砂漠へは高速艇に乗って

 日本に砂漠がある。
 という話を初めて聞いたとき、私は当然のように鳥取砂丘を思い浮かべた。しかし、あれは砂漠ではなく砂丘である。
 砂漠と砂丘は似ているようで全然違う。
 砂丘は砂が溜まって丘になった場所であり、いわば砂場であるから、砂さえどっさりあればできる。逆にいうと、砂をどければ普通の土地である。
 しかし砂漠はそうではない。
 不毛なのである。
 砂をどけようが何しようが不毛。
 砂丘と砂漠、どっちが偉いかといえば、それはもう砂漠であり、凶悪度において砂丘など足元にも及ばないのだ。
 そして、そんな凶悪な地形は大陸にしかないと思っていたら、日本に一ヶ所だけ本物の砂漠があるという。
 しかも東京に。
 本当だろうか。
 本当であれば、東京近郊スペクタクルさんぽと銘打つこの連載で行かないわけにはいかない。
 しかし砂漠なんて東京のどこにあるというのか。
 実は伊豆大島にあるのである。
 伊豆大島は名前からすると伊豆半島と同じ静岡県に属していそうだが、伊豆七島と呼ばれる島々は全部東京都に属している。東京都民は普段ちっとも意識していないが、小笠原諸島含め、東京は島だらけなのだ。
 たぶん多くの都民は、それらの島に足を踏み入れたこともないだろう。どんな島かもろくに知らないにちがいない。かくいう私もたいして知らなかったのだが、それにしたって砂漠があるならもっと知られていてもいいのではないか。しかも伊豆大島は、浜松町から高速艇に乗れば2時間で行けるのだ。
 すぐそこやがな。
 そんなわけである日の朝、私は早起きして浜松町の竹芝桟橋に向かった。
 いつもの面々と砂漠を見にいこうというのである。
 着いてみるとシラカワ氏はもう来ており、スガノ氏などは先に現地入りしているという。みんなやる気まんまんだ。
 ただもうひとりのムラカミ氏がいないと思ったら少し遅れて現れ、間違って船会社のオフィスのほうに行ってましたと言った。なんという斬新な間違え方であろうか。船に乗るのに桟橋に行かずに船会社のオフィスに行くとは。
 ムラカミ氏は、自分はかなりの方向音痴であると告白したが、方向の問題じゃないと思う。
 こうしてわれわれは伊豆大島へ向かう高速艇に乗り込んだのだったが、シラカワ氏が、
「たった2時間で行けるとは知りませんでした」
 と興奮気味で、彼女も東京都民なのだが、やはりこれまで島など眼中になかったことがわかる。そういえば東京湾フェリーに乗ったときも、おおいにはしゃいでいた。船自体めったに乗らないのらしい。
 まあ騒いだわりには動き出すとグーグー寝ていたが、船のほうは予定通り2時間弱で伊豆大島に到着。スガノ氏が合流し、全員が集結した。

とてもカラフルな高速艇。ムラカミ氏は下船時に切符をなくして怒られていた。
 

砂漠とジャングルの境目

 さっそく砂漠へ向かうべくレンタカーを借りに行く。
 残念なことに港は晴れていたが山にはガスがかかっていて、レンタカー会社の人に聞いてもしばらく晴れそうにないとのことである。砂漠は三原山の中腹、標高500メートル付近にあって、そのあたりまでどっぷりガスに覆われていた。
 試しに山頂遊歩道の入口がある茶屋付近まで車であがってみたものの、視界は50メートルあるかどうかで、これではとても砂漠は見られそうもない。

まっしろ。


 どうしたものか考えた。
 伊豆大島は三原山を中心とした楕円形をしている。地図によれば砂漠があるのは三原山の東側斜面で、この一帯は裏砂漠と呼ばれている。茶屋に近い西側にも表砂漠という表記があるが、広いのは断然裏砂漠のほうだ。
 シラカワ氏が、車でその東側の山麓へ回り、裏砂漠ルートと呼ばれる登山道をガスのある手前まで歩いてみてはどうかと言い、そうすることにした。下のほうの砂漠が見られるかもしれない。
「地図には他にもテキサスルートとか、月と砂漠ラインとかありますけど、ここが一番砂漠が見られる気がします」
 周回道路を走ってみると、島の東側は人家も少なく森の緑も濃く、砂漠感はまったく感じられなかった。むしろジャングルのほうが親密に思われる。この上に砂漠があるとは、なんだか奇妙な感じだ。
 車を停め、裏砂漠入口と書かれた看板の脇から登り始めた。
 相変わらず上のほうはガスで見えないが、この高さにガスはなく、周囲には独特な風景が広がっていた。
 一見ジャングルのような濃い森が突然開けて、溶岩でできた黒土がむき出している。足元だけ見ると不毛な大地といった風情だ。でも足元は不毛なんだけど周囲は緑いっぱいで濃厚である。
 黒い不毛と緑の濃厚。

