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村井さんちの生活

 私の住む琵琶湖周辺も、先日梅雨入りした。今のところ湿度、気温ともに低めで、梅雨とはいえ快適な日々を過ごしている。家族はそれぞれ皆元気にしているし、愛犬のハリーはとてもカワイイしで、なかなかどうして順調な村井家である。あとは私がもう少し効率的に仕事をこなせるようになったら本当にいいのだけれど、わが家の何でも屋こと私は、相も変わらずいろいろな物事に追い立てられて、バタバタと暮らしている。

 とはいえ、ここ数ヶ月で私の生活が大きく動き出したように思う。今年後半は東京に出向く機会も増えそうだ。この十年間、一度も行っていないのだから、出向く機会が増えるもなにも、やっとのことで行けるようになったというのが正解だろう。書籍のプロモーションだって、私が東京に行くことができればスムーズに運ぶこともあっただろうに、いつも息子たちが幼いことがネックになって、涙をのんでお断りせざるを得なかった。しかーし! 双子は今年から五年生であります。お母さんが仕事で東京に行くぐらい、全く問題ないのであります! 

 私にもとうとう自由が!? なんて考えると自然に顔がにやけてしまう。新幹線に一人で乗ると想像しただけでワクワクする。「一人」。なんて素敵な響きだろう。時間を気にすることなく、美しい街並みを自由に歩くことができるなんて、最高ではないか。それも世界有数のグルメの街、東京であります。来る日に向けて胃腸を鍛え上げる所存です! よろしくお願いいたします、カンパーイ!

 ただ、うれしい反面、胸がチクリと痛むのだ。東へ向かえば、私の故郷を通り過ぎることになるのが理由である。私といえばすっかり琵琶湖のイメージがついてしまっているかもしれないけれど、実は、静岡県焼津市の出身だ。最近ではふるさと納税の人気が高く、報道される機会が増えたため、以前より知名度は上がっているかもしれない。私が幼少期を過ごした焼津市は、田舎の小さな港町といった風情だった。最後に戻ったのは三年前になる。本当のところを書けば、この二十年ほど故郷とは距離を置いてきた。

 京都の大学に進学した翌年のことだった。ふと、年末は帰省しようと思い立ち、母に連絡をした。久しぶりに一緒に正月を過ごせないかと提案し、おせち料理とお雑煮を作って欲しいと頼んだのだ。母はそれを聞いてとてもうれしそうだった。アルバイトが年末ギリギリまであるから、戻るのは大晦日の午後になる。三十日は夕方までアルバイトをして、夜中までかかってワンルームのマンションを掃除し、荷物をまとめ、京都土産をバッグに詰めた。翌朝、どうしてもアルバイトの子が見つからないから、午前中だけお願い! とバイト先の店長から頼まれて、断りきれずに午前中だけ働き、大急ぎで荷物を担いで京都駅に向かい、新幹線に飛び乗った。

 静岡駅で新幹線を降りてローカル線に乗り換え、人気の少ない焼津駅にたどり着いた時、辺りはすっかり暗くなっていた。駅構内の寒々とした蛍光灯の明かりを見て、戻ったことを実感した。当時、母は駅前で喫茶店を経営していて、駅東口の階段を降りればすぐ正面にその店の明かりが見えたものだった。その日、すでに看板の電気は消えていた。母と祖母が待っているだろうと、実家まで川沿いの道を急いだ。でも、実家に辿りつくとそこには祖母しかいなかった。母は友人と会うために出かけていき、たぶん翌日まで戻らないと祖母は言った。

 私との約束を破り、大晦日に友人とどこかへ出かけてしまった母の身勝手が信じられず、猛烈に腹を立てた私は、残念がる祖母を実家に残し、結局そのまま京都までとんぼ返りした。走って焼津駅まで戻り再びローカル線に乗ると、静岡駅に向かった。持ってきた京都土産は駅のゴミ箱に捨てた。この時以来、母が病に伏せるまで、実家に戻ることは数えるほどしかなかった。約束を反故にした母とは、その後しばらくして和解したし、人生にはやむを得ないことが起きるのももちろん理解していた。母との間に感情的なわだかまりは残らなかったものの、私の中には裏切られたという痛みだけが残った。結局、私にとって故郷はこの時を境に遠い場所になった。

 今の私にあの頃の頑なな気持ちがあるのかというと、不思議なことにほとんどどこかへ消えてなくなっている。確かに今でも胸はチクリと痛むけれど、今まで避けてきた静岡という地に、再び一人で立ち寄るのもいいだろうと思える。静岡駅で新幹線を途中下車したら、きっと懐かしさで胸がいっぱいになるだろう。駿府城を抜けて、毎日通ったあの通学路を、一人で歩いてみたい。同級生たちの明るい笑顔が蘇ってくるようだ。

 今になって思うのは、あのとき間違っていたのは、約束を破った母でも、子供じみた理由で腹を立てた私でもなかったということ。その前年に父が他界し、人生のバランスを崩していた私と母の、ほんの些細な心のすれ違いであったに違いない。あれだけ私を頑なにした故郷に対する思いは、時の経過とともに和らぎ、これから先はきっと、あたたかな懐かしさに変わっていくのだろうと思う。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥


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