異常気象なのだろう。五月初旬に三〇度を超える日が続いたかと思ったら、落雷豪雨。がくんと気温が下がって、季節が逆戻りした。衣替えのタイミングを見計らうのが難しい。
 それでも夏はやってくる。学校は、六月の第1週で終業だ。翌週に出る通信簿を待って、それぞれの夏休みが始まる。十年くらい前までは、学校の掲示板に張り出したり、厚紙に校長を含む全科目の教師からの評価が手書きされた通信簿が配られていたが、今では多くの学校がインターネットでも閲覧できるようになっている。
 「それでもやっぱり紙がいい」
 南部の小学校一年を無事終了したジャンヴィートが、通信簿を携帯電話で撮影して送ってきてくれる。十段階評価の科目別のページは飛ばして、最終ページの先生たちの評価がアップで写っている。
 担任といっしょに校長は、何人の生徒について印象を書いたのだろう。どの欄の字も丁寧で、枠内にきちんと収まり、単刀直入に書いてある。「ちょっとこの点が‥‥‥」と前期で警告のような一語があったあとに、「一生懸命に努力した様子が見られました。大変に満足しています」と、後期では褒めて締めくくってある。小学校一年生の後期で筆記体を学ぶので、先生たちの言葉を子供たちは自分でも読める。
 「<すばらしい>って書いてあるの、読めた?!」
 電話をかけると、向こうでジャンヴィートは誇らしそうに声を上げている。
 
 駅で、畑で、町中で。それぞれの夏が始まっている。
 朝早いうちに家を出て、ミラノの中央駅へ行く。学校が終わって最初の週末の朝、イタリアのリラックスが駅に集結している。大荷物でプラットフォームを往来する若い人たちは、帰郷する下宿生たちだろうか。あるいは、若い親たちだろうか。幼子たちは帽子を被り、サングラスを着け、お気に入りのキャラクターが描かれたキャリーバッグを得意げに引いている。はしゃいでは窘められ、を繰り返している。家から持ってきたのだろう。電車に乗り込む前から早々にごくごく水を飲んで、「もっとゆっくり飲みなさい!」と、また母親に叱られている。見ているこちらまで、夏いっぱいの気分になる。
 ミラノから平野を抜け、山脈を越えて海へと抜ける路線は、鈍行列車なのに大混雑だ。普段は、寸暇を惜しんで都会から都会へ移動する忙しい大人からは無視されている列車が、高い歓声で賑々しい。全席二等で、自由席。ミラノ始発で、列車は出発時刻よりずいぶん早めから番線入りしている。並びの席を取ろうと、大急ぎで乗り込んでくる家族連れの父親たち。犬、自転車も、続々とやってくる。大型犬でも車両と車両の間に指定場所があり、そこに繋がれて飼い主と座る。犬も慣れたもので、じっと座りホームを見ている。鈍行列車ならどこまで乗ろうと、全犬無料。
 自転車族たちは、ひとり旅が多いようだ。自転車自体が小さな家になっている。シャシーに付けたさまざまな道具に、身にはウエストポーチや小型リュック、サドルバッグなどを装備している。ヤドカリの人間版のようで、目を見張る。専用位置に固定した自転車の脇に座り、喧騒を他所に本を読んでいる。自然の中を駆け抜ける人たちは、電車内からも様子が違う。
 アフリカ人の長身の若者は不安そうな顔で何度も繰り返して紙をポケットから出しては、周囲の人たちに<この電車でいいのか?><今、何時?>とジェスチャーで確かめている。誰かに書いてもらったのだろう。<私はパルマまで行きます>と、イタリア語で書かれたボールペンの字が、折ったり畳んだりですっかり縒れている。
 背後から聞こえてくる、子供が駄々をこねる声。宥める母親。いっそう高くべそをかく。父親の厳しいひと声で、ぴたりと鎮まる。
 「チャオ、パパ。予定通りミラノを出たから。お昼はいっしょね。また近づいたら電話する」。出発したかどうか確認してきたのだろう父親へ、女子学生が嬉しそうに電話をかけている。
 大汗をかいて発車寸前に乗り込んできたのは、南米の中年女性だ。荷物棚にカバンを上げるのを手伝ってくれた青年や隣のイタリア人女性に、「グラシアス!」を連発しながら胸のポケットから飴を取り出し、どうぞどうぞ、と勧めている。青年は快く受け取りすぐに口へ、イタリアの婦人は丁寧に礼を言って、でも受け取らない。

 夏のミラノ中央駅。
 行き先も道連れも、目的も、年齢も性別も異なる乗客たちが、一台の鈍行列車に詰まっている。
 ホームで、コンパートメントで、隣り合わせの席で、連結部分で、通路で。
 さまざまなシーンが同時に上映されている映画館に紛れ込むようだ。毎度、本を持って電車に乗るけれど、次々と繰り広げられる名場面に見とれて、ページを開く暇もない。

 二〇一六年末以降ミラノ中央駅とローマ中央駅では、テロ警戒のため乗車券を持たない人たちは発着ホームへ入れなくなった。
 密かな楽しみを奪われて、今年は少し寂しい夏になる。

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