偶然、黒と緑の景色に馴染んでいる宮田隊長の服装。


 コントラストがあまりにきっぱりとしているので、思わずその境目にいって、何か劇的なことが起こっているのではないかと、緑の生え際をしみじみ眺めてみた。
 私の観察によると、ジャングルと黒い大地の境界には、草がまばらに生えている中間的な地面があり、そこでは雑草が黒い小石の大地に根付いていた。雑草の周囲には枯れ草がパラパラと散らばっていて、私はそのパラパラの枯れ草に重要な秘密が隠されているとみた。
 たぶん昔に根付いて死んだ草だろう。
 枯れ草なんて一見何の役にも立たなそうだが、枯れ草も積もれば土になるわけだし、根が黒土に食い込んで残っているために、それに縦横に小石がからまって、そのあたりの土が結託している。枯れ草自体には水も滲みこんでいるので、次世代の草も生えやすいにちがいない。
 そう思うと、これは実に重大な枯れ草であった。
 そうして草が世代を重ねることでその一帯がそこそこいい地面となり、やがて月日を経ると真の草地と化して、今度は草ではなく樹木が生えるようになる。
 私の見立てでは、不毛と濃厚、砂漠とジャングルの境目はそういうことであった。
 傾斜は緩慢ながら、登っていくにつれ濃厚な生態系は少しずつ後退し、不毛な黒土が占める割合が多くなっていった。草の結託がまばらになると樹木は生えられなくなり、ある程度登ると完全にジャングルはなくなってしまった。あたりに見える緑はもう全部草、それも小さくまとまった斑点状の草だけである。
 逆に黒土の道はすっかり広くなって、最初は生活道路ぐらいだったのが1時間も歩くと高速道路ぐらいの幅になり、いよいよ全面的に砂漠と化すのも近いと思われた。
 が、ここでガス。
 この先は真っ白だ。

スペクタクルさんぽ隊の行く手を阻むガス。


 なんか砂漠っぽいけどまだ砂漠じゃない。もう少しで一大スペクタクルが見られそうなのに残念である。
「ここまでですね」
 シラカワ氏が言った。
 これ以上進んだところで何も見えないし、迷子になっても困るので、ここで引き返し明日に期すことにした。

スガノ氏の失敗

 空いた時間で海を見にいくことにする。
 海と砂漠に何の関係が? と疑問に思う人があるかもしれないが、島に来れば海にいくのは当然である。
 島の南にある波浮港から少し西へ行ったところにトウシキと呼ばれる磯があり、伊豆大島に行くならトウシキは必ず訪れなければならないスポットとして以前から心に刻まれていた。
 理由は単純だ。
 磯の水中景観が美しく、シュノーケラーの天国として知られているからである。
 今回はまだ6月の頭で海で泳ぐには早かったが、一応何かあったときのために水着とシュノーケルを持ってきていた。
 言うまでもないが、このことで読者は、私が砂漠を見るといいながら実は海で遊ぶために伊豆大島に来たのではないかなどと疑ってはならない。悪天候に備え、別の選択肢を用意していた周到さと理解すべきである。
 そうしてトウシキに来てみれば、噂の通りの透明感あふれる素敵な磯であったけれども、水温が低くウェットスーツがないと凍えそうだった。なおかつフィンはどこかで借りるつもりで持って来ていなかったこともあり、熟慮の末、今回は残念ながら涙をのんで、靴下のまま入ることにした。
 シラカワ氏とムラカミ氏が陸から「まだ6月になったばかりなのにどうかしている」という表情で見ていたが、ワイルドなスガノ氏だけはフィンもちゃんと持ってきていて、私よりも積極果敢に海に入っていた。もともと山岳部に所属していたスガノ氏はガタイもよく、アウトドアで活躍しそうなタイプなのだ。そうしてスマホで水中写真を撮ろうとして水没させていた。
 50メートル防水と信じていたら生活防水だったそうだ。
「何の反応もない。画面を押すと横からプクプク泡が出る」
 南無阿弥陀仏と言わざるを得ない。
 スガノ氏がそうまでして撮影したかったトウシキの海は、たしかに色とりどりのイソギンチャクが鮮やかで美しかった。

見よ、この美しい青の世界!(データは無事救出できました)
イソギンチャクもたくさん!

