなり上の方から「キョキョッ」と聞きなれない声が聞こえた。鳥にしては妙な声だなと思い、上を見渡してみると、目の前に立っていたアカマツの巨木の天辺近くに何やら黒っぽいものが見え隠れしている。ニホンリスだった。ニホンリスが、盛んにこちらを警戒しつつ様子を窺っていたのだ。
 その愛らしさに私は動きを止めて、奴をじっと見据えた。向こうは頭を下にして木の幹にピタッと張り付く体勢をとり、そのまま樹幹の裏側の方にさっと隠れた。いじらしいことに、裏に隠れておきながら、時折横顔だけをチラッチラッと出してこちらの様子を覗き見るではないか。かくれんぼのつもりか? 微笑ましい気分になったが、しかし2-3回横顔を出したら、奴はもうそれっきり顔を見せなくなってしまった。その後、待てど暮らせどうんともすんとも言わないので、痺れを切らした私は奴が隠れている木の裏手へと回り込んでみた。
 なんと驚いたことに、そこにはリスの姿が影も形もなかった。さっきまで明らかにそこにいたのに。これ以後、幾度も私は山でニホンリスに会うたびに、全く同じような経験を繰り返すことになった。どうも奴らは樹上で敵を発見すると、相手から見て裏側の樹幹に回り込んだ上、そのまま相手の死角に入りつつ幹をそっと降りてまんまとどこかへ逃げおおせるらしい。まさに忍者のような身のこなしだ。

 ニホンリスは、他の多くの日本産野生哺乳動物のように、世界でも日本にしか分布していない動物だ。その日本の中でも、彼らは本州と四国に限って分布する(北海道のエゾリスと、遺伝的に区別しがたいとの説もある)。九州には、かつて生息していたという説といなかったという説が拮抗しているようで、今なおはっきりしていない。本州では、圧倒的に東日本で生息密度が高い。
 彼らは山林に数ヘクタールもの広大な行動圏を持ち、その範囲内にいくつか巣を作っている。巣は太い樹幹から張り出す太枝の付け根あたりに、小枝などを寄せ集めて球状に作ることが多い。その日によって使う巣を変えつつ、森を縦横無尽に走り回り、木の実や虫、キノコ、鳥の卵など様々なものを餌にしている。リスと言うと、マンガや絵本などのイメージから木の実しか食べない大人しい草食動物と思っている人が多いが、実際には人間と同じく雑食なので、動物質のものも手近にあれば平気で食う。可愛い顔をしながら生きた虫を頭からバリバリ食い散らかすし、生きた鳥のヒナだって容赦なく食い殺す獰猛な一面もある。私は幼い頃、家でペットとしてシマリスを飼っていたが、彼らの雑食性を考慮してときどきアブなどの虫を採ってきて食わせていたものだった。リスはいろんなものをバランスよく食べないと、健康を維持できない。つまり、総合的にいろんな動植物が生息する環境でないと生きていけない動物なのである。

 少なくとも長野県においてニホンリスは、住宅街すぐ脇の雑木林などにも姿を現すとても身近な動物である。そのことは、森の中に落ちている動物の残した存在の証「フィールドサイン」を見れば一目瞭然だ。ニホンリスは雑食性とはいうものの、やはりクルミや松ぼっくりを好んで食う。その食い方がとても特徴的で、クルミの場合は殻を左右の合わせ目に沿って真っ二つに割り、中身を食う。松ぼっくりの場合は周りのヒラヒラを全部剥がしてしまい、中心の芯の部分しか残さない。その様は、まるで小さなエビフライを思わせる。なので、森の地面に綺麗に一刀両断されたクルミの殻や、エビフライ型に削られた松ぼっくりの残骸がたくさん落ちていたら、まずリスが頻繁に出入りしているエリアだと思っていい。しかし、そこまでそこに生息しているのが明白で、なおかつ身近で日中出歩く動物であるにもかかわらず、実際に彼らに狙って遭遇するのはかなり難しい。理由は単純。ニホンリスはきわめて臆病で、人間との鉢合わせを極力避けて行動しているからである。

 かつて、ニホンリスは法律で狩猟獣、つまり銃や罠を使って殺していい動物に定められていた。古の人々にとってリスの毛皮は、帽子や筆など様々な生活の用途に使える代物だったのだ。小学生の頃、私は習字の授業のために学校で毛筆を買わされたが、当時のその毛筆のパッケージ裏に書かれた原材料名に、「動物毛・豚、リス等」と書かれていたのを覚えている。きっと、あの毛筆を構成する毛の一部には、ニホンリスの毛皮からひん剥いたものも混ざっていたのかもしれない。また、毛皮を剥ぐだけではなく、単純に食用としても捕獲していたようだ。近年、ニホンリスは全国的に個体数がひどく激減してしまったため、もう狩猟獣からは外されている。けれども、長きにわたり人間に追い回され、殺されてきたせいで、ニホンリスは徹頭徹尾人間を敵視しているらしい。一番活動が活発なのは、まだ人間が起きて活動しだす前の早朝。日が高くなると、活動をやめて樹上の巣へ戻り眠ってしまう。なので、日中何も考えずに生息地の森をほっつき歩いても、なかなか彼らには遭遇できない。
 そうかと思えば、北海道のエゾリスはニホンリスほど人を恐れない。エゾリスとて、かつては狩猟獣として相当狩られていたと聞くが、今や市街地の公園では餌付けされているようで、かなり人間のそばまで寄ってくる。人里離れた山奥へ行くと、さらに人間を見慣れていないのかあまり逃げようとしない。同じく人間から迫害されてきた身で、こうも人間に対する反応が違うというのも面白い。

