中国には、夢にちなむ様々な説話があります。
たとえば、「邯鄲の夢」。立身出世の志をもって趙の都、邯鄲にやってきた青年・盧生が、たまたま出会った道士に借りた枕で仮寝すると、そこには大きな家があり、名家の娘を娶り、科挙にも見事合格して、国の中枢まで登りつめた。が、そう世の中うまくいかないもので、他人に妬まれて左遷、しかし、三年後、また都に返り咲いて宰相となったが、今度は謀反の冤罪をかけられて、流罪の刑に処せられた。しかし、また、天子に呼び戻されて、波乱万丈の人生を送った……というところで目が覚めて、人生の儚さを知るというストーリーです。その間、店で頼んだ黄梁(アワ)の粥も炊き上がらなかったというのですから三十分もしない間に、浮き沈みの激しい人生のダイジェスト版を経験したということでしょう。

それでも、「邯鄲の夢」のエピソードはまだ現実に軸足を置いた内容になっていますが、一方、もうひとつ、夢に関しては、「胡蝶の夢」という説話も有名です。こちらは荘子が、蝶となり百年花の上に遊んだという夢を見たが、目覚めた後で、はたと、自分が夢で蝶になったのか、それとも、今、蝶が夢で自分になっているのかと迷ったのですから、こちらは現実と夢の境界すらはっきりしなくなる哲学的な問いかけを含んでいるともいえましょう。
こんなに面白い夢に関する説話が中国文学の素人にもぱっと思いつくのですから、中国人は他の民族にもまして、古代から夢に対して深い関心をもっていたのでしょう。今回の特集では、日中比較文化史がご専門の張競先生に、春秋時代からさかのぼって、中国人と夢との関係についての論考を書いて頂きました。
「人生と夢が相互に隠喩関係にあることに、(中国の)古代の人たちは早くから気付いた。人生が儚いもので、人間の一生はしょせん夢のようなものに過ぎない。そう思った文学者たちは詩や物語という形式を使って、夢を人生と結び付けて語っていた」という人々の話を、それを描いた色々な絵図(夢の中の出来事が、マンガの噴出しのように表現されているのが、意外と現代人と同じ感覚で面白い! 昔の中国人も夢といえばこんなイメージだったのですね)とともに、どうぞお楽しみください。