砂漠とプラモ屋

 翌朝、標高だいたい500メートル付近にある大島温泉ホテル周辺にガスはなかった。
 空は曇ってはいたものの、三原山を見ると山頂が見えている。
 おお、あんな山だったのか。
 それは実に火山らしい優雅さをたたえた山であった。なだらかな山容が美しい。
 われわれはホテルに頼んでおいた昼食用のおにぎりをもらい受け、天気が変わらないうちに出発した。
 裏砂漠に行くには、昨日途中まで登った裏砂漠ルートのほかに、テキサスルート、月と砂漠ラインなどを登る方法、さらに三原山の火口遊歩道から東に山を下ってくるルートと、この温泉ホテルから溶岩地帯を抜けていくルートがある。
 われわれが行こうとしている温泉ホテルルートは、出発地点がすでに標高500メートルにあるため、裏砂漠を眺められる外輪山の櫛形山まで標高差150メートル程度登るだけで済み、なおかつ途中ほぼ全行程が平原の中を歩くということで、一番楽なルートと言えた。

トトロでも出てきそうな登山口。

 道ははじめこそ林の中で見通しが悪かったが、すぐに溶岩の平原となって視界が開けた。
 三原山の稜線が正面に見える。
 火山の稜線は地球の若い素肌という感じがする。たいてい樹木が生えていないうえ、地形がまだ侵食されておらず、なだらかなのだ。三原山の黒い素肌も、刷毛(はけ)ですっとなぞってみたいようなカーブで、見惚(みほ)れてしまった。

平原が開けたところで、三原山も見えてきた(右奥)。


 溶岩がそこらじゅうで立ちあがり、何かの生きものの群れのように見える。その隙間に草。ここでも緑と黒のコントラストが際立っている。
 歩くうちに昨日と同様、緑が減り、立ちあがっていた溶岩も平らかになって、あたりはだんだん砂漠らしい雰囲気を醸し出してきた。三原山の左手にゆるくそびえる櫛形山にとりつくと、そこはもうボタ山のようななだらかな斜面しかなく、草の姿も消えてなくなった。
 左手、山裾方面に黒い大地が広がっている。
 砂漠だ。
 ついに見えたぞ、本物の砂漠。
 ひたすら黒い大きなグラウンド。
 これはなかなか見られない風景だ。
 たしかになかなか見られないけれども、砂漠というにはちょっと狭い感じもする。周囲から徐々に緑が侵食し、黒土だけの地面は一定の範囲に限られていた。

左に見えるシラカワ氏の大きさから、この景色のスペクタクルさが伝わるだろうか!
本物の砂漠! 黒い!
立ち込めるガスがより神秘的に景色を演出している。


 しかも砂漠と聞くと地平線とセットになっているイメージがあるが、ここに地平線はなく、うっすらと立ち昇る水蒸気のむこうに微かに海が見えている。見えるとしたら水平線だ。
 水平線の見える砂漠。
 それはそれで珍しいかもしれない。
 反対側に目をやると、三原山の山頂にむかって同じようになだらかな黒土が広がり、やはり草の緑が斑点模様のようにそれを侵食していた。
 こうして見ると裏砂漠といっても、完全なる不毛の土地はそれほど広くないようだ。噴火がなければそのうち緑がどんどん広がって、ここもやがて森になるのだろう。

遠くに見えるのが櫛形山頂上。そこへの道には草はほとんど生えていない。


 櫛形山の頂上に到着。
 周囲をぐるりと砂漠に囲まれた日本で唯一の場所。
 ようやく来れた。
 シラカワ氏が「国道歩きとどっちがいい?」とムラカミ氏に訊いている。
 彼が学生時代、学ランを着てひたすら国道を歩くサークルに属していたことは前回書いた通りだ。ムラカミ氏は「国道ですね」と即答していた。
 そうなの?
「潰れそうなプラモ屋とか見つけたりして楽しいんですよ」
 はるばる見にきたこの雄大な風景がプラモ屋に負けるとは。
 だがまあ、砂漠だから感動しなければならないという法はべつにないのであった。