ニホンリスの目の水晶体は色付きのため、ストロボを不用意に使うと目が悪魔のように赤く写ってしまう。
 

 そんな感じで警戒心のすこぶる強いニホンリスだが、こちらが一切関心を向けていない時には、驚くほど大胆な行動に出る場合がある。かつて、裏山のアカマツ林に通してある道の脇にしゃがみ込み、オサムシを観察していた時があった。たしかその場に20分くらいうずくまって、ひたすら地べたの虫を見ていたのだが、ふと何か後ろで気配を感じて、何となく振り向いた。そうしたら、私の尻のすぐ後ろに、ニホンリスが座ってこちらをじっと見つめているではないか。何も知らずに後ろに尻もちをついたら、確実に尻で下敷きにするくらいのポジションにいた。虫を後ろから見つめる人間を見つめるリスという、マンガみたいな構図の一端を、図らずとも担ってしまっていたわけである。
「!?」
 私も驚いたがあちら様もかなり驚いたようで、しかし唐突の事態に何をどうしたらいいのか分からなかったらしい。バツの悪いそぶりを見せつつも、リスはゆっくりそこから歩いて離れ、道脇の草むらに消えていった。
 別の日、雑木林の縁で大木の根元にできたアリの巣を観察していたときにも、気づいたらすぐそばまでこちらの様子を見に来ていたことがあった。彼らは森の中において明白に場違いな雰囲気で、なおかつ自分に対して即時必滅の敵意を向けていないものに対しては、むしろ好奇心を持って近づいてくるらしい。それが一体何物なのか、見定めずにはおれないのだろう。
 そういえば昔読んだ外国の野外サバイバル術の本で、森の中に脱ぎ捨てた靴(だったか、もしくは洋服)を転がしておき、そのすぐ近くの茂みで鞭のように弾力性のある枝をギリギリしならせて、リスを待ち伏せするというハンティングの方法が書いてあったのを覚えている。靴に興味を示したリスが樹上から降りて近づいてくるので、射程に入った瞬間、枝をはじいて叩き殺す。猟銃も特殊な罠も使わず、出来合いの装備でまんまと食料を捕らえられるというものだった。この本には、他にも「森には鶏肉そっくりの味のキノコが生えている」とか、「腐った動物の肉もウン時間煮込めばとりあえず食える」とか、本当かよ?と思わずツッコミを入れたくなる情報が満載だった。しかし、何より一番印象に残った一節は「山で獣は、食いつなぐため我々から食料を奪い取ろうと寄って来る。ならば逆に、我々が獣から餌を力づくで奪い取り、食いつなぐことだって可能だ」だった。

 基本的に、野生のリスはこちらから追うとまずまともに観察できないと思っていい。リスが足しげくやってくる場所を見定めたうえで、あらかじめそこで待っていればいずれやってくるので、これを観察するほうがはるかに効率は良いのだ。
 とはいえ、リスはとにかく気まぐれな奴である。たとえフィールドサインを見つけて、そこに来るということが分かったとしても、いったい「いつ」来るのかがわからない。先述の通り、リスは朝方に活動的になるとはいうものの、朝方いくら待っていても一向にやって来ないということはしょっちゅうある。極寒の真冬、わざわざ老体(と言うにはまだ早いか……)に鞭打って日も明けやらぬ刻に早起きし、自転車をこいで裏山へと登り、薄暗い森の中でガタガタ震えながら座してリスを1時間でも2時間でも待ち続け、その結果何も来なかったときの辛さ空しさといったらない。そのため、リスを見たいと思ったならば、多少とも自分の足で探し回らねばならない局面も多い。そんな時、一つ頼りになるものがある。彼らが出す食事の音だ。

ニホンリスが毎日来る食事場。二つに割れたオニグルミの殻が山積している。傍にはオニグルミの木がある。
 


 先述の通りリスはクルミが好物であり、巧みに固い殻を割ってその中身を食うわけだが、しかしさしものリスでもクルミの殻を割る作業というのは一筋縄ではいかない。人が食用に供するため植栽している軟弱な菓子グルミならいざしらず、野生のオニグルミの実などは信じがたいほど殻が固い。ほぼ石ころと変わらない、凶悪な固さだ。昔のアニメなどに出てくる不良やヤンキーは、オニグルミらしきクルミの実をいつも片手に2~3個握っていたが、あれは恐らく敵の前で固いクルミを握りつぶしてみせて握力を誇示する意味合いがあるのだろう(というより、実際に素手でオニグルミの実を握りつぶせる人間など存在するのだろうか?)。だから、リスがクルミを割るのは人間が缶詰のプルタブを引いてパカッと開けるほど簡単にはいかず、「調理」にはそれなりに時間がかかる。
 彼らがクルミの殻を割る手順は決まっていて、まず左右の殻の合わせ目にそって歯で削っていく。そうして溝を刻んだら、そこに前歯を差し込み、テコの原理でパキッと殻を合わせ目に沿って割る。この手順は、どうやら昆虫のように生まれた時から本能的に備わっている行動ではなく、練習を重ねてだんだんうまくなるらしい。うまく合わせ目に穴を開けなければ、殻は決して二つに割れないので、ニホンリスが頻繁に姿を現すクルミの木の周辺では、しばしば表面に縦横無尽に奇妙な削り痕が走り、結果割れていないクルミの実が落ちている。これは、まだ割り方をマスターしていない若い個体が死に物狂いで頑張った末、あきらめて捨てたものであろう。そんな感じで、未熟リスも熟練リスも、多少ともクルミの実を二つに割るのには時間を要するため、その間クルミを齧る音を森中に盛大に響かせてしまうのだ。まるで虫か何かが鳴いているような、ジッジッジッ……という音を出すため、虫が活動しない冬や早春には特によく聞こえる。この音が樹上から聞こえてきたら、静かにその場にしゃがんで動かずじっとする。そうすれば、きっと音のする方向の枝のどこかに、黒ずんだ獣がちょこんと座っているさまを認めることができるだろう。野生の生き物と触れ合うためには、まさしく五感(と第六感)をフルに駆使しなければならないのだ。

 日本の本土ではこんな風に観察の至難なリスだが、海外に行くと驚くほど簡単に、市街地で野生のリスが見られる。私が虫の研究で足しげく通うマレーシアやタイなどでは、排ガスと喧騒に満ちた都市部のちょっとした緑地帯に、当たり前にリスが住んでいる。時には交通渋滞で無数の自動車が詰まった高速道路を眼下に見下ろしつつ、その上に通された電線を軽やかに伝い走っていくリスの様を見かけることもある。「鼠、江戸を疾る」という時代劇があったが、リスはバンコクやクアラルンプールを走るのだ。

バナナリスが逆さまで食事する。マレー半島にて。日本に帰化しているタイワンリスの親戚筋。
 

 ある時、マレーシアのとある市街地にあるホテルに泊まった。朝、ホテルの玄関を出たすぐ目の前の街路樹に、綺麗な模様をしたリスが来ているのをみとめた。リスは細い枝先を器用に渡り、木の枝の先端に実っていた果実を取っていたのだが、面白いことに奴はすぐさま足で枝にコウモリの如くさかさまにぶら下がり、その格好のまま果実を食い始めたのだ。人間がこんな体勢で物を飲み食いしたなら、即刻盛大にリバースしてしまいそうだが、リスは平気らしい。実のところ、これは賢いやり方である。細い枝の上に止まろうとすると、常に体のバランスを取り続けねばならないので、餌も落ち着いて食えないだろう。しかし、逆に枝の裏にぶら下がるのであれば、足の爪を枝に引っ掛けてさえいれば決して落ちる心配はないのだ。理にかなっている食事作法と言える。言えるのだが……いっそそこからもっと太くて安定した大木の枝まで運んでから食うという選択肢はなかったんだろうか。それとも、その場で食わずにはおれないほど、腹が減っていたのだろうか。そう思いつつ、私は甘んじて物を食いづらそうな体勢で、意地でも食事を続けようとするあいつを見続けていたのだった。

なお、ハシボソガラスもしばしばクルミを高所から落として割って食べ、その過程で殻が真っ二つに割れることがあるため、一見リスがやったのかカラスがやったのか紛らわしい場合がある。しかし、リスの仕業であれば殻の縁に必ず歯で削った跡が付いている。また、カラスの割ったクルミの殻は、その高所から落として割るという手法上、固いコンクリートの路上などでしか見られないのが普通だ。

★小松貴さんイベントのお知らせ★

今夏、お子さまを対象(保護者同伴)に、小松さんの「昆虫観察会」を行います。東京のど真ん中で、果たしてどんな虫たちと出会えるのか?

日時:2017年8月20日(日)10:30~12:30
場所:代々木公園 
※ご参加の方には詳しい集合場所等を電話・メールなどでお知らせします。
受講料:3,240円(税込)

詳細はこちらから!