もうひとつのスペクタクル

 ともあれ日本唯一の砂漠を見るという今回のミッションは達成した。
 砂漠はそれなりに砂漠であったが、一般にイメージするラクダ的な砂漠とは違い、海が見えていた。草も結構生えていて思ったほど不毛でもなかった。
 それでも異世界のような眺めは目に心地よく、自分はこういう風景がかなり好きであることをあらためて実感した。不毛でシンプルな自然の風景が胸にしみる。プラモ屋との違いは、深呼吸したくなる点だろうか。
 人間、いい歳になると、ときどき深呼吸しないと喉に痰が詰まって気持ち悪いのである。
 ところで、私にはもうひとつ三原山で見てみたいものがあった。
 それもまたスペクタクルなものであり、実はこの旅の計画段階からずっと気になっていたのである。
 それは火口の反対側、表砂漠のほうにある。
 さっそく見にいきたい。
「ここから一気に行けそうだよね」
 三原山を見あげてスガノ氏が言った。
 何かとワイルドな彼は、トウシキでも生活防水のスマホを手にがんがん海に潜っていたわけだが、今度は登山道を無視してショートカットを企んでいるようだ。
 たしかにここから見る三原山はパラパラと緑が散らばるだけの見通しのいい斜面となっていて、一気に櫛形山を駆け下ってとりつけば、あとは長い坂を登るような感じで山頂まで行けそうに見える。
 ただ不安なのは、樹も何もないせいで遠近感がなく、山頂が遠くにあるのか近くにあるのかよくわからないことだ。見た目以上に遠く、斜面が急峻だということもありえた。
 スガノ氏もさすがに強行突破するのはためらわれたようで、無難に地図に描かれたルートを行くことになった。裏砂漠から三原山の火口一周遊歩道への道は、いったんホテルのほうへ戻ってから左に分岐し、山の北側を回り込むように続いている。
 しばらく進んでから振り返ると、櫛形山の斜面が崖になっているのが見えた。
 崖?
 崖になっとるがな。
 駆け下らなくてよかったぞ。
 おまけに三原山の麓部分には割れ目噴火口跡があり、そこも断崖になっているようだった。思いつきのまま突っ切らなくてよかった。勢い余って噴火口に落ちていたかもしれない。

三原山まで突っ切れるか検討する宮田隊長。やらなくてよかった(※登山地図に従って安全な計画登山を!)


 その後、日差しの出てきた登山道を黙々と登って、三原山の火口を一周する遊歩道に出、そこから反時計回りに火口見学道に入って火口に肉薄した。
 1986年の三原山噴火では、この火口から北西方向に向かって溶岩流があふれたらしい。そのときに運ばれた巨大な岩が三原神社の上に残っている。
 火口は相当深く、展望所から底が見えなかった。パンフレットによれば、この火口には60階建てのビルがすっぽり入るそうで、そんな穴が溶岩でいっぱいだったのだ。

今もなお活動中の三原山噴火口。


 今はかすかに噴煙が立ち昇るだけの火口だが、噴火時はここから溶岩がどっかんどっかん流れ出ていたわけである。
 今自分がいるこの同じ場所が、ほんの30年ほど前は死の世界だった。そう思うと、なんともふしぎな感じがする。時間とはいったい何なのだろうか。なぜ同じ場所なのに時間が違うだけで平気なのか。
 こういうことは子どもの頃によく考えたが、その後とくに答えは出ないまま大人になり、こうしてふとした拍子にときどき思い出す。過ぎ去った時間はどこに消えたのか。私は昔本当に子どもだったのか。
 われわれは、火口の赤茶けた景色を見ながらホテルで作ってもらったおにぎりを食べ、しばらく休憩した。
 空はもうすっかり晴れてきて暑い。
「午前中曇りでよかったですね」
 砂漠は日を遮るものがまったくないことに、日差しを受けてみて気づく。
 おにぎりを食べ終わると、暑いので遊歩道から表砂漠ルートのほうへさっさと下りることにした。
 表砂漠は、裏砂漠に比べると狭いが、同じように草木の少ない黒い大地である。その外に外輪山があり、その外輪山が低くなって途切れた部分が見える。
 そしてそこが今回私が行ってみたかった場所だ。
 実は今から80年ほど前、ここに面白いものがあったのである。

(つづく)

※三原山は今も活動している活火山です。お出かけの際は、各自で現地の最新情報や必要な装備を十分にお調べの上、ご準備ください。

(撮影・菅野健児)